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日本人、労働時間も生産性も低く

2026年2月1日   岡本全勝

1月6日の日経新聞「日本人は働いていないのか 時間は減少、生産性も低水準」から。

・・・厚生労働省の毎月勤労統計は1人あたりの所定内と所定外を合わせた「総実労働時間」を公表している。1990年時点では年平均2064時間、月平均172時間だったが、30年余りたった2024年時点だと年平均1643時間、月平均で136.9時間と当時から2割減っている。
背景にあるのはパート社員の増加だ。毎勤統計ではフルタイムで働く正社員より所定労働時間が短い人をパート社員としている。パートは実数も比率も右肩上がりで、比率は90年の12%が24年は30%台をつけている。
ニッセイ基礎研究所の斎藤太郎氏の試算によれば、労働時間が減った最大の要因は正社員から時短のパート社員への置き換わりだ。残業時間の上限が法定化した19年以降は正社員、パートのいずれも労働時間の減り幅が大きくなっている。

海外に比べても日本の労働時間は短い。経済協力開発機構(OECD)によると、日本は90年から24年にかけて20%減ったのに対し、米国は同じ間に4%の減少にとどまる。24年で比べれば、米国の方が日本より1割ほど長い時間働いている。

働く時間が短くても効率良く高い生産性で働いていれば問題ない。だが効率の落ち込みも日本は深刻だ。日本生産性本部の「時間あたり労働生産性」をみると、米国の4位に対し、日本は年々順位を落とし28位と主要7カ国(G7)で最下位だ・・・

「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」抄3

2026年2月1日   岡本全勝

「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」抄2の続きです。

「私の意識が間違っていた」
岡本氏が被災者対応で絶対に言わないと決めていた言葉があった。「それは私の仕事ではありません」だ。「私の役割はいわば電話交換手。支援を必要としている人を、適切な部署へとつなぐこと」
そんなふうに、官として政と付き合いながら仕事をしてきた岡本氏に、復興の現場で新たな出会いがあった。
それは「民」だ。
がれきの片付けから炊き出しといった緊急支援に始まり、商店街再興や地域のにぎわいづくりなど中長期の復興に至るまで、災害時にはさまざまなボランティアやNPOが活躍する。今や彼ら抜きでは復興はできないといってもいいだろう。「公」の役割を担うのは、公務員だけではないのだ。
岡本氏はそれまで、NPOと深く付き合ったことはなかった。彼らとの出会いは「衝撃だった」という。
「市民運動なんていう言葉もあって、霞が関の敵だと思っていた。でもこんなに志があって、仕事のできる人たちがいるなんて、と驚いた。復興の現場はNPOにまさにおんぶにだっこだった」

岡本氏はNPOの立場で現場で活躍していた田村太郎氏と藤沢烈氏を、被災地の実態調査をしてもらうべく、非常勤の国家公務員である復興庁の調査官に起用した。田村氏は阪神大震災の時に外国人支援をしたことがきっかけでこの世界に入った、災害対応の専門家だ。藤沢氏はコンサル会社勤務や社会起業家支援を経て、東日本大震災で復興支援を始めた。
岡本氏は2人を任命するときにこう言った。
「あんたら、私に使われてもいいのか。(NPOからすれば)裏切り者かもしれないよ。NPOが行政の下請けになる、と批判されるかもしれない」
すると2人はこう答えた。
「違います。我々のほうがやりたいことのために岡本さんを使うんです」
岡本氏にとってこの言葉もまた衝撃的だったという。「私の意識が間違っていた。行政がNPOを『使う』のではない。あくまでも対等で、社会を共に支える存在なんだとわかった」

彼ら2人には避難所の実態調査をしてもらった。公務員が相手だと遠慮したり警戒したりして本音を話さない住民も、民間が相手だと安心して打ち明けられることもある。
避難所の環境が劣悪だとわかり改善につなげた。復興庁では復興支援についてのさまざまな事業と予算で、NPOが利用できるものを一覧表にして示した。
NPOが担った役割に、たとえば仮設住宅の見守りがある。被災者の孤立を防ぐためには、ふだんからの見守りやこまめな声かけが重要だ。自治体職員にはそこまでの余裕はなく、ノウハウもない。そこでNPOに委託をした。これで失業した被災者に雇用も生み出すことができた。
田村氏は「これまで多くの公務員と仕事をしたことがあるが、岡本さんは、公務員とか民間といった立場をまったく気にしない数少ない人。理想と現実のバランス感覚も絶妙で、できないことも率直に話してくれた」という。

2015年、岡本氏は復興庁の次官となる。退任後は福島復興再生総局の事務局長に就任した。原発事故からの復興という前例のない難しい仕事で、政府と与党、地元の調整役を担った。
「復興の仕事に一発回答はない。とにかく少しずつ、今回はここまで、というのを水面下で瀬踏みしながら繰り返してきた」
週の半分は2泊3日で福島に通った。何度も何度も足を運び、根気強くていねいに交渉や説明を繰り返した。「震災発生直後からずっと復興に関わってきた岡本がやってここまでなら、しゃあない、と思われるのが理想だった」
そうやって10年近くがたった。
「退任が報じられると、多くの人から、『今やめるなんて』とおしかりを受けた。全部が全部、皆さんの期待に応えられなかったけれども、長年公務員として働いてきた自分だからこそできたことがあったのではないかと思います」

「政」と向き合い、時に翻弄された「官」の人生は、終盤に「民」と出会ってさらに豊かに深くなった。
岡本さん、おつかれさまでした。

「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」抄2

2026年2月1日   岡本全勝

「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」抄1の続きです。

「財務省がこいつだけは…」
震災が発生して1週間、岡本氏は官房副長官だった故・仙谷由人氏に官邸に呼び出された。被災者生活支援本部の事務局次長となる。
着任して2週間ほどたった時、職場の岡本氏の個室に仙谷氏がふらっとやってきた。会話の中で岡本氏が「なぜ僕を起用したんですか」と聞くと仙谷氏は言った。
「何人か候補がいたなかで、財務省がこいつだけは起用しないでください、と言ったのが君だったんや。君、何か悪いことでもしたんか」
「私は麻生総理の筆頭秘書官をやりましたから。普通は財務省出身者が就くポストだからじゃないですか」
私は仙谷氏にこのやりとりのことをたずねたことがある。岡本さんにそう言ったそうですね、と。仙谷氏はニヤッと笑ってこう答えた。
「人事とはそういうものやな」
仙谷氏一流の言い方だが、財務省が「毛嫌い」した岡本氏のことを仙谷氏はあちこちに聞いてみた。すると剛腕という評判で、それゆえにあつれきも生んできた。だが復興という難しい仕事をするうえでは剛腕くらいがちょうどいい、ということだったのだろう。

岡本氏は当初「自民党の首相の筆頭秘書官だったのに、民主党政権に仕えていいのかなと思った」というが、次第に復興の仕事は「天職」と思うようになった。
「官邸が動く仕組みも知っているし、役人生活で交付税や分権の仕事をしていたので与野党の政治家ともネットワークがある。自治省出身だから、自治体の現場も知っている。霞が関の各省幹部も秘書官時代に知っていたし、福島、宮城、岩手の副知事も知り合いだった」
人脈と経験を生かし、中央と地方、省庁の縦割りをものともせず猛烈に働きまくった岡本氏の様子を、仙谷氏は「霞が関の治外法権」と表現した。
(抄3に続く)

「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」抄1

2026年2月1日   岡本全勝

朝日新聞「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」」 2020年10月11日配信が、ウェッブで見ることができなくなりました。そこで、ここに抄録しておきます。

発足したての菅政権についての多くのニュースが新聞を埋めていた9月19日、紙面の片隅にひっそりと小さな記事が載った。
福島復興再生総局事務局長の岡本全勝氏(65)が退任――。2011年以来9年半、東日本大震災の復興に取り組んできた末のことだった。
岡本氏は1978年に旧自治省に入省。地方財政や交付税の仕事に携わり、省庁再編で総務省となってからも順調にキャリアを積み上げてきた。著書も多く、2002年からは自身のウェブサイトを作ってまめに更新。公務員の仕事の内容や、業務で自分の役割を楽しくかつうまく果たすこつなどを発信し続けた。

一種の「名物官僚」として霞が関・永田町かいわいでは知られていた岡本氏だったが、名が世間に広まったのは麻生太郎首相の時に、筆頭格の秘書官に起用されたからだ。通常、首相秘書官は財務、経産、外務、警察の各省庁から起用される。総務省から、しかも筆頭格でというのは異例だった。
麻生氏が首相になる前に総務相だった時、岡本氏は国会担当の総務課長だった。国会答弁がある日には朝から打ち合わせで、担当課長が麻生氏に説明し、岡本氏も同席した。総務省の業務は多岐にわたるから、説明も長くなる。
そこで岡本氏が進行役をして「これは、ここがポイントです」「これは、この通りに読んでください」「この答えでは質問している議員は納得しないでしょうから、次のように答えてください」などとさばいた。そこから麻生氏の信頼を得て、さまざまな相談もされるようになった。

首相秘書官に就任した岡本氏は、麻生政権を官邸の中枢で支えた。イタリアの高級帽子ボルサリーノを愛用する姿は目をひき、異例の起用だったこともあってか、「官邸の怪人」などと揶揄されもした。ちなみに今は麻生氏のトレードマークがボルサリーノとなっているが、岡本氏によると、彼のほうが麻生氏よりも先なのだという。
麻生政権時代、首相がイタリア・ローマに外遊したことがあった。もちろん岡本氏も随行した。宿泊したホテルの隣がボルサリーノの店だった。仕事を終えた岡本氏が買い物に行くと、「総理がついてこられた」。それぞれ自分の気に入った帽子を購入したのだとか。

話を元に戻す。ご存じのように麻生首相は09年の衆院選で敗れ、政権を民主党に明け渡す。岡本氏も消防大学校の校長に転任した。さらには自治大学校の校長となる。
岡本氏が霞が関で政権中枢にかかわるような仕事をすることはもうないと思われた。が、人生何があるかわからない。再び出番がやってきた。東日本大震災が起きたからだった。
抄2に続く)

福島民友新聞に出ました

2026年1月31日   岡本全勝

1月31日の福島民友新聞「衆議院選ふくしま 識者の考え 復興・創生」に私の意見が載りました。「1.6兆円の第3期予算 実情に沿う活用重要」です。
・・・2月8日投開票の衆院選は公示後初の週末を迎え、政策の浸透を図る各候補の訴えは一層熱を帯びている。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から15年を迎えようとする中、復興や人口減少など本県が抱える課題はもちろん、刻一刻と変化する経済や国際情勢に政治はどう向き合うべきか、専門家に聞いた・・・

復興予算額について問われたので、地元の意見を聞いて作られたものであること、金額の多寡ではなく課題に沿った使い方が重要だと答えました。福島の原発事故被災地の復興は、予算額を増やせば達成できるものではありません。時間がかかりますが、政府が責任を持って成し遂げなければなりません。
政治家の役割を問われたので、国と地方の協議の場を法定してあり、毎年、大臣たちが福島に出向いて議論を続けること、首相が被災地を訪問し続けることが重要と話しました。
除去土壌の県外運び出しについては、全国で共有しなければなりませんが、福島第一原子力発電所の恩恵を受けてきた首都圏がまずは引き受けるべきではないかとも話しました。