年別アーカイブ:2025年

連載「公共を創る」6年

2025年4月26日   岡本全勝

公共を創る」の連載が丸6年になり、7年目に入りました。
第1回は、2019年4月25日でした。今年4月17日で第220回になりました。よく6年も続いたものです。月に3回(当初は毎週)、毎回の紙面では4ページ、文字数にして6800字余りです。自分で自分を褒めてやりたいです。いつも同じことを言っていますね。
資料提供など協力をいただいた、たくさんの人に感謝します。右筆さんの毎回の厳しい朱入れがなければ、できませんでした。

こんなに長くかかるはずでは、なかったのですが。全体構想では、もう少しで完結する予定です。「連載「公共を創る」5年

と書いたら、肝冷斎に「石の上にも6年」と評価(?)されました。

立命館大学講義

2025年4月25日   岡本全勝

今日4月25日は、立命館大学法学部「公務行政セミナー」の講師に行ってきました。昨年に引き続き、4回目になります。立命館大学法学部は、公務員育成に力を入れています。約100人の学生が熱心に聞いてくれました。男女比はほぼ半分ずつです。質問も適確なものでした。

私の役割は、私の公務員経験をお話しすることです。私は官僚としては、少々変わった経験をさせてもらいました。それぞれに大変でしたが、やりがいのある仕事でした。学生には、通じたかな。
あわせて、仕事で悩まない方法や、新聞の読み方など、公務員になる準備も話しました。
一人でも多くの学生が、公務員を目指してくれるとうれしいです。

過疎化と東京集中

2025年4月25日   岡本全勝

4月5日の日経新聞夕刊が、「地域おこし協力隊、最多7910人」を伝えていました。総務省の発表で、2024年度の地域おこし協力隊隊員数が7910人で過去最多になったとのことです。2023年度までの5年間に任期を終えた隊員のうち、定住したのは69%だそうです。

他方で、同じ夕刊で、「東京一極集中なぜ止まらない?」も載っていました。
東京への転入超過は、2019年には8万人を超えていました。コロナの影響で2021年には5400人まで減ったのですが、2024年には8万人近くまで増えました。

東京圏(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)への転入超過は、男性が6万3千人、女性が7万2千人です。転居理由は「希望する大学や仕事がある」が5割です。女性は、医療福祉、小売業、飲食店などのサービス業を希望するとのこと。
女性が減る地方では、結婚しにくくなります。20~34歳の未婚者の男女比は、福島、茨城、富山、栃木、福井、静岡、山形県で30%以上の「男性余り」になっています。

渡邉雅子著『論理的思考とは何か』

2025年4月24日   岡本全勝

渡邉雅子著『論理的思考とは何か』(2024年、岩波新書)を読みました。勉強になります。アメリカ、フランス、イラン、日本の4か国の「作文」「作文教育」を比較して、文化が違うと「正しい論理」が異なることを示しています。
私は「論理的思考とは何か」という表題にひかれて、「どのようにしたら論理的思考ができるのか」を知りたくて買ったのですが、全く違いました。わかりやすい表現にすると「文化の違いに見る論理の違い」です。論理的思考は、世界で一つではないのです。
著者はアメリカの大学に留学し、小論文を書くのですが、「評点不可能」と突き返されます。どんなに丁寧に書き直しても、同じ評価です。ところが、アメリカ式小論文の構造を知って書き直すと、評価が三段跳びでよくなりました。ここで、求められていること、日本とアメリカの論理の違いを発見します。

第二章は、「「作文の型」と「論理の型」を決める暗黙の規範──四つの領域と四つの論理」と題して、次のように、4つの国の規範と論理を比べます。
経済の論理──アメリカのエッセイと効率性・確実な目的の達成
政治の論理──フランスのディセルタシオンと矛盾の解決・公共の福祉
法技術の論理──イランのエンシャーと真理の保持
社会の論理──日本の感想文と共感

アメリカを経済、フランスを政治、イランを法、日本を社会と表現することには、厳密性や論証に欠けるとの指摘があるかもしれません。しかし、4つの国の論理を表現するには、わかりやすい言葉です。
なお、取り上げるのは作文で、アメリカのエッセイは、日本語の随筆ではなく、英語本義の小論文・試論です。ディセルタシオンは、フランスの小論文。エンシャーもイランで作文の意味ですが、これは求められるものが全く異なっています。
国際社会で活躍する人には、とても参考になると思います。日本の職場で文章を書く際に、「結論から書け」と指導されます。私もそのように心がけました。学校で習った作文と何が違うのか。その参考にもなります。お勧めです。

なお、日本文化論についても考えさせられました。かつて、西欧と日本の生活文化の違いを比較する、日本人論が流行りました。それらは極端に言えば、西欧を「進んだ文化・世界の標準」と見なして、「遅れた・特異な」日本を比較するものでした。この本のように、複数国を比較したものがなかったことに気づきます。また、アジアやアフリカ社会と比較したものも、ほとんどありませんでした。
もちろんこの本も、ほかの欧州、アフリカ、アジア、南アメリカを扱っていません。それは一人の研究者では、無理でしょう。