12月21日の朝日新聞、小説家・青山文平の「豊かでない日本を生きる智慧 1995年のニューヨークと2022年の東京」から。
・・・私が初めてニューヨークの地に立ったのは1995年の冬でした。いまとなっては信じがたいのですが、当時のアメリカ経済は最悪で、一人当たりGDPは日本の65%。1ドルはなんと80円を割る超円高。街は荒れ、私もティファニーの真ん前で、悪名高いボトルマンに剃刀をちらつかされてゆすられました。セントラルパークは観光客が足を踏み入れる場所ではなかったし、一丁目と八丁目は絶対に行ってはダメという意味で、“いちかばちか”などと言われた。
それから、27年。日米の経済力は完全に逆転し、最新のレートで計れば一人当たりGDPはアメリカのわずか半分。為替は一時は1ドル150円を超え、いまも予断を許さぬ状況がつづいています。こうした数字だけを見れば、2022年の東京が1995年のニューヨークになったっておかしくはありません。
でも、銀座和光の前で恐喝に遭うことはまずないだろうし、日比谷公園でくつろぐことだってできる。相変わらず、東京に足を踏み入れてはいけない街区などありません。円安による物価高とはいえ、まだ治安の悪化を招くほどには追い詰められていないからとも言えるのでしょうが、江戸時代の中後期を舞台にした小説を書いている私は、そこに日本人の文化が現われているような気もしています・・・
・・・中期よりあとの江戸は、地方から出てきた流動民が人口の多くを占める百万都市でした。自給自足ならば食うことだけはできたであろう百姓が、カネで暮らす世の中になって借財がかさみ、田畑を離れざるをえなくなっていったのです。当然、江戸での暮らしも楽であろうはずがなく、張り巡らされた運河に、水死体を目にするのは珍しくなかったようです。食うや食わずで、明日は大川に身を投げているかもしれない連中が、土間を入れても四畳の裏店に身を寄せ合って、今日はへらへらと笑っている。そんな、いつ弾けても不思議はない社会だったのです。
けれど、江戸二百六十余年の時の重なりのなかで、実際に打ちこわしが起きたのは、幕末の混乱期と享保や天明の大飢饉のときくらいしかありません。それも極めて秩序立って行われて、抑制が働いていたようです。これは江戸だけのことではなく、中期以降は各地で百姓一揆が多発するのですが、一揆勢が手にする得物は鍬(くわ)や鉈(なた)などの農具で、刀剣のたぐいは持とうとしなかった。あくまで、百姓としてやむなく立ち上がったことを、武器でも示そうとしたのです。
負荷がかかっても我慢がきいて、あるいは、するりと逃す術(すべ)を身につけていて、簡単には弾けない……それは日本人の文化と言ってよいだろうし、そして、その文化は、これからますます大事にしなければならなくなる気がします。2022年は、長い日本経済の停滞が、もはや停滞などではなく常態であることを、いやが上にも突きつけられた年でした。豊かな日本を取り戻すのは至難でしょう。でも、私たちには、豊かではない日本を生きる智慧だってあることは、覚えておきたいと思います・・・