28日の朝日新聞連載「小泉時代」は、松田京平記者らによる「3地方は豊かになったか」でした。公立保育所運営費国庫補助金が廃止され、市が実情にあった予算配分が可能になった例、義務教育国庫負担金について使い方が弾力的になった例を挙げていました。(4月28日)
経済同友会が、「基礎自治体強化による地域の自立-一律的・画一的から多様化・個性化推奨の地域行政へ -」(2006年4月25日)を発表しました。地方行財政改革、第2期三位一体改革、道州制などを提言し、「国民は地域経営に関心を高めよ」と結んでいます。全ての内容に賛同するわけではありませんが、方向は正しく、またこのように関心を持っていただけるのはありがたいことです。マンガもわかりやすいです。
この提言は、中里透先生に教えてもらいました。(5月7日)
「いったい、何が公教育を疲弊させているのだろうか。大きな問題点は、国による画一的統制の下で、地方や学校で十分な創意工夫ができない現状があることだ。文部科学省は戦後、学習指導要領で教育内容を細部に至るまで拘束し、教科書検定では記述を厳重にチェックしてきた。教員の養成は教育学部系大学の養成課程と免許制度によって一元化している。同時に、義務教育費国庫負担金制度によって地方が独自の学校づくりをする裁量を限定してきた。
高度成長期までは、こうした護送船団方式にも意味があったかもしれない。しかし子供を取り巻く社会の価値観が多様化し、情報化が進み、「知」の国際水準が向上するなかで、中央からの画一的教育は実情と齟齬(そご)を来している。
この状況を変えるために、学習指導要領を思い切って簡素化・大綱化し、文科省は最低基準を示すだけにすることをまず提案したい。これにより現場に大きな裁量が生まれ、子供の個性、能力、習熟度、地域特性などに合わせた授業が展開できるようになるはずだ。教科書検定も少なくとも高校では廃止すべきだ。地方への教育財源移譲もさらに進め、分権の土台を整える必要がある。同時に求められるのは、学校選択制の拡大と、学校への外部評価導入である」(5月8日)
遅くなりましたが、1日の日経新聞「インタビュー領空侵犯」では、住明正東大教授の「気候学者も勧める道州制」が載っていました。「人口が密集している東京圏はエネルギー効率が高いという誤解があります・・・東京へすべてが吸い寄せられるために、非効率がたくさん存在するのです」(5月8日)
1 国と地方の協議の場を法定化
2 地方交付税を地方共有税に。特例加算や特会借り入れを廃止
3 国庫補助金の半数廃止
4 新地方分権推進法の制定
地方団体がまとまって、このような提言をまとめることは画期的です。今後これを、どのように具体化していくかです。
「中途半端に終わった「三位一体改革」の反省を踏まえ、分権の必要性とその具体化への道筋を示す」「提言を貫いているのは、国と地方の関係を見直す視点だ。分権一括法で「上下・主従」から「対等・協力」になったはずなのに、これまで政府主導でことは進んできた。「地方行財政会議」を提唱した背景には、昨年までの補助金廃止の論議で、自治体側の意見は聞き置かれただけという不信感がある」
「交付税は所得税や消費税など国税の一部を充てている。本来は自治体が共有する固有財源と位置づけられるが、「交付」という用語から、国が恩恵的に与えていると受けとられがちだ。
名は体を表すという。制度の見直しに向け、まず名称に目を付けたわけだ。話題作りに終わらせないためには、この税の仕組みが自治体の「連帯」や「自立」の精神に基づくものであるとの理解を浸透させることがカギになる」
読売新聞解説欄には、青山彰久記者による、本間正明阪大教授と神野直彦東大教授のインタビュー「地方財政と交付税の行方」が載っていました。(5月9日)
10日の日経新聞経済教室「財政、経済が問う2」は、林宜嗣教授の「国と地方、役割明確に」でした。
「歳出見直しの中のプライマリーバランス(基礎的財政収支)の議論を見ると、『マイナス幅が大きい国VS相対的に”健全”な地方』という構図のもと、ともすると国から地方への負担の押しつけになりがちで、真の財政再建とはほど遠いものになる恐れがある」
「歳出見直しの一大争点である地方交付税についても、総額が膨張した背景を検証せず、『まずは縮減ありき』という乱暴な議論が目につく。仮に国のプライマリーバランスが改善しても、地方の側で悪化したのでは意味がないのだ」
「国民の満足が最大になるような予算配分の答えを最初から見つけることは、理論上はともかく現実には不可能である。しかしながら、政策の意思決定や実施方法の改革によって、歳出を望ましい方向に導くことはできる。それが『国から地方へ』『官から民へ』の流れを徹底させることであり、そのためのルールづくりである」
「国の政策形成で、これまで大きな役割を果たしてきたのがパターナリズム(父親的温情主義)だ・・・だがパターナリズムは、基礎的で必需的な行政が中心で、自治体の行政能力が乏しかった時代の産物である・・」
「『奨励補助金をまず削減すべき』という主張があるが、誤りである。奨励補助金は国の財政状況と奨励効果を勘案して国が主体的に判断すべきで、仮に存続したとしても、『補助金は不要だ』と考える自治体が受け取りを拒否できるような環境を作り出せばよい」
参考になる主張が、いくつも書かれています。ぜひ、原文をお読みください。(5月10日)
「地方自治体への国の直接的関与を軽減していくことは、分権改革の基本であるが、それを本物にするためには財政的裏付けが欠かせない。共有税構想は将来的には地方団体が管理する水平的な財源調整への展望も描くことができる。
自治体が自ら財政改革に取り組むと同時に、自主性を発揮し経済活性化を図ることができれば、国の財政再建にも寄与することになる。これまで、削減金額のみに関心が向いていた補助金削減でも、分権の趣旨に立てば、補助率の引き下げによるつじつま合わせはやめるとともに、件数自体を減らすことは正しい。これは国の事務削減にもなる。財政再建という観点からは、国も、地方もそろって進んでいくことが理想の姿である。地方団体が交付税見直しに動いたことの意味は大きい」(5月10日)
10日の毎日新聞「小泉時代と改革された私10」は、「三位一体改革、自立迫られた地方」でした。(5月10日)
10日の経済財政諮問会議では、竹中大臣と民間議員から、地方財政改革の案が出されたそうです。(5月11日)
「三位一体改革第1期改革は、内容的には極めて不十分な形で終わってしまった。改革の成果を国民が手にすることができなかったという意味で、第1 期改革は不満の残る内容だった。
補助金改革で、各省庁に丸投げをした結果、本来の改革の意義は骨抜きにされ、補助負担率の引き下げなど、数字合わせに終わってしまい、地方の自由度や裁量の拡大につながらないものとなってしまった。
『国と地方の協議の場』は、関係大臣は、官僚の作成した文章を読み上げ、省益を主張するのみであり、協議の場は、実質的に機能してこなかった。
住民に身近な問題は、できるだけ住民に近いところで決定する。そして、住民がその決定過程に参画していく。分権が進めば、ムダを省き、地方の知恵と工夫により、少ない金額で事業を実施することにより、財政再建にも貢献できる。」
具体的には、
・「国と地方の協議の場」を法定化
・分権改革推進のための新たな法整備
・地方交付税制度は「地方共有税」制度に転換
・国庫補助負担金は、最終的には全廃すべき。当面、現在約400 件ある総件数の半分(約200 件)を廃止
・国の地方支分部局の全廃
ロードマップも載っています。(5月18日)