8月31日の日経新聞、山中伸弥・京都大学教授の「iPS細胞の発見、恐れを抱いた」から。
・・・体のあらゆる組織や臓器に育つiPS細胞の医療応用が近づいてきた。不治の病を治す光明となるだけでなく、将来は老化の抑制や同性カップルの子どもを作ることさえ可能になるかもしれない。「生」を操る研究はどこまで許されるのか。iPS細胞を約20年前に発見し、研究を主導してきた京都大学の山中伸弥教授に聞いた・・・
・・・iPS細胞から作った精子と卵子を受精させ、生命のもとになる受精卵を作製できる。老化を抑制する研究も世界で進んでいる。生命倫理上の課題が浮上してきた。
――iPS細胞から受精卵を作れば、人工的に生命を誕生させられる。マウスではすでに実現し、いずれヒトでもできるようになる。命を操作するような行為は倫理的に許されるのか。
「本当に難しい問題だ。そもそもiPS細胞を作ろうと思ったのは、それまで研究に使っていた万能細胞の倫理的な課題を解決するためだった。万能細胞の胚性幹細胞(ES細胞)は、受精卵から作られていた。皮膚の細胞などから作れるiPS細胞ができた瞬間は、倫理的な課題を克服できたと思った。しかし、数日もたたないうちにちょっと待てよと思った」
「よく考えたら皮膚とか血液の細胞から理論的には精子も作れるし、卵子も作れる。1つの倫理的課題を解決するために一生懸命研究してきて、解決できたと思ったら、より大きな倫理的課題を作ってしまったと思って愕然とした」
――国はヒトのiPS細胞から受精卵を作ることを特定の研究に限り容認するという方針を7月に決定した。研究は進めるべきなのか。
「研究者だけで決めていい問題ではない。マウスの肝臓の細胞からiPS細胞を作り、新しいマウスを誕生させたことがある。そのマウスを見たときに、ものすごく恐れに似た感覚を持った。半年前まで肝臓の細胞だったネズミが今、目の前で走り回っている。こんなことをしていいのかと思った。研究者がそうした感覚を持ち続けるというのはとても重要なことだと思う」
「新しい科学技術に対して私は常にどこまで許されるのかを自問している。しかし、それは新しい技術を拒絶するということではない。技術によって救われる人々が多くいるからだ。たとえば、将来、iPS細胞によって本人由来の精子を作れるようになれば、その選択を望むカップルも少なくないだろう。ただし、ヒトへの応用に先立ち、動物で長期にわたり安全性を検証する必要がある。対象をどこまで広げるべきかという倫理的議論も不可欠だ。科学は常に諸刃の剣であり、人類に福音をもたらし得る一方で、惨禍を招く可能性もある」・・・