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日本の保守主義、宇野先生の論考

月刊『中央公論』1月号に、宇野重規・東大教授が、「日本の保守主義、その「本流」はどこにあるか」を書いておられます。
・・現代は、「保守主義者」が溢れている時代である。それでは、そのような保守主義者たちは、いったい何を「保守」しようとしているのか。日本の歴史や文化、国家観といったものから、自然環境や国土、家族や共同体、さらには人間の生き方や組織のあり方まで、その内容は実に幅広い。
とはいえ、その中身を深く検討すれば、多くの保守主義者たちの間で、実はほとんど共有するものがないことがわかるだろう・・
として、エドマンド・バークの保守主義(イギリスが歴史の中で作り上げてきた自由を守るための反フランス革命)、明治維新期の保守主義、明治憲法下での保守主義(伊藤博文ほか)、戦後の保守主義(吉田茂ほか)、大平正芳首相の試みなどから、日本の保守主義を解説しておられます(合計14ページ)。一読をお勧めします。
日本ではいつの頃からか、新しいことはよいことで、古いことは「古めかしい」と否定的な評価を受けるようになりました。これは、畳と女房に限らず、新車も鮮魚も新築住宅もです。明治以来政治的にも、「進歩」や「改革」が価値を持ち、「保守」や「伝統」を名乗る政党や新聞社はあまり見かけません。政党や政治家さらにはマスコミが訴える政策も「大胆な改革」であり、「保守」「守旧」といった単語を見ることはありません。
政治や言論の世界で「保守」が成り立つためには、2つの要素が必要でしょう。1つは、対立する勢力・理論として「革新」があること。もう一つは、守るべき「伝統」「価値」を明らかにすることです。
戦後日本では、革新を名乗る党派が社会主義や共産革命を目指し、挫折しつつも、その旗を降ろしませんでした。他方で、軍国主義復活を訴える勢力は、敗戦を経験した国民に支持を受けることはできませんでした。そして、自民党が革新勢力に対する「保守」という位置づけにありながら、改革を進めてきました。「革命」と「改革」のシンボル争い、あるいは路線争いにおいて、保守による「改革」が国民の支持を得たのです。
現在日本において、「保守主義」の対立語は、何でしょうか。ほぼすべての政治家や政党が改革を標榜する中で、そして自民党が改革を主導する中で「保守主義」が成り立つためには、それに対立する「××主義」が必要なのです。これは、政党だけでなく、言論界・マスコミの責任でもあります。
もう一つの守るべき「伝統」も、あいまいです。論者によって異なるのでしょうが、共通理解がないようです。これは、改革側が何を破壊するのかを明確にしないので、守る側も何を保守するかが曖昧になるのでしょう。また、保守主義の位置に立つ自民党や議員が改革を主張する、しかもしばしば「聖域なき改革」を掲げていることも、混乱を招きます。
主要政党がすべて「改革」を掲げる中で差別化を試みるなら、「急進的改革」か「漸進的改革」しかないでしょう。もちろん、特定分野(利益集団)については「守り」、それ以外の分野では「改革」という、利益や社会集団による差別化があります。
国民の多くが、主義や思想より、現世利益・豊かさや便利さを重視する現代日本社会にあっては、生活の安定という「伝統」と経済発展や便利さという「改革」が、同居しています。また、お正月の初詣、お葬式といった生活慣習において、伝統様式と伝統的精神を守っています。政党やマスコミの議論を横目に、国民は日常の生活において、保守と改革を使い分けているのでしょう。
国民にとって、路線争いよりも日々の生活が重要です。これは現代日本に限ったことではないですが。経済がそこそこ良好で、社会が安定し、それなりに幸せなら、主義主張の対立は興味を呼びません。路線対立が先鋭化するのは、その社会の危機(革命時)や社会内の亀裂が大きくなった時でしょう。そう考えれば、現在の日本の政治や言論界で路線対立が盛り上がらないことは、よいことなのかもしれません(同号では、「論壇は何を論じてきたか」という鼎談も載っています)。
この問題は、このような短い記述では議論しにくいことであることを承知で、書いてみました。宇野先生の論文を読まれることをお薦めします。すみません、本屋には、もう2月号が並んでいます。

被災企業支援、阪神淡路との違い

1月16日の読売新聞連載「教訓阪神大震災20年」第5回は、「企業支援、脱付け焼き刃」でした。阪神大震災の際にはなかった、中小企業の復旧支援制度が紹介されていました。これは、東日本大震災に際して、経済産業省中小企業庁が作ってくれた制度です。「グループ補助金」と略称しています。被災企業が複数で共同して事業復興計画を作り、地域の復興に貢献すると認められると、施設設備復旧費の4分の3の金額が国費で補助されます。これまでに、約1万社がこの補助を受けています(最近の採択例)。かつては、「民間企業は、自己責任で事業を行うもの」というのが「行政の哲学」でした(どこにも書いていない不文法でしょうか)。よって、儲けも損も、会社次第。災害があっても、政府は緊急に低利融資を行う程度でした。今回の大震災では、大きく転換して、被災企業の復旧を国費で支援しています。その代表がこの補助金です。また、工場や店舗を無料で貸し出すこともしています。
記事には、次のように書かれています。
・・過去の災害での中小企業支援は、低利融資が関の山だった。グループを「地域復興のリード役」とみなし、公費を民間企業に直接投入する大胆な試みは、震災後に急きょ検討され、3か月足らずで打ち出された・・
私も、この英断に驚きました。何度も繰り返しているように、インフラや住宅が復旧しただけでは、町の賑わいも地域の生活も戻りません。働く場や商店が必要なのです。都会で、店を開けばお客がたくさん来て儲かるところなら、民間企業の自主性に任せておけばすみます。しかし、過疎地では、高齢化した店主が事業再開をあきらめる場合も多いのです。
これまで、グループ補助金に使った総額は、1万社に対し、4,500億円です。これによって、再開した工場で働くことができ、町の賑わいが戻り、再開した商店で買い物ができるのです。これをしなかった場合の失業者や生活保護の増加といった「財政の損得勘定」だけでなく、金銭評価できない、家族の喜び、町の賑わい、暮らしの便利さにも大きな効果がありました。関係者からは、「ヒット作」と評価されています(もちろん、何でも国費で支援すればよいといったものでもありません)。
的確な記事を書いていただき、ありがとうございます。インターネットで読めないことが残念ですが。

住宅再建の加速、隘路打開

昨日16日、第8回の住宅再建・復興まちづくりの加速化のためのタスクフォースを開催し、これまでの対策の成果を確認するとともに、隘路打開のための対策をまとめました。「隘路打開のための総合対策」。
NHKニュースにもあるように、災害公営住宅整備事業の8割、高台移転の9割で工事が始まっているものの、完成したのは災害公営住宅で1割、高台移転で3割(地区数)です。工事には一定の期間がかかります。しかし、一日でも早く入居していただけるように、関係者が様々な工夫をしています。全国から職員を集め、公費で生コンのプラントを作ったり、家が建った場合に登記が素早くできるように法務局と連携をとったりというように、知恵を出してもらっています。こんな知恵も出しているんだと、驚きます。とともに、知恵を出してくださっている関係者に感謝します。

美術館巡り

先週は、3連休がありました。久しぶりに、美術館巡りをしました(あっという間に、1週間が経ちました。その日に書いておかないと、古くなります。反省)。
まずは、日本橋へ。福島県のアンテナショップ「ミデッテ」に寄ったら、古い友人とばったり。福島県の売り子に徹して、商品を勧めました。彼は最初、私に気づかず、「何で、黒い中折れ帽をかぶったおじさんが、商品を売っているのだろう」と思ったそうです。しかも関西弁で、福島の商品を説明するのですから(苦笑)。
三井記念美術館では、「雪と月と花展」。国宝「雪松図屏風」(円山応挙筆)が鎮座まします。これを飾ってある室は、この国宝を展示するために、設計されているのだそうです。部屋に入ると正面一杯に、屏風が見えるのです。もっとも、私たちが見に行く時は観客がいっぱいで、かつガラスに近寄って細部を観察している客もおられるので、全体をきれいに眺めることはできません。
お隣の日本橋三越では、「東山魁夷 わが愛しのコレクション展」。作品もよかったですが、画伯が使っておられた絵の具の数がすごかったです。少しずつ違う色の岩絵の具が、ガラスビンに入ってびっしり並んでいます。プロは違うなと、思わせます。
翌日は職場から、根津美術館へ。「動物礼讃。大英博物館から双羊尊がやってきた」。表題の尊のほか、泉屋博古館蔵「虎卣」も久しぶりにご対面。私の書斎の机には、このミニチュアの文鎮が飾ってあります。でも、この意匠は何なのでしょう。
根津美術館の「饕餮文方盉」3つも大きくて、いつ見ても存在感があります。殷王朝の宮廷では、これら青銅器がどのように使われていたのでしょうね。当時は青く錆びてなく、金色だったはずです。こんなにたくさん酒器ばかり作って、どのように酒を飲んでいたのでしょう。
根津美術館のもう一つの魅力は、庭園です。これが都心にあるのかと思うくらいの、静かな森です。庭園マップについているカメラマークをクリックして、風景をご覧ください。特に番号やアルファベットの振っていないカメラマークが、景色を楽しむことができます。敷地の割にはたくさんの茶室と石像物などを並べてあって、そこが少し興ざめですが。
そこから、美術館通りを歩いて、山種美術館へ。「東山魁夷と日本の四季」へ。満足して帰りました。期間が終わりに近づいている展覧会もあります。お早めにどうぞ。

各国の国民性、問題が起きたら

孫引きで申し訳ありません。笹川陽平・日本財団会長のブログ(1月16日)に、石弘之さんの年賀状が紹介されていました。石先生は、先日紹介した『感染症の世界史』の著者です。実はこの本も、このブログで知ったのです。
・・昨年も世界ではさまざまな問題がありました。問題が発生したら、各国はどんな対処をしたでしょうか?
アメリカ コンサルタントと弁護士を雇う
フランス 大議論のあげく問題がさらに深刻化する
ドイツ  すべてオッシー(旧東ドイツ人)のせいにする
ロシア  関係者全員を逮捕する
スイス  国民投票にかける
スウェーデン  イケアのサポートデスクに電話する
ギリシャ  政府も企業も商店も全部閉鎖する
中国  わが国にはそのような問題は存在しないと声明を発表する
韓国  日本に抗議する
日本  第三者委員会を組織する
さて、ことしはどんな「第三者委員会」ができるのでしょうか・・

これには、笑いました。この手の笑い話は、いくつかあります。有名なのは、あることを調べる場合とか、船が遭難した際に救命ボートが不足した時の対処の仕方とか。各国の国民性を端的にとらえて、クスッとさせます。前者の場合、日本人は「他国の研究を調べる」であり、後者は「皆さん飛び込んでいますと呼びかけると、日本人は海に飛び込む」というのがオチです。
ところで、今回の問題発生時の対処についてですが、なかなか的を射ていますね。このホームページでも、先日、朝日新聞の第三者委員会を批判しました。すると、あまり笑えない小話です。