昨日8月25日は、高岡法科大学で講演するために、高岡市に行ってきました。
富山県寄附講義「現代社会と法 自然災害と法 -対応 復旧 復興-」の一つで、私の役割は連続講義の冒頭に、東日本大震災の経験を話すことです。学生と市民、約50人が熱心に聞いてくださいました。
昨年1月に能登半島地震があり、富山県でも氷見市などで被害が出ました。聴衆には、被害を受けた人もおられました。
東日本大震災への対応を話すとともに、能登半島地震との違い、「経験したことのない災害」が起きることを説明しました。
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イギリス、民営化政策転換
8月11日の日経新聞に「英、民営化政策が転換に サッチャー主義見直し」が載っていました。
・・・英国の民営化政策が転機を迎えている。水道などのインフラ部門は投資不足でサービスが劣化し、鉄鋼をはじめとする製造業は地盤沈下が続く。サッチャー政権で世界に先駆けて民営化や自由化を推し進めた新自由主義の本家が官の関与を強める経済政策にかじを切る・・・
記事では、政策転換の例として、次のようなものが上がっています。
・水道や下水道の民営化で、十分な投資が行われず、サービスが低下しました。
・製鉄会社は民営化後、外資に売られ、廃炉の危機に。国費を投入することに。
・鉄道は、一部を再度国有化しました。
世論調査では、国有化支持は、水道が82%、鉄道が76%、エネルギーが71%でした。
民営化だからサービスが低下したのではなく、そのような規制をかけずに民営化・自由化したからでしょう。
分業・比較優位論の限界2
「分業・比較優位論の限界」の続きです。「比較優位論のこの欠点と対策を論じた議論はないのでしょうか。ご存じの方のお教えを乞います。」と書いたら、何人もの方が教えてくれました。ありがとうございます。経済学での議論、経済学者の書いたものなどです。難しいこともたくさん教えてもらったのですが、私なりに理解すると、次のようになります。
自由貿易が進むと、国際競争に負ける産業や地域が出る。しかし、新しい産業がすぐに育つわけでもなく、労働者が転職できるわけではない。そこで、産業が空洞化する地域や、なかなか産業が栄えない国が生じる。それは、どこの国も同じ。
自由主義経済の考えの下、それを市場に任せておくと、改善はなされない。政府の出番が必要。しかし日本も欧米も、空洞化対策を十分打つことができなかった。それは、政府の出番を認識していなかったからでしょう。
1990年代以降は、ときあたかも、政府の市場への関与を最小限にすべきという新自由主義的改革の考えが主流だったのです。私もそう考えていました。市場に任せた、各企業に任せた結果は、海外への工場移転、国内より海外への投資を優先、海外からの製品や部品の輸入拡大、労働者の解雇と給与削減というリストラ(コストカット)などでした。
日本の産業界と経産省の失敗は、国際的には産業の先端分野での競争に負け、国内では空洞化対策を実施できなかったことにあるのでしょう。
働く場の確保と経済安全保障の観点から、市場に任せることなく、政府として責任を持たなければならない範囲があったのです。新自由主義的改革は、適応すべき分野と、例外とするべき分野があるのでしょう。
国家目標を設定する政府
8月5日の朝日新聞オピニオン欄「お手本だった欧米?」、長谷部恭男・早稲田大学教授の「民主主義への総括は尚早」から。
・・・日本は欧米をお手本にしてきたのかと言えば、してきたと私は思います。そもそも明治に岩倉使節団が歴訪した先が欧米でした。戦後日本にも、欧米を目標とする発想は続いています。
そのお手本に揺らぎが見えてきたという意識が今あるとしたら、根っこにあるのはポピュリズムの台頭に対する警戒感でしょう。
とりわけ米国では、ポピュリズム的な人気に支えられたトランプ政権が違憲・違法な方法で大学をいじめており、近代立憲主義を守る防御壁になってきた制度を壊そうともしています。
しかし、民主主義は失敗から学ぶことができるシステムです。いま調子が悪いからといって米国の民主主義システムそのものをダメと総括できるものでは、おそらくないでしょう。
そもそも「民衆は政治的主体としてあてにできない」という話は、100年以上前に社会学者のマックス・ウェーバーも言っているものです。民衆ではなく少数のエリートが議論を方向付け、カリスマ的な指導者が民衆の鼻面を引き回すのが民主主義なのだ、と。
民主主義は昔からそういうものであったし、今もそうであるということです・・・
・・・近代国家には二つのモデルがあります。一つは政府が国家目標を設定して「ついて来い」と号令をかけ、達成された果実は公平に配る国家です。もう一つは、政府は国家目標を掲げず、どう活動するかは個人や企業に決めさせる国家で、新自由主義はこちらです・・・
長谷部先生のこの説明はわかりやすいのですが、私は、後者(どう活動するかを個人や企業に決めさせる国家)も、それを国民に示すことにおいて「国家が目標を設定する」ことだと考えています。「目標設定」という言葉が狭すぎるなら、「国家があるべき国の姿を示す」と言い換えましょう。
宅急便の進化
「すこし古本を処分」の続きにもなります。
知人に送る分は箱に詰めて、近くのコンビニまで持っていこうと考えました。宅配便を受け付けているので。送り状を数枚もらってきました。しかし、箱に詰めているうちに、とてもじゃないけど、こんな重たいものを数箱も持って行けないと気がつきました。台車でもあれば良いのですが。
家まで取りに来てくれることを思い出しました。インターネットで調べたら、かつて利用した記録が残っていました。忘れていました。
宛先と箱の数、品名などを入力すると、翌日指定した時間帯に引き取りに来てくれました。送り状を、手で書かなくてもよいのです。これは便利です。
クレジットカード(タッチ式でしたが)で支払うと、引き受け証も領収書も、集配者の腰につけた機械が打ち出してくれました。
そして、本が詰まった重い箱をさっさと持ち上げて、運んで行ってくれました。ありがたいです。