「月刊うめさお」

梅棹忠夫先生が、60歳を超えてから失明してご苦労されました。当時、食事が難しいこと、口に入らずこぼしてしまうことを書いておられて、なるほどと思いました。『夜はまだ明けぬか
ところが、その条件の下でたくさんの書物を出されました。私も梅棹先生の視野の広い発想を尊敬していましたが、これには驚きました。当時「月刊うめさお」と呼ばれていました。

検索すると、朝日新聞デジタル版「生誕100年、梅棹忠夫さんなら今なに思う」(2020年6月12日)に息子さんが書いていました。
・・・中国から帰国後、ウイルスによる視神経炎のため、視力を失った。マヤオさんは「当時65歳だった父の失意は深かった。しかし、周囲のサポートによって口述筆記で全23巻の『梅棹忠夫著作集』を刊行し、『月刊うめさお』といわれるほど多くの本を出した。それだけ多くの知の引き出しを持っていた」と振り返る・・・

ある人から「全勝さん、よく原稿が続きますねえ」と言われました。褒められたのか、あきれられたのか分かりませんが。1か月に3回の連載「公共を創る」の執筆は大変な負担です。そのほかに、コメントライナーが2か月に1回程度です。短い文章ながら日刊の、このホームページもあります。
で、「月刊うめさお」を思いだして、「週刊おかもと」やなあと思いました。もっとも梅棹先生のは内容の濃い本ですが、私の原稿は内容も文字数もたいしたことはありません。比較すると、梅棹先生に失礼です。