10月12日の朝日新聞「東日本大震災15年へ」「「三陸の希望に」頼った補助金」から。復興庁では、企業から派遣してもらった職員の提案で、「結の場」という、大手企業が助言する場も設営しました。全てがうまくいくことは難しいです。
・・・東日本大震災で被災した会社を、30歳のとき、いきなり任された。
2011年3月11日、イカの加工品を作っていた「共和水産」(岩手県宮古市)は、材料のほとんどを津波で失った。
鈴木良太さん(43)は専務に就任し、社長の父に代わって仕事を一手に引き受けた。
被害総額は1億3千万円。取引先との関係を切らさず従業員33人の生活を守るためには、一刻も早い再開が必要だった。
同業者に誘われて頼ったのは「グループ補助金」だ。複数の被災事業者がグループを組み事業計画を作って申請すると、1業者あたり15億円を上限に、国や県が再建費用の4分の3を補助する。
制度初の募集に手を挙げ、採択された。別の補助金や会社負担も合わせて6億6千万円をかけ、保管庫と生産能力が2倍の新工場を建てた。
自身も、王冠をかぶって「イカ王子」を名乗って広告塔に。通販商品を次々と考案し、イベントに出た。売り上げは震災前の約3倍の11億6千万円に。従業員も増えた。
復興庁は、「三陸の水産業を盛り上げる希望になりたい」と話す鈴木さんを、成功例として「産業復興事例集」に取り上げた。
しかし、23年10月、資金がショートし、9億6千万円の負債を抱え、民事再生法の適用を申請した。「沼に入ったようだった」
実は、震災前から3億円以上の負債を抱えていた。売り上げの9割は宅配サービス業者向けの仕事で、他社と卸値の値下げ競争を繰り返す薄利多売の事業構造から抜け出せていなかった。
東日本大震災では、被災した中小企業の復旧を支える「グループ補助金」制度が作られた。企業の再建費用の4分の3を公金で補助する破格の制度だ。約5300億円が投じられ、今月、岩手県・宮城県での募集を終える。その後の大災害でも活用されたこの補助金は、地域に何を残したのか・・・
続き「なりわい再建、お金だけでは 「専門知識持つ伴走者欲しい」」
・・・地域経済の早期復興を描いて創設されたグループ補助金=キーワード。東日本大震災で被災した8道県、延べ1万余りの事業者に5342億円が交付された。このうち、倒産した事業者は、朝日新聞の取材では少なくとも214ある。
共和水産もその一つだった。補助金を受けた後、売り上げは増えたが、依然として9割は、大量の受注がある宅配サービス業者向けの仕事。不漁と材料費の高騰、電気代の値上げも追い打ちをかけ、作れば作るほど赤字が増えた。
2024年9月に東京の商社に新工場を譲渡し、個人事業主として再出発した「イカ王子」の鈴木良太さん。「ありがたい制度だったが、こっちで値段を決められない被災前の業態を変えなければ、いつかは倒産していた。お金だけでなく、長く『伴走』してくれる専門知識を持った人が欲しかった」と話す。
一方、震災前から将来の方向性を見据えて「助走」していた企業にとっては、補助金は変化のきっかけと原資になった。
岩手県釜石市の水産加工会社「小野食品」は、全工場が被災。グループ補助金を原資に、4億5千万円かけて再建した。
小野昭男社長(69)は震災前から「BtoB(企業から企業へ)」の商売に限界を感じ、地元の水産物セットを毎月定額で届ける通販を始めた。震災後、通販会員は10倍以上に。昨年度の売り上げは震災前の4倍の54億円に達した。小野さんは、「補助してもらった分、税金を払ってお返ししている」と話す。
グループ補助金は現場の要望を受け、応募の要件は少しずつ緩められてきた。20年には「なりわい再建支援補助金」となり、事実上、一企業や個人の申請も可能に。24年に起きた能登半島地震でも、引き継がれた・・・