岡本全勝 のすべての投稿

ホームページの似顔絵と本人

先日の出来事です。
記者さんと名刺の交換をしたら、「いやー、ホームページの似顔絵そのままですね」と、言われました。
「私のホームページを、見てくださっているのですか」と聞くと、「利用させてもらっています」とのこと。ありがたいことです。

2008.06.09

玄関横の夏椿が、花を咲かせました。最も高いところに、2輪です。去年の記録を見たら、5月末には咲き始め、今ごろは盛りでした。今年は咲くのも遅く、つぼみの数も少ないです。

2008.06.08

8日の朝日新聞補助線は、多賀谷克彦編集委員の「地方分権を読み解く。推進委の孤立、避けよ」でした。
・・勧告を踏まえた政府の対応は、今月中にも公表される。といっても、農水省は農地転用の権限移譲を認めておらず、他の案件でも霞ヶ関の抵抗は強い。こんな話もある。国営公園の管理をめぐって、丹羽氏が「なぜ都道府県に任せられないのですか。県の管理と国の管理で草の育ち方が違うのですか」と聞くと、国交省の担当官は真顔で「全然違います」と答えたという・・
丹羽氏は「分権の成否は国民の支持とリーダーシップにかかっている」と言う。それだけに、今回の提言への関心があまり高くないことが気がかりだ。分権は疲弊し続ける地域経済に道を開く。経済界からの力強いサポートがあっていいはずだ。「丹羽委員会」を孤立させてはならない。

石油危機の歴史

8日の朝日新聞時時刻刻が「迫る第3次石油危機」を解説していました。その中で、第1次・第2次の石油危機と今回を対比した表を載せています。
第1次石油危機(1973・74年)では、1バレル当たり3ドルが12ドルまで4倍に上昇。物価上昇率は20%に達しました。トイレットペーパーなどが店先から消え、戦後初めてマイナス成長になりました。第2次危機(1978~82年)では、1バレル12ドルが34ドルに、約3倍になりました。物価は8%上昇しましたが、社会での混乱は生じませんでした。
今回(2003年~)は、1バレル25ドルが現在140ドル近く、5倍になっています。今のところ、物価上昇にはならず、景気は(もともと弱いですが)減速していません。
かなり耐性がついたようです。エネルギー源に占める石油の割合は、1973年度の77%から、現在は50%以下に落ちています。発電は、75年には石油火力が62%だったものが、現在は8%。発電効率は3割から5割に上がっています。
24日の日経新聞経済教室は、吉川洋教授の「社会保障国民会議ー中間報告の焦点」でした。

6月8日 日本社会教育学会(六月集会)「博物館のアウトプットと予算査定」

(博物館の予算と機能)
今日は、社会教育学会で、「博物館のアウトプットと予算査定」という討論会に出てきました。博物館予算の現状とあり方についての議論です。1990年代に、ふるさと創生事業もあり、各地で箱ものができました。それが終わるとともに、財政悪化により、運営費の削減、さらには民間委託・指定管理者制度も進んでいます。「これで良いのか」という問題関心からです。私にとっても、改めて官の役割を考える機会になりました。
これまでは、官主導で博物館を作ってきました。しかし、官は箱ものづくりは得意ですが、内容になると不得手です。博物館の予算は、箱もの整備・維持管理・展示・教育研究に分けることができます。前2者は他の施設と同様に、効率化を進めるべきでしょう。ところが、あとの2つはその基準には当てはまらないのです。展示(ものを集める)は、どうあるべきか。その際に、民間立施設との役割分担・官としての関わりをどう整理するか問題になります。
教育研究は、もっと別の観点が必要になります。一つの博物館でフルセットは無理ですから、多くの同業者とネットワークを組む、例えば生物なら生物学会・研究者とのネットワークが課題になるのでしょう。すると、博物館予算という発想では、限界があるように思えます。
さて、私が公立博物館の現場にいたら、県庁に予算要求しつつ、他にいろんなところからの資金を探すことになるのでしょう。昔読んだ、梅棹忠夫先生の「研究経営論」を思い出しました。また、仕事の大半は、県内外の研究者や学校の先生などの情報結節点になるような気がしました。大学の研究室と、同じなんでしょうね。いえ、私たち官僚も、関心ある研究者や記者さんを巻き込み、発信することが重要です。私なりに、それを実践しています。