朝日新聞のウエッブ「論座」。1月26日の「小此木政夫さんに聞く朝鮮と日本の過去・未来」(3)「韓国併合は「植民地化」でなく「同化」だった」から。
・・・初の日韓歴史共同研究が2002年5月にスタートした。座長は三谷太一郎・東京大学名誉教授。幹事を小此木政夫・慶応大学名誉教授(74)が引き受けた。古代史、中近世史、近現代史の3つの分科会を設け、日韓合わせて20余人の学者が参加した。
3年後に研究結果を「最終報告書」にまとめ、両政府に提出して解散するが、活動が途切れず結果を出すまで続いたのは、当時、日韓両国の現場で取材していた筆者にとって奇跡に近かった。
歴史にまつわるこの種の「共同作業」は、玄関口で平行線をたどり、途中の論争で互いに譲らず、結局、空中分解するという例を何度も見て来たからだ。
なぜ「完走」できたのか。小此木さんを中心に、裏側で周到な準備、心構え、あるいは予防線と言ってもいい、様々な仕掛けがあったのを知ったのは、相当後のことだ・・・
・・・幹事の小此木さんは、めざす目標について明確にしようとした。
「あまり初めから大きな目標を立てるのはやめましょう。日韓の歴史認識を一致させるなどということは不可能なのです。我々の仕事は、日本と韓国の歴史認識のどこが一致してどこが違うのか、これを明らかにする作業ではないでしょうか」・・・
・・・「一つの結論を求めて論争するよりも、相違点を明らかにすれば次(第2期以降)につながるのではないか、と思いました。この共同研究では分厚い報告書ができましたが、読んでいただければ全体の構成にもそれが表れていると思います」・・・
・・・「初回の研究会から論争になったのは、やはり韓国併合条約(1910年)の問題、不法・不当論についてでした。韓国の学者は、条約原文の印鑑がどうだとか、なぜ不当で不法、無効な条約なのかと熱心に論ずるわけです。こちらとしては、国際法の専門家が、国際法的な議論はこうですと説明するわけですが。私としては、我々の意見が一致したからと言って、どうなるという問題ではない。あくまで学者の議論としてやろうと言い続けました。
でもとにかく、併合問題の比重が、予想以上にありました。韓国を知っているつもりだった私にとっても新鮮な驚きでした。まるで韓国併合にしか関心がないかのように議論していました。それは今、日韓間で議論されていることと同様でもあります。
つまり、日本側と韓国側の一番大きな対立点は、そこのところにあります。したがって、韓国保護条約(1905年、乙巳条約)から併合条約が締結される過程を日韓基本条約で「もはや無効」と表現したことが、彼らにとって耐えがたいのでしょう。
確かに「もはや」は妥協の産物でしたが、我々が理解しがたいほど、それに執着した。いろいろな解釈があると思いますが、私はその時、『これはアイデンティティーの衝突なのだ』と思いました」・・・
この項続く。