2日の読売新聞では、青山彰久記者が「自治体の破たん法制。国と地方の関係、包括的な議論で」を書いておられました。
「自治・分権の原則が、自分たちのまちのことは自分たちで決めるという自律と自己統治にあるとすれば、破綻法制を検討することにも意味はある・・。しかし簡単ではない」
「そもそも、地方に自己責任を求めるなら、それに見合う形で、地方が今以上に仕事を自由に効率的に行う権限も広げなければならないという論理も成り立つ。法律や政令・省令で仕事の基準や方法まで定める現行制度を変え、税源移譲も拡大すべきだろう」
「破綻法制だけを独り歩きさせず、国民が納得できるように包括的に設計できるかが焦点といえる」
6日から日経新聞経済教室で、「地方財政、破綻処理を考える」が載っています。「破綻処理」とは、センセーショナルな見出しですね。
今の法制度では、自治体も国も「破産」はできません。破産は法人=法律が作った人を「殺す」制度ですから、作るときに法律が必要なのと同じく、殺すときも法律が必要なのです。そのような法律はないので、国も自治体も破産はできません。第3セクターの多くは株式会社ですから、破産できます。民事再生法の処理もできます。
破綻は、一般的な用語で定義されていないので、定義してからでないと議論が混乱します。日本国債が格付けを引き下げられ、アフリカの某国なみになったのは、まだつい最近のことでした。この時も、日本の財政は破綻していると言われました。その後も借金残高は増えて、「国家財政は破綻している」という人もいます。
夕張市が巨額の借金を抱えたのは事実です。しかしこれは、「粉飾」をしたのであって、一般化されては他の自治体が困ります。国として自治体が行わなければならない事務(教育・福祉・消防など)の財源は国が保障しています。自治体が借金する際も、これまでは国の許可が要りました。変なことをしない限り、破綻しようがなかったのです。また、粉飾しないように監視するために、議会があり、監査委員がいるのです。
国と地方が巨額の借金を抱え「破綻している」ことと、粉飾した夕張問題とは、別です。対処方法も別々です。地方団体の借金が多いので「破綻処理」を考える必要があるというのなら、国家財政の方がひどいのですがね。