投稿者アーカイブ:岡本全勝

米フロリダ州、14歳未満のSNSアカウント取得を禁止

2024年4月21日   岡本全勝

3月27日の日経新聞夕刊に「米フロリダ州、14歳未満のSNSアカウント取得を禁止」が載っていました。

・・・米南部フロリダ州で26日までに、14歳未満の子供にSNSのアカウント取得を禁じる法案が成立した。14〜15歳の利用には保護者の同意を求める。SNS上の有害なコンテンツなどが子供の心の健康を損なうとの懸念が強まり、米国で規制の動きが広がっている。

同州のデサンティス知事が25日、法案に署名した。2025年1月に施行する。画像などのコンテンツを絶え間なく表示する、動画を自動再生するといった機能を備えるSNSが対象となる。特定のSNSの名指しは避けた。
デサンティス氏は同日の声明で「ソーシャルメディアは様々な形で子供に害をもたらしている。この法案は親に子供を守る大きな力を与えるものだ」と強調した。

州議会は以前に16歳未満のSNS利用を禁止する法案を可決したが、これについては、親の権利を過剰に制限するとしてデサンティス氏は拒否権を発動した経緯がある。
米メタなどが加盟する業界団体のネットチョイスは同州の法案成立を受け、あらゆるSNS利用者が年齢確認を求められる事態を招くとして「州民のプライバシーを危険にさらす」と反発した。

米国では犯罪者が若者をだまして性的な画像を送らせる事案などが報告され、SNS運営会社が子供を守る体制が不十分だとして非難が強まっている。1月末には連邦議会上院がメタや中国発の動画アプリ「TikTok(ティックトック)」運営会社のトップを呼ぶ公聴会を開き、各社の責任を追及した。
一方で、SNSの管理強化は検閲ともとられかねず、連邦レベルで子供のSNS利用を規制する法整備は難航する。州ごとの動きが先行しており、西部ユタ州や南部アーカンソー州でも18歳未満のSNS利用を制限する法案が成立した・・・

透明な醤油

2024年4月20日   岡本全勝

4月12日の日経新聞に「透明しょうゆは不適切?」が載っていました。

・・・このコラムで以前、片手で食べられる棒状の「豆腐バー」を紹介した。
豆腐メーカーのアサヒコ(東京・新宿)に中途入社したばかりの社員が米国の小売店を視察。すると日本より硬い食感の豆腐が、肉類など他のたんぱく質の食品と一緒に並んでいた。日本でも硬い豆腐を売りたいと意気込んだが「豆腐は柔らかいもの」との固定観念から周りに反対される。
しかし社内を説得し、チキンバーのような硬い豆腐バーを開発した。これがセブンーイレブン・ジャパンなどで飛ぶように売れて、この転職社員は後に社長まで上り詰めた・・・

次に、透明醤油が紹介されています。熊本市の醤油会社フンドーダイが作っています。保育園では、子どもはこぼすし、醤油で汚れた服は洗っても取れにくいので需要があります。さらに海外の料理人が料理の隠し味として使いやすいと歓迎しています。

そんなのが、あるのですね。知りませんでした。「むらさき」という醤油の隠語は、この商品だとどう呼ぶのでしょうか。

「月刊うめさお」

2024年4月19日   岡本全勝

梅棹忠夫先生が、60歳を超えてから失明してご苦労されました。当時、食事が難しいこと、口に入らずこぼしてしまうことを書いておられて、なるほどと思いました。『夜はまだ明けぬか
ところが、その条件の下でたくさんの書物を出されました。私も梅棹先生の視野の広い発想を尊敬していましたが、これには驚きました。当時「月刊うめさお」と呼ばれていました。

検索すると、朝日新聞デジタル版「生誕100年、梅棹忠夫さんなら今なに思う」(2020年6月12日)に息子さんが書いていました。
・・・中国から帰国後、ウイルスによる視神経炎のため、視力を失った。マヤオさんは「当時65歳だった父の失意は深かった。しかし、周囲のサポートによって口述筆記で全23巻の『梅棹忠夫著作集』を刊行し、『月刊うめさお』といわれるほど多くの本を出した。それだけ多くの知の引き出しを持っていた」と振り返る・・・

ある人から「全勝さん、よく原稿が続きますねえ」と言われました。褒められたのか、あきれられたのか分かりませんが。1か月に3回の連載「公共を創る」の執筆は大変な負担です。そのほかに、コメントライナーが2か月に1回程度です。短い文章ながら日刊の、このホームページもあります。
で、「月刊うめさお」を思いだして、「週刊おかもと」やなあと思いました。もっとも梅棹先生のは内容の濃い本ですが、私の原稿は内容も文字数もたいしたことはありません。比較すると、梅棹先生に失礼です。

日本企業と韓国企業の勢いの違い

2024年4月19日   岡本全勝

4月16日の朝日新聞「「石」に魅せられて6」「もう一度日本で、最後のチャンス」から。

・・・2008年11月、東芝の子会社で役員をしていた宮本順一(74)に一本の電話がかかってきた。「外資系の会社が、宮本さんに興味を持っています」
宮本は、東芝が1987年に世界で初めて発明した「NAND型フラッシュメモリー」に携わってきた技術者だ。
電話口の相手は、自分は本当はヘッドハンターだ、と明かした。社内で話すのはまずいと思い、メールを送ってもらうよう頼んで電話を切った。退職後の職を探していた時だったので、ひとまず会うことにした。後日、待ち合わせの場所に行くと、やってきたのは長年のライバル、韓国サムスン電子の社員だった・・・

・・・退職して1カ月後の2009年9月、フラッシュ開発室の顧問として入社した。
そこから2年4カ月、「サムスン流」を目の当たりにした。
「ダイナミック、アグレッシブ、フレキシブル(大胆、積極的、柔軟)」サムスンを表現する言葉として、宮本はこの三つを挙げる。
サムスンには、李健熙(イゴンヒ)会長(故人)の「妻と子以外は全て変えろ」という言葉がある。変わることが良いことだと考えられているようだった・・・

長期停滞を長引かせたのは、技術や資金ではありません。日本企業と日本人の姿勢、気構えが大きな原因だったと、私は考えています。