投稿者アーカイブ:岡本全勝

待機学童、実態は1.7倍

2024年10月18日   岡本全勝

9月24日の日経新聞に「見えぬ「待機学童」、実態は1.7倍」が載っていました。

・・・学童保育の受け皿が足りない。子どもを預けたい共働き世帯が増えているのに、保育所と比べて整備数が少ないためだ。2024年の待機児童は約1万8千人と過去最多となった。日本経済新聞の調査では、国の定義から漏れる隠れ待機児童を含めると、実態は1.7倍に上る。原因は子育て世代のニーズを国が正確に把握できていないことが大きい・・・

・・・こども家庭庁によると、学童保育の待機児童数は増加傾向にあり、24年5月時点で1万8462人と過去最多を記録した。かつて待機問題は保育所が目立っていたが19年に逆転。保育所は17年の約2万6千人をピークに減少し、24年は10分の1ほどの約2570人となっている。
12年に発足した第2次安倍晋三政権は女性活躍の旗印の下、受け皿を大幅に増やす目標を掲げた。この10年で保育所は約74万人分、学童保育も約58万人分が増えた。それでも受け皿の総数は23年時点で、保育所の320万人超に対し、学童保育は150万人超と半分以下だ。

さらに、国による待機児童の定義変更も実態を見えにくくしている。当時所管していた厚生労働省は19年度から、希望する学童保育とは別に利用可能な施設があるとみなすときは、待機児童の数に含めないことにした。具体的には、開いている時間帯に大きな差がない、最寄りでなくても一般的な交通手段で20〜30分程度の距離にあるといった場合を除いた。
日本経済新聞は東京23区と政令指定都市20市を対象に、新たな線引きに従って待機児童に含めない潜在的な待機数を調査した。回答があった40区市の合計は5月1日時点で2081人だった。国の基準で集計すると約3000人だが、足し上げると1.7倍の5100人となる。
潜在的な待機数が最も多かったのは、さいたま市で737人。国の集計基準による288人と合わせると1000人を超える。東京都の港区が281人、中野区が204人で続いた。両区の公表値は29人、8人だった・・・

絶品枝豆

2024年10月17日   岡本全勝

丹波篠山の黒枝豆って、知っていますか。話には聞いていたのですが、知人の竹見さんに、送ってもらいました。これまでに食べたことのない、おいしさです。「丹波篠山のたけみ農園」のサイトから、注文できます。10月下旬までだそうです。

地域で発売解禁日を設定するなど、品質管理に力を入れています。この後、月末にかけて表面が黄色みを帯び、中の豆は黒豆の黒みが出てきます。「美味しんぼ」で、腐った枝豆と評されたとのことです。

竹見さんは、自治体関係者には有名な「スーパー公務員」です。「2023年11月10日丹波篠山市で講演

記憶はデジタルより紙が有効

2024年10月17日   岡本全勝

9月23日の読売新聞に「デジタル教科書、巨額予算で推進ありき…学習効果の検証置き去り」が載っていました。ここで紹介するのは、その記事についていた囲み記事です。

・・・「記憶「紙が有効」研究も デジタル操作「認知負荷」高く」
学習の定着には、デジタルよりも紙を使った方が有効だとする研究データがある。専門家は「まずはデジタルの長所、短所を検証することが必要だ」と指摘している。

東京大などの研究チームは、日常的なスケジュール管理を再現する実験を実施。被験者を3グループに分け、〈1〉紙の手帳にペンで書く〈2〉タブレット型端末に専用ペンで書く〈3〉スマートフォンに入力する――の三つを比較した。その結果、紙の手帳にスケジュールを書き留めた方が、電子機器を使う時よりも短時間で記憶できることがわかった。手帳に書き込んだグループの脳の状態を見ると、言語、視覚、記憶に関わる領域の血流が増え、活動量が増えていた。

研究チームの酒井邦嘉・東大教授(言語脳科学)は「紙の本は(情報が載っている)位置関係など、記憶の手がかりが豊富にあるが、デジタル画面では限定的だ。学習効果の根拠がないままデジタル活用の議論が進めば、学力低下を招きかねない」と危惧する。

群馬大の柴田博仁教授(認知科学)によると、子どもにとってデジタル機器の操作は、思考を中断させる「認知負荷」が高くなる傾向が見られるという。柴田教授は「デジタル教科書のデメリットを含めた検証が足りておらず、デジタルだけに偏るのは時期尚早だ」としている・・・

川北英隆先生のブログ2

2024年10月16日   岡本全勝

以前にも紹介した「川北英隆先生のブログ」です。山歩きの記を楽しみに読んでいます。京都や奈良近くに、低いけどよい山があるのですね。

時々、更新されない日が続きます。「きっと、遠征に行っておられるのだな」と想像しています。当たりです。
ギリシャ、オリンポス山など」(続き)「インド北西部の端、ラダック地方」(続き)「南米パタゴニア」(続き)。このリンクを張ったページの後のページに、山歩きの記が写真入りで載っています。

社会保障制度の申請主義

2024年10月16日   岡本全勝

9月28日の朝日新聞夕刊、社会福祉士・横山北斗さんの「社会保障制度、迷わず使うために」「知らないのは罪ですか?―申請主義の壁―」から。

・・・コロナ禍による経済的困窮者が増えていた2020年12月。厚生労働省がツイッター(現X)に投稿した内容が話題になりました。
《生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください。》
SNS上で肯定的な受け止めが多かったのですが、裏を返せば、それほどまでに私たちの権利意識が希薄であるということかもしれません。それはつまり、社会保障制度に対し「お上からの施し」的な受け止めや、利用を我慢することにつながります。社会保障制度を名実ともにセーフティーネットにするためには、私たちがそれを行使することが当たり前だと認識している状況に社会を変えていくことが必要です・・・
・・・私たちの生存権(憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活」)を実現するために社会保障制度は整備されてきました。ですが、その利用は自力で制度の情報を収集・選択し、物理的・能力的に申請手続きが可能であることを前提としているため、それを自力で行うことが難しい人たちが排除され、より困った状況に陥ったり、生活・生命の危機に瀕したりする可能性があります・・・

・・・申請プロセスでの障壁や、制度の利用が権利であるという意識の希薄さ、国や自治体が行う施策の乏しさが、生存権の実現という社会保障制度の目的を果たすことを難しくさせています。
こうした矛盾はどのように生じたのか。歴史をひもといてみます。

1946年制定の旧生活保護法では生活保護を申請する権利は認められておらず、市町村長が必要だと認めた場合にのみ利用できました。それでは憲法25条の精神に反するとして、50年制定の新たな生活保護法に保護請求権が盛り込まれました。生活保護は原則、本人の申請で開始され、家族や同居の親族にも申請が認められるようになったのです。
生活保護以外の社会保障制度(障害者福祉、児童福祉、高齢者福祉など)は戦後長く、行政が職権で必要性を判断し、サービスの種類・提供機関を決定する仕組み(措置制度)で提供され、自由にサービスを選ぶことができませんでした。
90年代の構造改革を経て、措置制度から契約制度へと移行が進みました。利用者は制度やサービスを選択し、それを提供する事業者との間で契約を交わす形で、申請を前提に提供されるようになりました。2000年の介護保険制度開始に伴う介護サービスの提供、さらに障害福祉サービスと続きました。
申請する権利を得た社会は、制度やサービスを自ら調べ、理解し、選択し、申請をするというプロセスを一般化させました。結果、社会保障制度はそのアクセスに障壁を生じさせ、国民の生存権保障という目的を果たすことが困難になるという自己矛盾を抱えることになりました。

解消するには、申請する権利の行使をサポートする施策を、社会に網の目のように張り巡らせること、私たちが権利意識を高めることが必要です。後者については例えば、義務教育など人生における早い時期に、社会保障制度の利用が権利であることを学び、私たちをサポートする制度についても知る機会が不可欠だと考えます。
学校に当たり前のように通ってきた人は、自分が教育を受ける権利を行使してきたことを強く認識することはないでしょう。それが日常的で、当たり前のものだと感じているからです。社会保障制度の利用も、そのような未来をたぐり寄せることができるでしょうか・・・