投稿者アーカイブ:岡本全勝

モノから関係へ、行政の役割変化

2025年1月14日   岡本全勝

拙著『新地方自治入門』(2003年、時事通信社)で、行政のこれまでとこれからを論じました。そのあとがきに、「モノとサービスの20世紀から、関係と参加の21世紀へ変わることが必要」と書きました。
発展期の行政は、モノとサービスの提供を増やすことが役割でしたが、豊かな社会を達成すると、課題は人と人との関係や役所からの提供ではなく、住民が参加することが重要になるという主張です。この時点では、孤独と孤立問題の重要性に気がついていませんでした。

その後、孤独と孤立が問題になりました。阪神・淡路大震災、東日本大震災でも、孤独と孤立は問題になり、対策を打ちました。しかし、この問題は被災地だけでなく、日常生活に広がっています。
連載「公共を創る」で説明しているように、自由な社会は、どこで暮らすか、どのような職業を選ぶか、結婚するかどうかといった自由を実現しましたが、他方で孤独も連れてきたのです。他者とのつながりは、行政や企業が一方的に提供できるものではなく、本人の参加が必要となります。

この変化の一つの例が、住宅政策です。当初の住宅政策は、不足する住宅の提供、安価で質のよい住宅の提供でした。しかし、住宅は余り、空き家が増えています。他方で、孤立や孤独死が問題になっています。モノとサービスの提供から、関係と参加の確保が課題なのです。土木部ではなく福祉部・住民部の仕事に移っています。

大学教育、教える教育から育てる教育へ

2025年1月14日   岡本全勝

12月18日の日経新聞大学欄、日色保・経済同友会副代表幹事の「経済界が求める大学教育とは」から。

大学が実学教育を重視するなど、ビジネス界で活躍できる人づくりを進めている。その一方で若手社員の相次ぐ離職など、人材活用が進んでいない面もある。経済界は日本の大学教育に何を求めているのか。日本マクドナルドホールディングス(HD)社長兼最高経営責任者(CEO)で経済同友会副代表幹事を務める日色保氏に聞いた。

――今の大学生をどうみていますか。
「今の学生は昔に比べると、たくさんの情報が外にあることもあり、客観的に自分のことやキャリアについて捉えていると感じる。その一方で、知識に偏りがあり、大学で本来習得するべき深い思考能力を得られていない。そういった能力の開発を企業は大学に期待しているが、大学の教育はやはり『教える教育』であり、『育てる教育』になっていない。そこがやはり一番の問題なのではないか」
「ただ、どういう人材がほしいか、大学側と十分な意思疎通を今までしてこなかったという企業側の反省もある。企業側は特に、人との議論の中で問いを立てて、仮説を検証し、深く学んでいくようなコミュニケーションスキルなどを企業に入る前に身につけてほしいと考えているが、大学側はどういう教育をしたら企業で活躍できるような人材になるか、よくわかっていない状態に陥ってしまっている」

―一部の大学は即戦力の育成との言葉を使っています。
「昨日の即戦力が明日の即戦力になるとは限らない。例えば、プログラミングの知識を持っていて、多少のコードを書けるくらいの人は山ほどいる。変化が激しい中でもフレキシブルに対応できるような学び方や自分のやり方を形成できる。それこそが即戦力なのではないか」

臣民、顧客、市民

2025年1月13日   岡本全勝

政府と国民の関係を表す際に「被治者、利用者、統治者」と分類して考えるとわかりやすいです。
1 被治者(臣民)は、民主主義でない政府があり(専政政治など)、国民は被治者の立場にあります。
2 利用者(顧客)は、民主政治はできているのですが、国民が十分に政治に参加せず、政府活動の利用者または消費者の立場にあります。
3 統治者(市民)は、国民が主権者としての役割を果たします。

1と2では、政府は「彼ら」であり、3では、政府は「われわれ」です。1と2では、税金は取られるものであり、3では、税金はわれわれにサービスが還元される原資です。

25年間の変化、楽観主義が怒りや恨みに変わった

2025年1月13日   岡本全勝

12月18日の朝日新聞、ポール・クルーグマン氏の「より良い世界に戻る道 恨みの支配は、長続きしない」から。

・・・ニューヨーク・タイムズに私がコラムを書くのは今回で最後となる。最初に執筆したのは2000年1月だった。この25年間で何が変わったかを振り返るのには、今回はちょうどいい機会である。

過去を振り返ってみて考えさせられるのは、米国と西側諸国の人々の多くが当時いかに楽観的であったかということであり、そしてその楽観主義がどれほど怒りや恨みに取って代わられてしまったかということである。私が話しているのは、エリート層に裏切られたと感じている労働者階級のことだけではない。現在の米国で最も怒りを抱き憤慨している人たちの中には、十分に称賛されていないと感じている億万長者たちもいる。

1999年から2000年初めにかけて、多くの米国人がどれほど良い気分でいたかを伝えるのは難しい。世論調査は、国の方向性に対する満足度が、今日の基準では非現実的に見えるほど高いことを示していた。欧州でもうまくいっているように見えた。特に1999年のユーロ導入は、政治と経済のより緊密な統合、欧州合衆国への一歩として広く歓迎された。
もちろん、全てが順調だったわけではない。例えば、クリントン政権時代の米国でも、Qアノンの原形のような陰謀論がすでにかなりあったし、国内テロの事例さえあった。アジアでは金融危機があり、これから起こる事態の前兆ととらえる米国人もいた。私は99年に出版した本で、同じようなことが米国でも起こりうると記した。10年後に改訂版を出版したのは、それが起こったときだった。

それでも、私がニューヨーク・タイムズへの執筆を始めた頃は、人々は将来にかなり明るい見通しを抱いていた。
この楽観主義はなぜ崩れ去ったのか。私の考えでは、エリート層への信頼が崩壊したのだ。物事を動かす人たちが自分で何をしているかをわかっているか、彼らを誠実だとみなしていいのか、その確信を国民はもはや持てなくなっている・・・

・・・最近では、イーロン・マスク氏をはじめとする一部のテック業界の億万長者たちが急激に右傾化したことが話題になっている。このことについては深く考えすぎるべきではないし、特にこれが「政治的正しさ」を訴えるリベラル派のせいだなどと騒ぐべきではない。基本的には、かつて世間から称賛を浴びていた金持ちたちが、世の中の全ての金をもってしても愛を買うことはできないのだと、今になって気づきつつあるという狭量さに帰結する。

では、厳しい状況から抜け出す方法はあるのだろうか。私が信じているのは、恨みによって悪い人が権力の座に就いたとしても、長期的にその座にとどまることはできないということである。国民はある時点で、エリート層を非難する政治家のほとんどが、実はあらゆる意味でエリート層そのものであるのだと気がつき、約束を果たせなかった責任を彼らに問い始めるだろう。国民はその時、権威を盾にした議論をせず、偽りの約束をせず、それでも精いっぱい真実を語ろうとする人々の意見に耳を傾けるようになるのかもしれない。
かつて持っていたような指導者への信頼を、私たちはもう二度と取り戻すことはないかもしれない。権力を持つ人々は一般的に真実を語り、自分が何をしているのかわかっている、という信頼だ。そして、それを取り戻すべきでもない。しかし、この瞬間も台頭しつつあるカキストクラシー、つまり最悪の人々による支配に立ち向かえば、最後にはより良い世界に戻る道が見つかるかもしれない・・・

市町村アカデミー機関誌2025年冬号

2025年1月12日   岡本全勝

市町村アカデミーの機関誌「アカデミア」令和7年冬号が発行されました。いくつか紹介しますので、関心ある方はその記事をお読みください。

西村浩・ワークヴィジョンズ 代表「縮退の時代に生き残るための新しいまちづくり実践論
谷口尚子・慶應大学教授「多様な人材の地方議会への参画促進
森戸裕一・ナレッジネットワーク社長「自治体DXの推進とタイムマネジメント
瀬田 史彦・東京大学准教授「人口減少社会におけるまちづくり関連計画の意義とポイント

自治体職員の方に事例紹介をしてもらうことにも、力を入れています。
埼玉県吉川市「デジタル化と住民サービス向上の取組」
福島県会津若松市「働き方改革に取り組む自治体のリアルすぎる挑戦の道のり」
栃木県宇都宮市「ネットワーク型コンパクトシティ形成に向けたまちづくり」
茨城県取手市「議会のペーパーレス化等」