岡本全勝 のすべての投稿

西洋優位の根拠が失われた末に

9月28日の読売新聞「あすへの考」、イアン・モリス・スタンフォード大学教授の「揺らぐ米欧「民主主義は最良か」」から。

・・・西洋は19世紀半ば以降、世界を支配し、欧米の白人男性であれば凡庸であっても快適な生活が送れた。しかし21世紀に入り、中国が強大な「世界の工場」になったことで、米国でも製造業の白人労働者らが困窮する事態に陥った。トランプ陣営の標語は、白人男性らの悲痛な叫びでもあるのです。
西洋は西洋が世界を支配する根拠は、紀元前5世紀の都市国家アテネの民主制に象徴される、古典古代文明の卓越にあると主張してきた。ところが第2次大戦後、敗戦国の日本が高度成長を遂げて西欧を追い抜き、世界一の米国に迫る状況が発生する。西洋優位の鍵が古典古代の「卓越」とする限り、日本の躍進は説明できない。西洋優位の根拠が失われたのです・・・

・・・東洋に先んじた理由は古典古代の「卓越」ではなく、地理的条件だ。農耕で先行した約2000年の「時間差」をもとに西洋は西暦6世紀までは優位を維持した。
6世紀中頃、ペストが東西世界で猛威をふるいます。いち早く復興したのは東洋(中国)です。隋の時代の7世紀に運河を整備します。それ以前の世界の主役はローマ帝国で、地中海交易で繁栄した。隋の運河系統は私に言わせれば「中国の地中海」。それを動脈として中国は発展し、以後1200年ほど東洋(中国)が西洋に対して優位を保ち続けます。
・・・世界の交易の主舞台は「海」から「大洋」に移ります。ただ明は対外交易を制限する。中華帝国は既に豊かであり、西欧やアフリカと交易しても大きな利益は望めないと判断した。これが再度の優位逆転をもたらすことになります。
中国から学んだ西洋で大型帆船が建造され、大西洋を渡った先の南北アメリカが新たな富の源泉になる。産業革命を起こした英国が大洋を支配し、北米を中心に植民地を広げ、グローバル化を推進します・・・

・・・私は2010年に、「2103年に東洋は西洋をしのぐ」という説を公表しました。私なりの「社会発展指数」を尺度とした予測で、東西の世界がそれぞれ従来の歩みを続けるのが前提でした。その後の15年の間に不測の出来事が起きました。英国のEU離脱、トランプ大統領の登場、民主主義の後退、ロシアのウクライナ侵略、AI(人工知能)革命などです。
国民国家を枠組みとする近代民主主義は2世紀以上続いてきた。国家経営上、有効だったからです。米欧の民主主義陣営は第1次大戦、第2次大戦、対ソ冷戦にそれぞれ勝利しました。
しかし、米中対立の時代を迎え、米欧で「民主主義は今日も最良の統治制度なのか」「多数決に縛られることなく、強力な為政者が政策を断行する方が有効ではないのか」との自問が続いています。ポピュリズムの台頭やトランプ現象はその表れでもある・・・

従業員を増やす企業、減らす企業

10月15日の日経新聞に「日立、送配電機器部門で世界1.5万人追加採用 AI特需対応へ3割増」が載っていました。
・・・日立製作所は送配電設備の分野で2027年までに1万5000人を追加で採用する。欧米やインドなど世界で開発・生産体制を整備する。電力を大量消費する人工知能(AI)向けデータセンターの増加により、世界的に送配電能力が不足している。電力インフラの増強を支え、AI普及を後押しする・・・

久しぶりに、元気な話題を聞きました。この30年間、企業はリストラを進め、従業員を減らしました。しかし、おかしいですよね。業績が良ければ、授業員を増やすはずです。業績不振で、一時的に従業員を減らすことはあるでしょう。しかし、減らすことを掲げる社長は、それだけでダメなはずです。

コストカットを大胆に進め、「コストカッター」と呼ばれた経営者もいました。高い評価を得たのです。でも、経費を削減することは良いことでしょうが、従業員や設備、研究費は、経費でしょうか。次の製品を生む「元手」、資産ですよね。

終戦は「アメリカが望んだから」

9月26日の読売新聞夕刊「ああ言えばこう聞く」、加藤聖文・駒澤大学教授の「終戦は「アメリカが望んだから」」から。

・・・日本では、8月15日正午、天皇の声を録音した玉音放送が全国に流れ、戦争が終わったという印象が強い。だが、歴史学者の加藤聖文さん(58)は「1945年8月の時点で、アメリカが戦争終結を望んでいたから終わったのであって、昭和天皇の『聖断』は二義的なものにすぎない」と語る。どういうことなのか・・・

――「中央公論」9月号の加藤さんの論考「帝国旧支配地域で続いた戦闘と抑留」には冒頭から驚きました。〈あくまでも戦争終結の主導権はアメリカ〉にあり、〈敗者には主導権も選択権もない〉と書かれていたからです。
加藤 「聖断」が二義的というのは、「絶対国防圏」だったサイパン島が44年7月に陥落した時点で、天皇が決断したら――と仮定してみるとわかります。あの当時はまだ劣勢とはいえ日本がアジア各地を占領していたので、米国は「終戦は、もっと日本軍の占領地を奪還してから」と考え、日本の講和申し入れを受け入れなかったでしょう。
一方、あの段階で日本が講和を申し出ることができたかといえば、これも無理だった。負けは陸海軍の存亡に関わりますから、どこかで一発逆転してから講和しようという甘い見通しをもつからです。

――実際、日本軍は「一撃講和」にこだわり、戦争を続けた結果、東京をはじめ全国各都市への空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下と犠牲者は一気に増大しました。
加藤 人と人が殺し合う戦争は、国家によって人間の感情をむき出しにさせられる行為です。冷静になってから、「あの時、ああしておけばよかった」と思ったとしても、頭がカッカしている状態での冷静な判断は難しい。

――しかし、8月15日の玉音放送で、米軍の攻撃はやみ、日本軍の武装解除は迅速に進んだ。二義的というより、かなり重要な役割を果たしたのではないでしょうか。
加藤 もちろん、玉音放送の役割は大ですが、基本は、日本の軍事機能を失わせ、戦争目的はほぼ達成したとアメリカが判断したことが戦争終結の決定的要因で、すでにドイツが降伏(45年5月)し、「ナチをやっつけたから、もう戦争は終わりにしたい」というアメリカの世論もこれを後押ししました。
敗者に主導権がない。それは、長崎への原爆投下の直前、45年8月8日に日本に宣戦布告したソ連軍の攻撃が、玉音放送以降も続いたことでも明らかです。ソ連の目的は、南樺太・千島列島の割譲と満州(現中国東北部)における旧帝政ロシアの権益の確保でしたから、それを確実にするまで攻勢を止めなかったのです。

連載「公共を創る」第238回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第238回「政府の役割の再定義ー議員と官僚、公的な「組織と組織」の関係に」が発行されました。前回から、野党と官僚との関係について説明しています。

私が自治省財政局交付税課長補佐の時の主要な仕事の一つが、野党議員との接触でした。毎年度、算定の根拠となる地方交付税法の改正案を作り、国会を通すことが必要です。国会質疑のかなり前から議員と接触し、法案の概要を説明し、疑問に答えることを始めます。審議日が決まると、それら議員の事務所に、質問を取りに(教えてもらいに)行くのです。 国会審議の時期になると、役所にいる時間より、議員会館にいる時間の方が長かったのです。
当時野党の社会党の五十嵐広三・衆院議員に呼ばれ、どのようにしたら分権改革が進むかを、2人で考えたこともありました。

私は、議員に呼ばれ地方財政の説明をすることを、うれしく思いました。地方行政の理解者を増やすことになり、また新聞やテレビで見た国会議員、国権の最高機関の構成者に会うことができるのですから。「××議員と親しい」ことを、誇りに思っていました。
しかし、だんだんと疑問が湧いてきました。官僚は府省の職員であって、政党の職員でもなければ、政党の関係者でもありません。国会議員の質問案を作成することは、「与党の下請け」とも違った、「議員の部下」の仕事ではないだろうかということです。

国会議員が政策を勉強する際に、官僚を呼ぶことは理解できます。しかし、国会議員には政策秘書が付き、各党には政策審議の事務局があります。まずはその人たちと勉強すべきではないでしょうか。そして、各議員がバラバラに官僚を呼ぶのではなく、政党という組織として役所を呼んでもらうべきではないかと考えています。それは、質問主意書についても言えます。
疑問があれば官僚を呼ぶということを続けている限り、議員と政党は官僚に依存することになり、政党の政策審議能力は向上しません。

産業復興「グループ補助金」の限界

10月12日の朝日新聞「東日本大震災15年へ」「「三陸の希望に」頼った補助金」から。復興庁では、企業から派遣してもらった職員の提案で、「結の場」という、大手企業が助言する場も設営しました。全てがうまくいくことは難しいです。

・・・東日本大震災で被災した会社を、30歳のとき、いきなり任された。
2011年3月11日、イカの加工品を作っていた「共和水産」(岩手県宮古市)は、材料のほとんどを津波で失った。
鈴木良太さん(43)は専務に就任し、社長の父に代わって仕事を一手に引き受けた。
被害総額は1億3千万円。取引先との関係を切らさず従業員33人の生活を守るためには、一刻も早い再開が必要だった。

同業者に誘われて頼ったのは「グループ補助金」だ。複数の被災事業者がグループを組み事業計画を作って申請すると、1業者あたり15億円を上限に、国や県が再建費用の4分の3を補助する。
制度初の募集に手を挙げ、採択された。別の補助金や会社負担も合わせて6億6千万円をかけ、保管庫と生産能力が2倍の新工場を建てた。
自身も、王冠をかぶって「イカ王子」を名乗って広告塔に。通販商品を次々と考案し、イベントに出た。売り上げは震災前の約3倍の11億6千万円に。従業員も増えた。
復興庁は、「三陸の水産業を盛り上げる希望になりたい」と話す鈴木さんを、成功例として「産業復興事例集」に取り上げた。
しかし、23年10月、資金がショートし、9億6千万円の負債を抱え、民事再生法の適用を申請した。「沼に入ったようだった」
実は、震災前から3億円以上の負債を抱えていた。売り上げの9割は宅配サービス業者向けの仕事で、他社と卸値の値下げ競争を繰り返す薄利多売の事業構造から抜け出せていなかった。

東日本大震災では、被災した中小企業の復旧を支える「グループ補助金」制度が作られた。企業の再建費用の4分の3を公金で補助する破格の制度だ。約5300億円が投じられ、今月、岩手県・宮城県での募集を終える。その後の大災害でも活用されたこの補助金は、地域に何を残したのか・・・

続き「なりわい再建、お金だけでは 「専門知識持つ伴走者欲しい」
・・・地域経済の早期復興を描いて創設されたグループ補助金=キーワード。東日本大震災で被災した8道県、延べ1万余りの事業者に5342億円が交付された。このうち、倒産した事業者は、朝日新聞の取材では少なくとも214ある。
共和水産もその一つだった。補助金を受けた後、売り上げは増えたが、依然として9割は、大量の受注がある宅配サービス業者向けの仕事。不漁と材料費の高騰、電気代の値上げも追い打ちをかけ、作れば作るほど赤字が増えた。
2024年9月に東京の商社に新工場を譲渡し、個人事業主として再出発した「イカ王子」の鈴木良太さん。「ありがたい制度だったが、こっちで値段を決められない被災前の業態を変えなければ、いつかは倒産していた。お金だけでなく、長く『伴走』してくれる専門知識を持った人が欲しかった」と話す。

一方、震災前から将来の方向性を見据えて「助走」していた企業にとっては、補助金は変化のきっかけと原資になった。
岩手県釜石市の水産加工会社「小野食品」は、全工場が被災。グループ補助金を原資に、4億5千万円かけて再建した。
小野昭男社長(69)は震災前から「BtoB(企業から企業へ)」の商売に限界を感じ、地元の水産物セットを毎月定額で届ける通販を始めた。震災後、通販会員は10倍以上に。昨年度の売り上げは震災前の4倍の54億円に達した。小野さんは、「補助してもらった分、税金を払ってお返ししている」と話す。

グループ補助金は現場の要望を受け、応募の要件は少しずつ緩められてきた。20年には「なりわい再建支援補助金」となり、事実上、一企業や個人の申請も可能に。24年に起きた能登半島地震でも、引き継がれた・・・