4月8日の朝日新聞「追い詰められる女性たち5」「「何に困ってる?」最後につながった電話」から。
・・・1年以上前のこと。夫が2人の子どもを置いて家を出て行った。コロナ禍の影響で女性の勤め先は倒産。新しい職も探せない……。
「あ、これで最後」。40代の女性は、1歳の次男の粉ミルクを開けたとき、不安で手が震えた。所持金は残り数千円。お米はほぼない。電気もガスも、水道も止まりそう・・・
・・・ 「子どもたちに食べさせられるもの、ありませんか」
所持金が底をつきそうになり、次男と市役所の窓口に行った。「どうしたらいいですか?」と初めて、自分からつらさを他人に打ち明けた。
だが、色々な窓口をたらい回しにされた。「生活保護の先渡し」として2万円を支給された。ある窓口では職員がこう言った。「ここは、どうしたら良いかを教える場所じゃない」。返ってきたのは、共感や心配ではなかった。
お米も、ミルクも、おむつももうない。「そう必死に説明しても、なにも変わらないことが、とてもつらかった」
帰りがけ、職員は「これ、食べられると思うから、良かったら」と、食べ物を手渡してくれた。備蓄期限が過ぎた硬いビスケット、のどあめ……。子どもが食べられそうなものは入っていなかった。
「私たち家族は、生きているべきじゃないの?」
次男が大きな声で泣いていて、我に返った。無力感にさいなまれた。幸せにしてあげたいのに、できない。感情があふれて、こう言っていた。
「もう、いいです」
市役所を後にしながら、こんなことを考えた。
「生きるの、やめたいな」
人生で初めてそう思った。最寄り駅に向かい、電車に飛び込むつもりだった。
ひらひらひら。
駅のロータリーにたどり着いたとき、ふとした拍子にポケットからピンク色の折り紙が落ちた。市役所で「どうしても困ったら、ここに電話してみて」と渡された携帯番号が書かれた紙だった。「最後だし、かけてみようかな」
電話がつながり、聞こえてきた声は、今も忘れない。
「私もシングルマザーやで。大丈夫」「いま、どこにいるの? 何に困ってる?」
これまでのことを必死に伝えた。「わかった。今から行くわ」。経済的に苦しい女性や若者への支援活動をしているという彼女はそう言って、車で迎えに来てくれた。
その後、スーパーに行って、「必要なもの、全部かごにいれて!」と言ってくれた。戸惑いながらも、ミルクとおむつ、久々の肉などを買ってもらった。長男の迎えにも付き添ってくれ、ハンバーガーを食べさせてくれた。
生活を立て直すため、生活保護の申請など細やかにサポートをしてくれた。
「なんで、優しくしてくれるんですか?」と思わず聞いたことがある。「もう無理だと思ったことがあるから、つらくなるのがよく分かるの」。初めて駆け込める場所を知り、心から安心できた・・・