岡本全勝 のすべての投稿

拙著

今日、若い公務員が訪ねてきて、拙著「明るい係長講座」にサインを頼まれました。「ところで、あんた、どうしてその本を手に入れたの?」と聞くと、「富山県庁に通信販売でお願いしました」とのこと。増し刷りして、購入できるようです。コード番号19335と19336に、載ってます。「上級編は出ないのですか」との質問があったので、「それは、あなた達が書くべきだ」と答えました。

閣議決定の与党合意過程

18日のNHKニュースから。
・・18日開かれた自民党の政調全体会議で、政府の経済財政運営の基本方針いわゆる「骨太の方針」の素案に、歳出歳入の一体改革について、これまでの方針に沿って「最大限の削減を行う」という文言が盛り込まれたことに対し、社会保障費や公共事業費の削減は限界だとして見直しを求める意見が相次ぎました・・
この写真の左の列の途中から奥が、私たち役人です。諮問会議がつくった原案を閣議決定する前に、与党の合意が必要です。「骨太の方針」は、ほぼすべての省庁・自民党の部会に関係するので、全体会議で議論されていると考えられます。このニュースは自民党ですが、もちろん公明党も同じ手順を踏みます。内閣と与党の、いわゆる二元体制の現場です。私の大連載では、来月号で解説します。

政治の使用者責任

佐々木毅先生「政治は使用者責任をどう果たすか」月刊『公研』2007年6月号から。
・・政府が社会保険庁改革法案を提出し、その抜本的解体を試みるのは悪いことではないが、それを行えば責任問題は相殺できると考えているとすれば、これは見当違いである。民間の保険会社が未払い問題への応答を内部組織の変更で済ますわけにいかないように、政治が社保庁をどんなに叩いても国民は救われないからである。国民が怒るのは当然であるし、怒らない国民はどうかしている。
その結果として、役所を叩けば国民は溜飲を下げてくれるという固定観念に政治が訣別することにつながれば、これは不幸中の幸いである。国民は今や政治が役所を叩くことで政治の責任を果たせることができるかのような内輪の「古い物語」には、いささかうんざりしている。今年になってからも天下りの問題などでこうした手法は多用されたが、年金問題はそれを超えて政治の「使用者責任」へと国民の視点を向けさせた・・
この問題は何も今に始まった話ではなく、数年来の懸案であり、民間の保険会社であれば、金融庁から何度も業務停止命令を受け、廃業に追い込まれるような事態ではないか。このように「使用者責任」を役所叩きで代行させることはできないのである・・
公務員の採用から能力開発、評価と昇進、中途退職の扱い、退職と年金についてのシステム全体を掌握すること、そのための体制づくりが政治の任務になる。当然、現在の人事院の機能をどうするか、総務省や財務省などに拡散している諸権限をどう集中管理するか、有為な人材をどう集めるかといったことは、政治にしかできない仕事である。
この骨格部分の改革なしに、官民交流だとか、天下りの一元化とかいった事柄について、いわば「点」の議論をしても、その効果は所詮限定的である・・

2007.06.18

今日は、田村元交付税課長(平成3~5年)を囲む会に、行ってきました。当時、私は課長補佐でした。ふるさと創生、ゴールドプラン(介護)、公共投資基本計画430兆円、景気対策としての地方単独事業追加などなど。次々と仕事が増え、職員には苦労をかけました。国会質問も多く、交付税法の審議に、それぞれの院で1週間以上かかりました。パソコンもワープロもない時代です。
ひとしきり、当時の部下から、つるし上げを食らいました。うーん、毎回ですね。今となっては、懐かしい思い出です。そんなに忙しかったのに、「地方交付税」を連載していたのも、このころです。元部下の談、「最近、HPは面白くないですね」。ごめん、いろいろ難しいことがあって、言いたいことのすべては書けないのよ、西川君。

日米構造協議

朝日新聞16日の変転経済は、「改革の源流、日米構造協議」でした。1989に始まった日米構造協議で、90年1月にはアメリカが対日要求リストを提示しました。大規模小売店舗法の撤廃、独占禁止法の強化の他、公共投資の増額まで入っていました。それまで、日米交渉に縁のなかった自治省までが、巻き込まれました。日本は渋々ながら、これらを受け入れました。
アメリカは、財政赤字と経常赤字の双子の赤字に悩み、プラザ合意で為替調整をしても縮小しない日米貿易不均衡にいらだっていました。一方日本は円高不況を乗り越え、バブルに入っていました。
日本でも、前川リポート(1986年)などで、改革の必要が提唱されていました。しかし、自発的には進まず、外圧によって進んだのです。当時、日本で主張しても実現しない政策は、アメリカに「告げ口すると」実現すると、揶揄する人がいました。佐々木毅先生は、この政策過程を「横からの入力」と分析しておられました。「いま政治になにが可能か」(中公新書、1987年)、「政治はどこへ向かうのか」(中公新書、1992年)。