投稿者アーカイブ:岡本全勝

西牛東豚

2026年3月19日   岡本全勝

3月1日の朝日新聞に「節約志向、食卓から遠のく牛肉」が載っていました。
・・・家庭での肉の消費が落ち込んでいます。コメ価格が高騰し、物価高が続いていて、節約志向が強まりました。同じ肉のなかでも、高値の牛肉から、値ごろ感のある豚肉や鶏肉へ需要が移っています。
総務省「家計調査」によると、2人以上世帯の生鮮肉の支出は、2025年に年8・3万円と前年から3%増えた。これは金額ベースのみかけ(名目)の値で、物価上昇の影響を取り除いた実質でみると、前年比2%減で5年連続のマイナスになる・・・
・・・一方で、肉は種類によって差が大きい。25年の年間購入量をコロナ禍前の19年と比べると、牛肉は6・5キロから5・4キロへ減った。この間に、豚肉は21キロから22キロへ、鶏肉は17キロから19キロへそれぞれ増えている・・・

紹介したいのは、「西牛東豚」です。
・・・肉の消費は景気の影響を受けるだけでなく、地域差も大きい。
家計調査(23~25年の3年間の平均値)でみると、全国平均の年間支出額は牛肉2・1万円(5・6キロ)、豚肉3・4万円(22キロ)。47都道府県庁の都市別でみると、牛肉は京都が最多で3・6万円、新潟が最少で1・0万円と3・6倍も差がある。豚肉は新潟が最多で3・8万円、福井が最少で2・8万円と1・4倍の差だ。
牛肉は和歌山・奈良・神戸など西日本の都市の支出額が平均より多く、盛岡・前橋・福島・札幌など東日本は少ない。牛肉と豚肉の額を合わせてみると、北海道・東北・甲信越の都市は牛肉より豚肉を好む傾向が、近畿・四国・九州は豚肉より牛肉を好む傾向がうかがえる。鹿児島・福岡・熊本・大分など九州の都市は鶏肉の支出額も上位を占める。

「西牛東豚」ともいえる東日本と西日本の違い。なぜこうした地域差が生じるのかについて、農畜産業振興機構が過去の文献をもとに調べてまとめている。
かつて農耕用として関東以北では主に馬が、近畿では牛が飼われていたが、明治時代の肉食解禁で外国人居留地などで牛肉需要が起こり、農耕牛が食用にも使われるようになった。一方で、関東では旧内藤新宿試験場(今の新宿御苑)で西欧式の養豚が始まり、えさの食品残さが多かった都市部の環境が養豚に適していたため、盛んになったようだという。

全国のセブン―イレブンで売られている肉じゃがは、東日本では豚肉を、西日本では牛肉を使い、それぞれ商品名やパッケージも違う=図下。「地域による食の好みの違いを反映し、販売エリアを分けている」と広報担当者。
牛肉文化のはずの関西では、なぜ豚まんが名物になったのか。
設立から80年余り、「551の豚まん」で知られる蓬莱(ほうらい)(大阪市)。同社は「関西では一般に肉=牛肉を表し、豚肉の入った肉まんを豚まんと呼ぶようになった」と経緯をホームページで振り返る。関東では「肉まん」の呼び方が一般的だ・・・

個人の再登場

2026年3月18日   岡本全勝

連載「公共を創る」を書きながら、「この国のかたち」が大きく変化していることを考えています。変化の一つは「組織中心の社会」から「個人中心の社会」への転換であることです。「組織の時代」から「個人の時代」へとも言えます。

振り返ってみると、20世紀は組織の時代でした。社会をつくっているのは個人や家庭ですが、各個人がそれぞれに活躍するのではなく、企業や役所、学校など組織に属することで生活してきました。戦前は軍隊もありました。そしてその際に、個人より、組織の方が優先されたのです。
さらに遡ると、かつては多くの人が農林水産業か自営業に従事していました。生活の単位は家族です。地域社会で暮らし、困ったときも親族や地域が助けました。終戦後でも、勤め人は4割で、農業や自営業が多かったのです。第一次産業が半数でした。現在では就業者の9割が勤め人です。貧しく苦しい生活でしたが、個人が気ままに生きていた時代から、会社という組織の中で規則に縛られて生きなければならなくなりました。

就職といいますが、実態は就社で、会社の中で職を代えました。会社も、社員とその家族の面倒を見ました。親族や地域での助け合いが希薄になり、国家の社会福祉制度が充実するまで、企業がそれを担ったのです。日本型福祉(1980年代から主張された日本特有の福祉の仕組み)は、企業と家庭を守る妻が支えていました。

しかし、長期停滞で企業が従業員を解雇し、面倒を見続けることが少なくなりました。従業員も、会社に忠誠を尽くすのではなく、条件の良い会社に転職することが増えました。
ここに、組織中心の社会から、個人中心の社会へと変化が進んだのです。もっとも、組織に属している安心感は薄くなり、自己責任が増えます。また、共働きが増えると妻が家族の面倒を見ることができなくなり、一人暮らしが増えると家族による支えはなくなります。

震災デジタルアーカイブが消えてゆく

2026年3月18日   岡本全勝

3月4日の読売新聞に「東日本大震災15年 震災デジタルアーカイブが消えてゆく 約50件中10件超が閉鎖・停止」が載っていました。

・・・2011年に発生した東日本大震災の写真や動画、文書などをインターネット上で保存・公開するデジタルアーカイブが、徐々に姿を消している。経費節減や担当者の世代交代などが原因だ。持続可能なデジタルアーカイブのあり方や、データの継承が課題となっている。

東日本大震災では、数多くのデジタルアーカイブが作られた。政府が「復興構想7原則」などで、震災の記録や教訓を国内外から容易に閲覧できる仕組みの構築を示したことや、デジタルカメラが浸透し、スマートフォンも普及しつつあったことが要因だ。
国立国会図書館などへの取材や資料から、約50件は作られたことを確認できた。運営主体は、県や市町村、大学、図書館、研究機関、報道機関などが多いが、そのうち少なくとも9件が閉鎖され、2件が公開停止となっている。主な理由は、維持費やシステム更新などの経費節減、担当者の世代交代という。

2016年に公開を始めた「茨城県東日本大震災デジタルアーカイブ」は、21年度末で閉鎖した。その後、国会図書館が運営する東日本大震災アーカイブ「ひなぎく」が、データを継承した。県の担当者は「システム更新の時期でもあり、資料も集まりきったので引き継いだ」と説明する。年間約140万円の維持費が削減できたという。
宮城県気仙沼市が運営していた「けせんぬまアーカイブ」は、開始から10年経過し、老朽化したサーバーの更新を行わず、24年に閉鎖した。約1万点の写真や動画などは、県と県内市町村が運営する「東日本大震災アーカイブ宮城」が引き取り、公開を続けている。

米ハーバード大ライシャワー日本研究所の「日本災害DIGITALアーカイブ」は、今夏をめどに東北大が運営する「みちのく震録伝」に引き継がれる予定だ。
当初から運営に携わるハーバード大のアンドルー・ゴードン教授は、1月に東北大で行われたシンポジウムで「私もいずれ退職する。人材が循環する中で、災害に関心のある研究者が、常にライシャワー日本研究所にいるとは限らない」と、移管する理由を語った。

六つの閉鎖アーカイブを継承している「ひなぎく」を担当する、国会図書館の小林芳幸主任司書は、「担当者や組織のトップが代替わりすると、活動が停滞してしまうアーカイブもある」と指摘する・・・

人口減少は脅威か

2026年3月18日   岡本全勝

2月25日の日経新聞、マーティン・ウルフさんの「人口減少は本当に脅威か 現役世代の負担増、吸収可能」から。
・・・米生物学者のポール・エーリック氏と妻アン氏は、1968年に著書「人口爆弾」を出版し、大規模な飢饉が迫っているという悪名高い予言をした。彼らは飢饉の脅威は、人口の爆発的な増加によって生じると主張した。
だが今日、出生率は人口の維持に必要な水準(人口置換水準)を下回るようになり、バンス米副大統領などが人口減少への懸念を表明している。飢饉に直面しているというエーリック夫妻の見立ては誤っていたのだ。
では、その正反対の警告も間違っている可能性はあるのだろうか。答えは「イエス」だ。

英オックスフォード大の研究者などでつくる「アワー・ワールド・イン・データ」の推計によると、1万2000年前の世界人口はわずか500万人だった。西暦0年時点では2億3000万人、1800年には10億人、1960年には30億人、現在は80億人だ。将来については、国連が2100年の世界人口を102億人と予想している。
地球から人類が消滅しそうにはない。問題なのは、多くの国で出生率が人口置換水準に満たなくなっていることだ。特に中国などでこの傾向が著しい。世界の主要地域における例外は南アジアとアフリカだけだ・・・

・・・では、多くの地域で人口が縮小し、人類が絶滅に至る可能性を憂慮すべきなのだろうか。英国の経済学者アデア・ターナー氏は「ノー」と答える。
出生率の低下が惨事を招くと議論されやすいのは、現役世代が高齢者と年少者をどれだけ支えているかを示す「従属人口指数」が急上昇するという考え方にある。15歳未満の年少者と65歳以上の高齢者を足した人口を、生産年齢人口で割った値という一般的な定義においては、確かにその通りだ。
ところが、この計算方法では若者の多くが20代まで親に扶養されている点は見過ごされている。出生率が極端に低い場合を除き、従属人口指数の上昇はそこまで大きくならないだろう。また一般的な定義では、高齢者が働き続ける可能性も無視している。フランスでは2024年、65歳以上で働く人の割合がわずか4%にとどまった一方、韓国では38%に上った。
ターナー氏によると、人工知能(AI)によって加速すると期待される生産性の向上も解決策の一つだ。2世紀前に比べて労働時間がはるかに短くなったのは、1800年ごろに比べて生産性が飛躍的に高まったからだ。その結果、高所得国では15歳以上が労働に費やす時間の割合が、少なくとも60%減少したと指摘する。
一方、1人あたりの生産量は15倍に拡大したという。こうした傾向は今後も続く公算が大きく、従属人口指数が若干上昇しても十分に対処可能だろう・・・

・・・つまり、人口の減少を恐れるべきだという決定的な理由は存在しない。出生率が1を割り込めばさすがに問題だが、1.5以上であれば少しばかりの先見の明で万全に対応できるのだ・・・

「ボールにみんなが群がる子どものサッカー」

2026年3月17日   岡本全勝

働き方改革を時間で語るな」の続きになります。安永竜夫・三井物産会長は「働き方改革 時間で語るな」の中で「ボールにみんなが群がる子どものサッカーではダメだ。全体像を把握し、各組織・チームで最適な働き方を考える必要がある」と語っておられます。

思い出しました。高校時代にサッカー部に所属したのですが、いくつか金言を教えてもらいました。
例えば、「後ろの声は神の声」です。ボールを持った選手は、前とボールを見ます。周囲を見ることは難しいのです。その際に、横や後ろの選手が声をかけることは、とても役に立ちます。一番後ろにいるゴールキーパーやバックスが書ける声を「後ろの声」という場合もあるようですが。

この「ボールにみんなが群がる子どものサッカー」は、私の頃は「百姓一揆」と呼びました。みんなが一斉に、同じ所を目指して走って行くのです。
攻撃には、空きスペースを使うことが重要です。左サイドから攻めていて、敵の防御も左に寄っていると、右前に空いたスペースができます。右ウイングの選手は、ボールに近寄ることなく、離れてその空きスペースに動いてボールを待ちます。
野球のテレビ中継とサッカーの中継との違いが、ここにあります。野球の場合はボールを追いかけていたら画面ができます。しかしサッカーの場合は、それでは攻撃の善し悪しがわからないのです。

これらの考え方は、官僚になってからも役に立ちました。本人があることに夢中になって、周囲が見えなくなることがあります。その時に、他者からの助言は役に立ちます。また、みんなが同じ方向を向いているときに、少し離れて見てみる、そして別の方向を考えるのです。すると、違ったことが見えてきます。