荻外荘

先日の休日、孫の相手をしない日に、思い立って、荻外荘に行ってきました。私の散歩道なのですが、ここのところ孫と公園に行くので、久しぶりでした。

荻外荘は、近衛文麿が首相の時に要人と面談をし、最後には自決した邸宅です。大学時代のゼミで、西園寺公望を研究したことがあり、関心を持っていました。
杉並区が、移築されていた半分を買い戻し、かつての姿に復元しました。ほとんど新築に近い作業です。かなりの費用と労力を使ったようです。詳しくは、ビデオで見てください。
家からは、一段下に庭が見え、さらにその向こうに、田圃と善福寺川が見えたようです。庭には大きな池がありましたが、地下鉄丸ノ内線の工事の際に出た残土で、埋めてしまったとのこと。そうでしょうね、あんな広く芝生広場にしていたとは思えません。

自決した書斎も見ることができます。戦後に住んだ吉田茂は、その部屋で寝たとのこと。
食堂で、ほかにもさまざまなビデオを、見ることができます。これは必見です。荻窪駅から歩いて行けます。近くの大田黒公園もよいですよ。
と書いたら、6月17日の朝日新聞東京版に「荻窪 三庭園に息づく歴史と文化」で紹介されていました。

真面目だけでは評価されない

6月10日の日経新聞夕刊「人間発見」、田村咲耶・MonotaRO社長の「優等生気質を超えてゆけ」第2回から。
2007年、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)に入社したときの話です。

・・・1年目は企業をヒアリングして中期経営計画をまとめたり市場調査をしたりしました。文章の書き方や報告書のまとめ方など、上の人が最後までついて赤入れしてくれました。真面目でガッツも情報収集能力もある私は新入社員のエース的存在で、就職情報誌などにも取り上げられました。言われたことをきれいにまとめるのは得意だったのですね。

ところが2年目から評価が急落し、3年目は翻訳しか任されなくなりました。フットワークが軽くて情報は取ってきましたが、それ以上の判断や対応策などを示していなかったのです。電車で帰ることがほとんどないほど頑張ったのに評価されず、どんどん消耗していきました。
優秀な同期はプロジェクトリーダーの意図を理解した上で自分の頭で考えて仕事を進めていたのに、私は学生時代同様、量や暗記に頼っていました。ほとんどの同期がコンサルタントに昇格する中で私は昇格できません。コンサルタントとしては戦力外ということです。

いま思うと、3年目で「おまえの仕事のやり方はだめだ」と突きつけてくれたことに本当に感謝しています。真面目に良い点を取れるように頑張るだけでは、戦力になれないことを痛感したのです・・・

連載「公共を創る」第225回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第225回「政府の役割の再定義ー政治家に求められる能力」が、発行されました。政治家による政策議論について、国会が本来期待される機能を果たしていないことを指摘しています。

社会では、絶えず問題が生まれます。それを、「誰がどのように、そしてどの方向に解決するか」。家族と親族、企業、地域社会、中間団体、宗教、慈善活動やNPO、そして地方議会、国会、行政、司法のうち、誰がまずは責任を引き受け、誰と誰が発言し行動するのか。誰も引き受けない場合、あるいは意見の対立が解消しない場合は、最終的に誰が解決するのか。国によって、解決する主体、あるいは解決することを期待される主体が異なり、またそれら主体の力関係が違います。
同じ近代民主主義国、資本主義自由経済国家であっても、英国、フランス、ドイツ、米国、そして日本は、よってきた歴史と社会が異なり、「国のかたち」が違います。これを考えるのに役立つ書物が、近藤和彦著「イギリス史10講」(2013年、岩波新書)です。英国では、議会が解決の場であるだけでなく、主体になるようです。この本については、このホームページで、たくさんの論点に分けて紹介しました。「覇権国家イギリスを作った仕組み」~「覇権国家イギリスを作った仕組み、9」。番外も「覇権国家イギリスを作った仕組み、12

日本の国会においては、異なる意見や利害を議論して調整することが少ないと指摘しました。では、どこで調整しているのでしょうか。実態として、日本では、内閣、その中でも各省の官僚機構が解決主体として働くものと期待されているようです。
官僚に求められる能力と現実の問題について述べたので、政治家に求められる資質についても書いておきました。

これで、「政治の役割」のうち、「政治主導の在り方」を終えて、次回からは「政治家と官僚の関係」に入ります。

頑張る、社会的歴史的意味

6月7日の朝日新聞オピニオン欄「「頑張る」と言う前に」、大川清丈・帝京大学教授の「能力平等観、報われぬ社会」から。

・・・「頑張る」の辞書的な意味には、忍耐と努力の要素があります。ここには、誰でもやればできるという「能力平等観」が関係しています。生まれつきの能力はあまり違わないという見方です。差があっても後から挽回でき、結果は「頑張り」次第、となります。

歴史的に見てみましょう。日本は明治期以降、立身出世の時代になります。たとえ生まれが貧しくても、頑張れば上に行けるようになりました。さらに戦後は焼け野原で、皆が平等に貧しかった。平等も、「頑張り」を生む一つの条件になります。不平等だとあまり頑張る気がしませんが、平等だと頑張る気になる。当時は食糧難という困難の共通体験があり、何とかして貧しさから脱却したい、おなかいっぱい食べたいという、国民共通の目標もあった。平等、共通体験、共通目標によって、「頑張り」が広がったと私は見ています。

指摘したいのは、「頑張り」は社会的なものでもあるということです。立身出世の時代でも、同級生や仲間同士で切磋琢磨していました。1人で頑張るよりも、頑張れ、頑張ろうと共に努力したのです。
そんな「頑張り」は高度経済成長期に浸透していきます。会社のために頑張ればそれだけ年収が増える時代だったのです。その流れが変わったのはバブル期でしょう。ぬれ手であわのように金もうけができると、まじめに働いても馬鹿を見ると感じます。さらにバブル崩壊後、今度は頑張っても報われなくなった。いわゆる格差社会です。ますます「頑張り」の基盤が掘り崩されていきます。

1995年の阪神・淡路大震災では「がんばろう神戸」が合言葉となりましたが、被災者に「頑張れ」は心ない言葉だ、とも言われるようになりました。97年ごろから三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券などが経営破綻する中、「頑張らない」というスローガンが出てきます。2000年には鎌田實さんの著書「がんばらない」もヒットしました。当時の「スローライフ」、令和の「親ガチャ」にも通じる流れでしょう。

とはいえ、「頑張り」という言葉は、今でもしぶとく残っていると思います。「頑張ります」など、皆があいさつのように言い、一種の空気を読むような言葉としても使われ続けています。これだけ価値観が多様化しても、社会を辛うじてつなぎとめる言葉の一つと考えられるかもしれません・・・

戦後日本の産業政策

国際協力機構(JICA)で、発展途上国政府幹部相手に、日本の発展の成功をお話ししています。私の担当は行政の役割ですが、国土計画や産業政策は必須なので、それぞれの専門家にお願いしています。

意外と、それらの全体を説明した本や論考はないのです。それも、外国の方に説明する際に使えるものです。行政の役割を私が担当するくらいに、専門家もいません。
日本は、西欧先進国を向いていて、アジアやアフリカの後発国を向いていなかったことが、こんなところにも現れているようです。

産業政策については、JICAに良い論考がありました。
和田正武執筆「日本における戦後産業復興、発展の中での産業政策の役割」(国際協力機構 緒方貞子平和開発研究所)
次のような本もあります。大野健一著「途上国ニッポンの歩み: 江戸から平成までの経済発展」(2005年、有斐閣)