コメントライナー寄稿第24回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第24回「英語が国語になる日」が8月18日に配信されました。

解説には「日本語には、ひらがなとカタカナと漢字3種類の文字があります」と書かれていますが、アルファベットも使っていますよね。
外国語を翻訳せずカタカナ語で取り入れることも多いですが、最近では日本語にある単語も、カタカナ語に置き換えることが進んでいます。「行事」をイベント、「手助け」をサポートなどです。ところがさらに進んで、アルファベットのまま入れるようになっています。例えばSNS、LEDとか。

1500年ほど前に漢字と音読みを取り入れ、その後の日本語ができあがりました。それを考えると、現在は英語を取り入れているということです。いずれ、イベント、サポートは、event、supportと書かれるようになるのでしょう。そして、英語が国語となり、現在話している日本語は古語になるのではないでしょうか。
理由の1つ目は、英語が必須になりつつあることです。タクシー運転手や和風旅館の従業員も、英語を話しています。
2つ目は、言葉が変わる体験です。40年前に私が鹿児島で勤務したときは、言葉が通じなくて苦労しました。ところが最近は、沖縄の人も鹿児島の人も、ほとんど東京共通語を話しています。急速に変わったのです。
これを考えれば、3世代もあれば、日本語は英語に取って代わられるのではないでしょうか。文法や発音が異なりますが、英語教育と生活での必要性は、それを乗り越えるでしょう。

言葉だけでなく、広く考えると、文明の乗り換えと見ることができます。
1500年前の漢字の導入は、言葉だけでなく、中国思想の輸入でした。古事記の世界から、論語や仏典や史記の思想に乗り換えたのです。そして、江戸末期の開国以来、今度は西欧思想を輸入することに転換しました。法学、科学、医学などなど。この150年あまりを文明の乗り換えとみれば、翻訳とカタカナ語は転換期の手法だったのです。その完成が、日本語から英語への切り替えでしょう。

文明の乗り換えは、明治以来150年をかけてやってきましたから、多くの日本人にとって違和感ないでしょう。憲法をはじめとするこの国のかたちを、西洋風に変えたのですから。しかし、国語の転換は、私にとって悲しいことです。紫式部や夏目漱石はこの事態を見たら、何と言うでしょうか。国語学者に、意見を聞いてみたいです。