6月2日の朝日新聞オピニオン欄「「暴論」の存在感」、真梨幸子さん(作家)の「昔より減った分、悪目立ち」から。
・・・昔に比べ、暴言暴論の類いは減っているのではないか、と思います。昔は暴言だらけだったけど、問題になっていない。今は少ないが問題になる。少ない理由は「言ってはいけない、言うべきではないことは何か」について、多くの人が共通認識を持っているから。だからその反動で、匿名の誹謗(ひぼう)中傷がネットにあふれるのだとも言えます・・・
・・・政治家、官僚、企業幹部など、公的な立場の人も社会的な発言には細心の注意を払っている時代です。だから、ごくたまに表に出てくる暴言が悪目立ちするのでしょう。多くの場合、面白く語ろうとしてブラックジョークを使い誤る失言が多いと思います。
社会的問題への暴言暴論の場合は、世論に対する「興奮剤」になってしまいます。何か極端な発言があると、ネットを中心に賛成派、反対派がわーっと出てきて、激しくやりあう。発言が闘争ホルモンを全開にさせる合図、「レディーゴー」(用意ドン)になって、人々が戦闘状態に切り替わってしまうのです・・・
・・・ただ思うのは、誹謗中傷や暴言を封じても人間から無くなるわけではないし、人間を進化させてきた言葉から、その美しい、良い部分だけを後世に残し、醜い、悪い部分だけを撲滅することはできない、ということです。人間の世界は、白も黒も引き受けながら進んでいかないと、息苦しくなってしまいます・・・