年別アーカイブ:2026年

内包と外延、行政と行政学について

2026年1月14日   岡本全勝

連載「公共を創る」第244回で、これからの地方自治体の在り方を考える際には、役所そのものを対象としているだけでは不十分で、地域の状態とその中での役所の役割を対象としなければならないと主張しました。その違いを「内包と外延」と表現しました。この言葉は数学や哲学で使われるですが、私は「内容を深掘りすること」と「周囲を見渡して置かれた立場を考えること」として使っています。これについては、「内包と外延、ものの分析」「その2」として書いたことがあります。今回は、行政を見る際に使ったのです。

役所の仕事を効率化することは、内容を深掘りすることです。それはそれで重要ですが、効率化の末に住民の期待に応えていないのなら、それは目的をはき違えています。置かれた立場、役所の役割を考慮しなければなりません。
公務員も学者も、その点を十分認識していなかったのではないでしょうか。行政学で行政機構を詳しく分析することは必要ですが、役所に何が求められているのか、外部の要素と主体(政治、社会、住民、民間組織など)との関係や、対応しなければならない課題を抜きに行政機構を分析しているだけでは、住民の期待に応えられません。教科書では、個別分野の政策を扱うものもありますが、このような視点ではまだ十分とは思えないのです。それは、政治学にも言えることです。

なぜ、今になってそれが問題になるのかは、第243回で述べました。地域社会が大きく変化し、役所に求められることが変わったからです。
日本が発展していた時期には、役所は増大する人口と生活水準の向上にあわせて、行政サービスを提供し、その質量の拡大をしていれば、住民の期待に応えることができました。ところが高齢化と人口減少が進むと、雇用の場がなくなり、各種のサービスが提供されなくなって、暮らしにくい地域が出てきたのです。そこでは、市町村役場が良い行政サービスを提供しているつもりでも、人びとは便利に暮らしていくことができません。ここに、外延を考える必要性が出てくるのです。

「外延を考える」といっても、外部の環境や外部主体との関係を分析するだけではありません。行政や政治が、何と「戦う」のかです。行政も政治も、社会の問題を解決し、住みやすい国や地域を作ることが役割です。その視点がない学問や分析は物足りないのです。「実用の学と説明の学」「文系の発想、理系の発想

大学で行政学を学んで以来、実務の場で行政学を考えてきました。若いときは、従事した地方交付税と地方財政を通じて、日本の行政を分析していました。本も書きました。しかしある段階で、これ以上深掘りしても、効果・意義は少ないのではないかと悩んでいました。その回答が、これです。

ワーク・ライフ・バランスの移行期

2026年1月14日   岡本全勝

2025年11月9日の朝日新聞、「「全員が猛烈に働く」文化、脱する道は ワーク・ライフ・バランスの現在地 濱口桂一郎氏に聞く」から。

―高市氏の発言をきっかけに「ワーク・ライフ・バランス」に注目が集まりました。
「ワーク・ライフ・バランス」って、実は変な言葉ですよね。この言葉は「ワーク」と「ライフ」が対立を起こしているというイメージを与えます。
でも家事や育児が「アンペイドワーク(無償労働)」と言われるように、「ライフ」は「ワーク」でもあります。同時に、「ワーク」とされるものは「職業生活」という「ライフ」でもある。

―仕事を制限すれば、やはりペナルティーがあります。
ワークの世界は、ライフの領域の責任が希薄な人たちを前提にできています。だから育児で仕事を制限する働き方が、「マミートラック」という揶揄するような言葉で表現される。でも私は、「マミートラック」の価値が見直されてもいいと考えています。

―どういうことですか。
日本企業は全員が「頑張って働く」ことが当たり前とされていますが、世界的に見れば異例です。諸外国では、少数のエリートは厳しい要求に応える、大多数のノンエリートは与えられた水準の仕事をクリアするだけというのが一般的です。
新幹線で「グリーン車に乗るのが当たり前」なのが日本企業です。それ以外はデッキで立たされる非正規雇用。でも本当は、多くの人は一応座れる自由席でいいはずですよね。この自由席が「マミートラック」とされる働き方です。現状はグリーン車が「ノーマルトラック」になっています。

―なぜそうなったのでしょうか。
戦後の平等主義の中で、エリートとノンエリートの格差がなくなったからです。全ての社員が猛烈に働く文化を作り、正社員であれば平等に扱われる。一概に悪いとは言えません。私は「ガンバリズムの平等主義」と呼んでいます。
でもこれは「がんばれる人の平等」です。がんばれるかどうかは個人の問題ではなく、夜中まで働いている時に子どもの面倒を見ている「銃後の守り」があるからがんばれる。この前提を無視して、そこに女性を投げ込んで、さあ活躍しなさいと競争させられたらしんどいですよね。

―人事考課が「ガンバリズムの平等主義」を補強していませんか?
1990年ごろから「欧米はもっと厳しくやっている」という大きな誤解とセットで、ヒラ社員にも「目標に向かってがんばれ」という評価制度が広がりました。現実は逆で、諸外国ではヒラ社員の評価なんてないのが当たり前です。

―あまり希望が見いだせないですね。
社会全体で見ると、今は移行期なのだと思います。男女ともに「転勤がある仕事は絶対にいやだ」というような考え方が広がっている若い世代と、中高年層との感覚の違いが表面化しています。世代交代によって変化は生まれるでしょう。
もう一つ必要なのは、「ガンバリズム」的な働き方に「ついていけない」「嫌だ」という人たちを振り落とさない形で、「がんばる人」をどう選ぶか考えることです。しかし、「社会は平等になった」と感じている人たちにとっては不愉快な話でもあり、納得できるかどうか。難しいかもしれませんね。

コメントライナー寄稿第26回

2026年1月13日   岡本全勝

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第26回「省庁再編から25年 これまでとこれから」が1月5日に配信され、1月13日のiJAMPにも転載されました。
2001年1月6日に新府省が発足してから、ちょうど25年が経ちます。私は、省庁再編を実施するために内閣に置かれた中央省庁等改革推進本部で参事官を務め、組織の減量を担当しました。あれから四半世紀が経ちました

省庁の再編は、23あった府省庁を13にほぼ半減するものでした。大胆な改革でしたが、再編後は大きな変化なく現在に至っています。府省については、防衛庁が防衛省に昇格し、大臣が置かれるものとして復興庁とデジタル庁が設置されました。府省に置かれる庁や局・統括官などについては、多くの再編が行われています。課題の変化と新しい事務を飲み込みつつ、総数は大きく増やさず柔軟に対応しているようです。

内閣機能の強化の面では、予想を超えて内閣官房が膨張しました。国家安全保障局、内閣人事局などが新設され、首相や官房長官が主宰する本部や会議は88にもなっています。職員定数も大きく増えました。首相指示の政策の企画と、各省にまたがる案件の調整が増えているからでしょう。性格上、内閣官房をどのように組織し運用するかは、官邸主導の在り方と連動した課題でしょう。

もう一度、省庁再編を行おうという議論は少ないようです。省庁の再編は、各府省の機能をどのように括るかの議論です。それだけならばあまり意義はありません。議論するなら、どのような哲学で行うかが論点です。
私は、「生活者省」を設置すべきだと考えています。明治以来、政府は産業振興と公共サービス提供を任務として、省庁の多くが生産者と提供者側に立っていました。しかしその使命を終え、政府の役割は国民生活の安全と安心に重点が移っています。消費者庁、こども家庭庁、内閣府男女共同参画局、内閣府政策統括官(共生・共助担当)、厚生労働省社会・援護局など、これらの部局を集めて一つの省にするのです。そして、政府の使命を明らかにするのです。

政党中心に政策を語れ

2026年1月13日   岡本全勝

2025年11月6日の朝日新聞オピニオン欄「政権交代論のいま」、飯尾潤教授の「政党中心で政策語れ、改革は未完」から。(紹介が今ごろになって、すみません。まだほかにも溜まっています)

―その政権交代の可能性を生み出すには二大政党制が不可欠なのですか。
「そうではありません。選挙による政権交代とは、有権者の投票で新たに信任を得た政党、もしくは政党連合が誕生することです。二大政党制のもとでの政権交代がある一方、多党制のもとでの『2大陣営』型の政権交代もあります」
「後者では、複数の野党が選挙前に連合を作って与党陣営と競い合います。事前に統一公約と首相候補者を決めたうえで選挙に臨めば、有権者は政策と政権と首相を同時に選べます」

―政治改革は二大政党制を目指すものだったという話をよく聞きますが。
「政治改革で衆院に導入されたのは、純粋な小選挙区制ではなく、比例代表制を組み合わせた制度でした。つまり当初から、小政党がなくなるようには設計されていなかったのです。二大政党制ではなく、2大陣営型による競争の方に適した制度と見るべきです」

―政治改革の目標は達成されたのでしょうか。
「政治家中心の政治を終わらせて政党中心の政治にすることが改革の狙いでした。政党中心になることで政策本位の政治が実現していくと考えていました」
「政党中心の利点は、体系立った政策を論じやすくなることです。個々の政治家の言う政策をただ束ねるだけでは、幅広い有権者をまとめうる政策、政権を取れる政策にはなりません」
「しかし政治は今も政治家中心のままであり、政策本位の政治を目指した政治改革は未完のままです」

しんどい仕事を乗り切る

2026年1月12日   岡本全勝

「毎日 難儀なことばかり・・・」は、NHK連続テレビ小説「ばけばけ」の主題歌ですが。ここでは、職場でしんどい仕事を乗り切ることについてです。
「職場の仕事がしんどい」という場合には、いくつかのものがあります。一番多いのは、人間関係です。私の説では、これがほとんどです。次に、仕事についてですが、それには難しい場合とともに、つまらない場合があります。

若手職員が「やりがいがない」と言って、辞めていきます。もったいないと思います。
ある人が、「「やりがいがない」というのは、「やった」という経験がないからではないか」と指摘をしていました(どこで誰に聞いたか思い出せません)。その人は、毎日同じような事務処理を、惰性でつまらなく続けていたそうです。あるとき、上司から難しい仕事を任せられ、上司の助けを借りて成し遂げました。そこから仕事の面白さを見つけて、同じ仕事でも工夫をすることで、やりがいができたそうです。
上司や先輩は、「しごとがつまらない」という部下に対して、「もう少し頑張ってみろ」とか「石の上にも三年」と言います。それも一つの助言ですが、それよりはやりがいがある仕事をやらせてみてはどうでしょうか。少々難しい仕事です。もちろん、任せただけで放置してはいけません。

仕事が難しくてしんどい場合は、そのような経験や訓練を受けていないからでしょう。ある日突然困難な仕事を与えられると、人は困ってしまいます。ところが、小さな困難をいくつか経験すると、次々と難しい仕事が舞い込んだり、とんでもなく難しい仕事が来ても、乗り越えることができます。乗り越える術を身につけているからです。こんな話もあります。「選手を育てる技術」。傷ついても乗り越えることは「レジリエンス」です(『明るい公務員講座 管理職のオキテ』p116)。

拙著『明るい公務員講座』では、一人で悩むなとお教えしました。
難しい仕事を片付ける能力、それは学校でも教えることはできず、本を読んでも身につかないでしょう。職場で鍛えられる、職場で身につける重要な能力です。それは、紙の上の事務処理能力とともに、関係者を納得させる渉外能力です。
私がとんでもない仕事に出くわしても処理できたのは、このように育てられたからだと、今になって思います。いわば徐々に「体力」を身につけたので、それなしに大きなバーベルを与えられると、持ち上がらないとともに体を壊したでしょう。