月別アーカイブ:2025年8月

分業・比較優位論の限界

2025年8月16日   岡本全勝

経済対策と産業政策の違い2」の続きにもなります。

アダム・スミスは、工場内の分業による労働生産性の上昇を論じました。デヴィッド・リカードは、比較優位論を提唱しました。自由貿易において各国が最も優位な分野に集中することで、互いにより高品質の財と高い利益を享受できるようになるのです。
これらの理論は間違ってはいないのですが、重大な問題を忘れていました。
一つは、優位な分野を持たない地域や国、国民はどうなるのでしょうか。
二つ目は、互いの国が優位な分野に特化するとしても、劣位な産業に従事していた職人たちはどのようにして、転職するのでしょうか。

比較優位論は、勝者の論理であり、負け組のことを考えていません。また、勝ち組になるとしても、転換にかかる時間とその過程を考えていません。
欧米での寂れた旧工業地帯や炭鉱地帯が、その例です。アフリカ各国は、未だに経済成長しません。日本でも過疎地域、かつて稲作に頼っていた地域は、この論理では豊かにならないのです。
比較優位論のこの欠点と対策を論じた議論はないのでしょうか。ご存じの方のお教えを乞います。

進むカスハラ対策、お客様は神様ではない

2025年8月16日   岡本全勝

8月2日の朝日新聞に「カスハラ、進む対策 ボディーカメラ・イニシャル名札・飛行機搭乗拒否… 「我慢はするな」発信も」が載っていました。
・・・顧客らが理不尽な要求をするカスタマーハラスメントについて、企業の対策が進んでいる。朝日新聞が実施した主要100社アンケートでは対策を実施している、また実施予定と答えた企業は87社に上る。録画したり、名札の表記を変えたりするほか、サービス停止に踏み込む企業も。各社は従業員が安心して働ける環境作りに力を注ぐ。

西武鉄道は3月、駅員が常駐する82駅に、胸元につける防犯カメラ「ボディーカメラ」を配布した。カスハラや犯罪行為の記録を残すためで、使用時は録画していることがわかる表示が出る。駅員が常時着けるわけではなく、必要に応じて使う。
また、池袋や西武新宿など主要5駅では、オープンカウンターの天井面に録音機能が付いた防犯カメラを設置。91駅の対人窓口には独自につくったカスハラ防止のポスターを貼った。「従業員が安心して働ける環境を整えながら、カスハラ行為に毅然(きぜん)と対応するメッセージを込めた」(広報)。
社員名の表記を変える企業も相次ぐ。カスハラでは従業員の名前をSNSにさらすケースもあるためで、特にトラブル対応の窓口は深刻だ。
損害保険ジャパンでは、顧客と接点のある一部の部署は、担当者の名字のみ伝える運用にしている。事故対応で見解の相違などからSNSに従業員の個人情報をさらされる行為が起きていることに対応した。イニシャル表記をOKとしたのはローソン。昨年から店舗従業員の名札は、店舗の判断で「役職と任意のアルファベットまたはイニシャル」で表記できる・・・

・・・セコムは2月、カスハラに関する基本方針を策定し、吉田保幸社長が基準を超えた顧客には「解約になってもいいから、我慢はするな」と社内に発信した。吉田社長は取材に「一番大事なのは社員です」と話した。
カスハラは働き手が身体的、精神的に苦痛を強いられ、休職や離職の原因にもなっている。法律の改正で、2026年にはカスハラから従業員を守る対策が企業に義務付けられる・・・

鉄道各社の暴力防止ポスター「カッとなっても STOP!暴力」を見ると、鉄道社員に対して、こんなことが行われているのですね。1年間に、522件だそうです。

ゆっくりと本を読みたい

2025年8月15日   岡本全勝

また、定番のぼやきです(苦笑)。
多くの方が、夏休みではないでしょうか。私も、夏休み中です。
休みの前には、あれをしよう、これもしたいと考えますよね。外出、片付けなどなど、ふだんできないことに取り組もうとします。

読書も同じで、読もうとして置いてある本、特に分厚い本を読みたくなります。そして、挑戦はするのですが、後はご想像の通り。原稿の締め切りは、待ってくれませんし。
その前に、図書館で借りてきた本を、返却しなければなりません。分厚いので買わずに、借りたのですが。なかなか終わりまでたどり着かず。

何事も、願望だけでは進まず、計画を立てないと進みません。そして着手しなければ。だらだらしているだけで、時間は過ぎます。孫の相手もしなければならないし。
暑いし。ビールはおいしいし。
ハハハハ。休みとは、そんなものですよ。いつものように開き直り。

人脈による仕事

2025年8月15日   岡本全勝

7月31日の日経新聞「基軸なき世界 プラザ合意40年 激変 外為市場㊦」は「変わる「通貨マフィア」の人脈 内輪の議論から多極間の交渉舞台へ」でした。

・・・米東部時間22日午後、米ホワイトハウスの大統領執務室。日本側は政府系金融機関を通じて4000億ドル(約58兆円)の投資支援の枠を設けると提案した。より巨額の投資を求めてきたトランプ大統領を前に、その場で支援の額を最大5500億ドル(約80兆円)に増やすことで合意した。
急転直下の合意にこぎ着けた立役者の一人が、財務省で国際業務を担当する三村淳財務官だ。「トランプ氏を納得させるためにはぎりぎりどこまで増額が可能なのか、三村氏がその場にいたからすぐに判断できた」。財務省幹部はこう語る。

省庁の次官級ポストでもある財務官の主業務は通貨政策で、通商分野での交渉は本来は担当外だ。だが、三村氏は日米関税交渉における事務方の中核の一人として、交渉役の赤沢亮正経済財政・再生相を支えた。合意までの渡米回数は8回。20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議など山積するほかの会議の合間をぬって、最後は食事を取る時間もままならない状況で交渉の詰めの作業に奔走した・・・

・・・金融市場の歴史的な転換点で、これまでも交渉や調整の最前線を担ってきた財務官。米国の財務長官や主要国の通貨当局の責任者らとかつては秘密裏に為替相場や通貨政策について議論していた名残から、「通貨マフィア」ともしばしば称される。
通貨マフィアたちが台頭したのは1970年代前半、米国の威信が揺らぎ、主要通貨が対ドル固定相場制から変動相場制に移ったころだ。石油ショックが起こり、インフレと経済不況に対応するために、主要国が討論する場として、米国、英国、フランス、西ドイツ、日本による「G5(主要5カ国)」の財務相らが集まった。為替変動の荒波のなかで、各国の通貨当局トップも頻繁に顔を合わせるようになった・・・

・・・だが、民主主義などの価値観を共有する内輪の集まりだった通貨マフィアたちの会合は、市場のグローバル化や新興国の台頭で急速に変貌した。97年のアジア通貨危機をきっかけに、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓のASEANプラス3の枠組みができ、99年にはG20財務相・中央銀行総裁会議が始まった。
2015年7月から過去最長となる4年間財務官を務めた浅川雅嗣氏は、「国際会議も増え、主要7カ国(G7)のように基本的な価値観を必ずしも共有していない国とのやりとりも増えた」と語る。為替市場へのインパクトはより見えにくくなった。

複雑化する市場との対話を円滑にするために問われたのが人脈の多様さだ。一例が2015年夏、突如起きた中国人民元の下落。「何が起きたのか」。中国人民銀行(中央銀行)からの公表もないなかで、浅川氏は日ごろから懇意にしていた中国財務当局や人民銀行の担当者に接触をはかり、人民元の切り下げを把握した。国際通貨基金(IMF)との議論も経て、多方面の情報から中国が人民元を国際的な主要通貨にしたいという意図を読み解いていった。
2022年、24年ぶりの円買い介入に踏み切り、国内外から注目を集めた前財務官の神田真人氏が注力したのも、市場の人脈の洗い出しと拡大だ。約1年かけて、海外の主要中銀・財務省の幹部やエコノミストらとの報告ラインを見直したほか、分散型金融(DeFi)経由で取引するプレーヤーなどとも関係を構築し、為替介入に備えた。
「市場は全く違うものになった。それに向けて通貨当局も常にアップデートする必要がある」と神田氏は当時語った・・・

1年や2年で交代する霞ヶ関幹部にあって、財務官は長く座ることが多い珍しい職です。人脈がものを言う、それも国内でなく国際金融の世界だからでしょう。
指導者論や管理職論で、組織内部の管理や指導が取り上げられますが、それと同様に重要なのが渉外です。いえ、内部管理は部下に任せることもできますが、外部との交渉は幹部でしかできないのです。そして、力量を発揮できるのが交渉ごとです。
それは、首相についても言えます。内政は官房長官や各大臣に任せることができますが、外交は首相が出かけなければなりません。

東京への憧れ

2025年8月14日   岡本全勝

過疎問題の原因の一つに、東京への憧れがあります。読売新聞「あすへの考」でも指摘しました。
先日、あることから、司馬遼太郎著『街道をゆく37 本郷界隈』(原著は1992年、朝日新聞社)を読みなおしていたら、287ページ「漱石と田舎」に、次のような文章がありました。

・・・本郷からすこし離れて、想像を自由にさせたい。
明治後の東京が異常な憧憬を地方からうけてしまったことについてである。
当時の英国の田舎に住む紳士階級にとって、首都のロンドンは単に、金融や商工業、あるいは政治をするためのいわばビジネスの機能であるにとどまり、特別な尊敬の対象ではなかったはずであった・・・
・・・アメリカもそうらしい。アメリカのある日本学者がいった。
「日本のふしぎは、田園(いなか)を一段下にみることですね。アメリカ人はニューヨークいに住むよりも、田園に住みたがります。日本人の場合、ひょっとすると逆ではないでしょうか」
ひょっとするとどころではない。こんにちの日本ほど東京への一極集中のはなはだしい時代はない。アメリカの若い人が、ワシントンD.Cにあこがれてのぼってくるなどという話はきいたことがないのである。

都あこがれという日本人の習癖は、はるかなむかしながら、八世紀初頭に出現した平城京(奈良の都)のころにさかのぼるべきなのかもしれない。
当時は商工業が未発達で、都市の必要などはなく、都市は存在しなかった。でありながら、唐の長安の都の三分の一の規模の大都市が大和盆地に出現したのである。青や丹で塗られた宮殿・官衙あるいは都城の楼門は圧倒的な威容を誇った。
日本じゅうが、まだ竪穴住居や掘立小屋に住んでいたころだったから、多少の謀反気をもっていた地方地方の土豪も心をくじかれたに相違なく、要するに津々浦々の鄙どもは、文明に慴伏(しょうふく)させられたのである。首都尊敬という型は、こときにはじまったかとおもわれる。

江戸時代の江戸は、さほどでもなかった。
政治的首都とはいえ、江戸は諸大名の城下の巨大なもので、古の平城京のように質がちがうというものではなかった。加賀百万石の城下の金沢も、規模の大小があっても、江戸と等質の都市だった・・・
・・・こういう状態が一変するのは、江戸が東京になってからである。
「神田界隈」のくだりでふれたように、明治後、東京そのものが、欧米文明を受容する装置になった。同時に、下部(地方や下級学校)にそれを配るという配電盤の役割を果たした。いわば、東京そのものが、”文明”の一大機関だった・・・

・・・ともかくも、明治の東京は、あらゆる分野で欧化に魁(さきがけ)をした。
八世紀の平城京は、やがてその”文明”を国分寺という形で地方に配るのがやっとだったが、一九世紀後半の東京は、機械の伝導装置のように、あらゆる学問や技術を、轟々と音をたてるようにして地方にくばった。
ただし、伝導には時間がかかった。地方へは十年は遅れた。明治の地方人にとって東京がまぶしくみえたのは当然だったといえる。
「東京からきた」
というだけで、地方ではその人物に光背がかがやいているようにみえた。おまなおそうなら、文化的遺伝といっていい・・・