月別アーカイブ:2026年4月

女性トイレの行列解消は国の仕事か

2026年4月16日   岡本全勝

社会の問題、特に地方行政について鋭い指摘をしている「自治体のツボ」、4月15日は「女性トイレの行列解消は国の仕事か」でした。

・・・国交省は男女が等しく快適に過ごせるよう、トイレの待ち時間を平等にせよ、と施設管理者らを指導していくようだ。利用者が男女同数なら、女性用を多く設計することも求めるそう。ま、内容はいいけれど、国に言ってもらわないとやらないのか、民間は。
NHKホールだけでなく、歌舞伎座も映画館も混雑している。行列を放置する商業施設は選ばれなくなるが、唯一無二の殿堂、歌舞伎座あたりはあぐらをかいて手を打たない。だから国が出てきてしまうのか。そもそも施設を造る前から配慮しておくべきことだ。
女性用トイレの混雑放置という事象に国がお出ましになる事態は、いかに日本が女性の社会進出に関心がないか如実にあぶり出すものといえる。競技場などは男性トイレを開放するなどの対策をとっているようだが、女性が人の集まる場所に出かけるのは難儀だろう・・・

続きは、原文をお読みください。

消費税ゼロ、経営者「反対」66%

2026年4月16日   岡本全勝

3月31日の日経新聞1面に「消費税ゼロ、経営者「反対」66% 給付付き控除は「賛成」86% 社長100人アンケート」が載っていました。
・・・高市早苗政権が導入を目指す飲食料品の消費税ゼロに日本の主要企業の経営者は否定的な見方を示している。日本経済新聞の「社長100人アンケート」では回答の66.3%が「反対」だった。物価高対策としての効果に懐疑的で、財政悪化への警戒感が強い。一方で、給付付き税額控除には所得再分配の手段として支持が集まっている。
アンケートは国内主要企業の社長(会長などを含む)を対象に3月2〜19日に実施し、143社から回答を得た・・・
反対の理由は、代替財源が確保できないから(71%)、景気押し上げ効果は限定的でコストに見合わないから(67%)などです。

4月1日には「ブランシャール氏に聞く積極財政 成長投資「正しい」、消費税減税「異論」」が載っていました。
・・・26日の政府の経済財政諮問会議に有識者として出席した米マサチューセッツ工科大学のオリビエ・ブランシャール名誉教授が日本経済新聞のインタビューに応じた。高市早苗政権の責任ある積極財政の考え方に「正しい」と賛同した。食料品の消費税率を2年間0%にする政府・与党案については「少し異論があるかもしれない」と語った・・・

食料品の消費税率を2年限定で0%にするという高市政権の案について。
・・・私はその案に少し異論を唱えるかもしれない。食料や誰もが必要な商品の税率を所得再分配の観点で引き下げるのは良い考えだ。ただ私が必需品の減税を検討するなら、他の品目の税率を引き上げるだろう。そうでなければ財政赤字を増やし、財政の信認を低下させる。実行するなら予算に中立であることを徹底すべきだ。
なぜたった2年間なのかも論点だ。低所得者層を真剣に支援するならそれは恒久的措置出あるべきだ。景気循環も時限的な減税の理由の一つにはなる。景気後退期に一時的に減税すれば、再増税前に人々の消費を増やすインセンティブになる。これは景気後退期には有用な政策だが、今の日本はそうではない・・・

法律に出てくる「市民」

2026年4月15日   岡本全勝

法律に規定された「消費者市民社会」」の続きです。残る「市民」に関する法律の規定は、次の2つになります。
「市民」特定非営利活動促進法、成年後見制度利用促進法
「市民生活」暴力団不当行為防止法、警察等が取り扱う死体の死因又は身元の調査等に関する法律など

市民という言葉は、市の住人という意味でも使われますが、ここでは、西欧近代で生まれた「政治参加の主体となる自立した個人(citizen)や地域社会を担う主体」として取り上げています。その観点では、警察関係で出てくる「市民生活」は「住民の生活」と言い換えることができるようで、少々異なります。

成年後見制度利用促進法には、ずばり「市民」が出てきます。
(基本理念)
第三条 2 成年後見制度の利用の促進は、成年後見制度の利用に係る需要を適切に把握すること、市民の中から成年後見人等の候補者を育成しその活用を図ることを通じて成年後見人等となる人材を十分に確保すること等により、地域における需要に的確に対応することを旨として行われるものとする。

しかし、市民の定義はないようです。どの範囲を指して市民というのか、国民とはどのように異なるかは不明です(専門家の方に教えていただけると幸いです)。

もう一つ「市民」は、特定非営利活動促進法に出てきます。

特定非営利活動促進法
(目的)
第一条 この法律は、特定非営利活動を行う団体に法人格を付与すること並びに運営組織及び事業活動が適正であって公益の増進に資する特定非営利活動法人の認定に係る制度を設けること等により、ボランティア活動をはじめとする市民が行う自由な社会貢献活動としての特定非営利活動の健全な発展を促進し、もって公益の増進に寄与することを目的とする。

この法律は、案の段階では「市民活動促進法」という名前でしたが、自民党内での反対で、現在の名前になったという経緯があります。ここに出てくる「市民」は、「政治参加の主体となる自立した個人や地域社会を担う主体」という意味だと考えられます。
「市民社会」は歴史学や政治学、社会学でよく使われる言葉ですが、歴史的にそれを勝ち取った西欧諸国と異なり、日本では違った歴史を歩んだので、「市民社会」や「市民」という言葉がなじんでいないのかもしれません。

世界銀行のウクライナ復興支援講師、2

2026年4月15日   岡本全勝

世界銀行のウクライナ復興支援講師」の続きです。写真を送ってもらったので、載せておきます。
改めて、これだけの参加者を日本に呼んで、会合を企画運営するのは、大変なことだと思います。関係者のみなさん、ご苦労さまでした。そして、一日も早く侵略が終わって、復興が本格化することを願っています。

    

日本におけるリベラリズムの位置

2026年4月15日   岡本全勝

3月28日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思さんの「揺らぐ、リベラリズム」から。いつもながら、鋭い分析です。原文をお読みください。

・・・先の衆議院選挙における、中道改革連合の、とりわけ旧立憲民主党の大敗は何を意味するのだろうか。「リベラルの敗北」というのが大方の回答だ。だがそれでは「リベラル(リベラリズム)」とは何なのであろうか。
「リベラル」とはかなり幅を持ったいくぶんあいまいな言葉だが、その中心にあるのは「個人の自由についての平等な権利」だ。そこで、「個人の自由」を制限する、国家、家族、企業組織、宗教、伝統的慣習、共同体社会に対して、それは懐疑の目を向ける。
他方では、民主主義や人権、福祉などの社会的正義の実現を主張する。「自由な個人による民主的な政治の実現」と「古い伝統や因習の打破」によって社会の進歩をめざす。これが「リベラル」の核にある思想であろう。

戦後の日本も、個人の自由、民主主義、人権思想などを受け入れた。しかしそこにもうひとつ独特の事情が加わった。その結果、戦後日本には、「日本」をめぐるふたつの立場ができあがった。ひとつは、平和憲法の理想こそ日本の国是だとする護憲平和主義であり、他方は、日本の国家の安定を日米安保体制に委ねるとする現実主義である。
ところがそこに米ソの冷戦が始まった。その中で、護憲派は社会主義へと傾斜し、他方、日米安保体制の現実派は、米国の自由主義へと傾斜し、ここに戦後日本の政治と思想を特徴づける「革新」と「保守」の対立が生じた。
だが、この「保革対立」は、あくまで日本の特殊事情によるところが大である。それは、敗戦後の日本が、GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策のもとで復興し、日米安保体制のもとで「戦後」へと移行したからだ。その結果、「革新派」の平和主義は、実際には、米国による安全保障と米国が与えた憲法を前提としたものであり、他方、「保守派」の現実主義も端的にいえば米国への「従属」を意味していた。実際には、どこにも「リベラル」などなかった・・・

・・・そこで日本に戻ろう。冷戦以降の日本の左翼革新派は、マルクス流の階級闘争や社会主義の夢を放棄し、米国流の「リベラル」に接近した。21世紀の日本の「リベラル」の課題は、もはや階級闘争ではなく、移民受け入れ、人々の個性や性的多様性の重視、夫婦別姓、それに反原発、反安保法制であり、その根本には護憲がある。
だが、米国流の「アイデンティティー・ポリティクス」を持ちこんでも大衆の心情を動かすことはできない。反原発も反安保法制も、今日の現実の前では、ほとんど説得力を持ちえない。
米国が敷いた「リベラルな国際秩序」が機能不全になれば、日本の安全保障は、切実な現実問題となってくるのであり、もはや護憲平和主義を唱えるだけではどうにもならない。これが、今日の状況なのである。
少し強い言い方をすれば、米国流の「リベラル」を持ち込み、米国が与えた平和憲法をそのまま護持することだけを唱えてきた「リベラル」が影響力を失うのも当然だろう。いや、そもそも日本には固有の「リベラル」などというものはなかったのではなかろうか。

ところで、このように書いてくれば、実は、問題は「リベラル派」に限られるものではないことに気づくだろう。「保守派」も同様なのではなかろうか。
戦後日本の「保守勢力」は、社会主義へと接近する「左翼革新勢力」から「日本を守る」という使命を自らに課した。日米安保体制もそのためであった。「保守」が大きな意味をもったのは、冷戦下で「革新」にそれなりの影響力があったからだ。ところが、社会主義も崩壊し、左翼勢力は米国流の「リベラル」へと変身してゆく。そうなれば、一体、「保守」の存在理由をどこに求めればよいのだろうか。
しかも、戦後、日本は、政治、経済、文化、学術のほとんどの分野で米国を模範とし、それに追従してきたのである。米国は、基本的に「リベラルな価値」を社会の核に据えた国であり、日本の保守勢力も、日米の親密な同盟とは「リベラルな価値の普遍性」を実現するものだと述べてきた。だとすると、その米国における「リベラルな価値」の失墜は、「リベラル派」のみならず、「保守派」にとっても大きな試練になるだろう・・・