インドネシア政府幹部への講義

昨日5月20日は、インドネシア法務省幹部に、日本の地方自治体の職員研修について、講義をしました。法務省がインドネシア国幹部を招いて行っている研修の一コマです。参加者は16人、うち女性は9人です。

市町村職員中央研修所を視察いただき、私が、市町村職員中央研修所を含め、自治体職員研修の全体像を説明しました。通訳を介して1時間ですが、半分を質疑に充てました。たくさん質問が出て、時間を超過しました。満足してもらえたと思います。ちょうど、法令執務の研修をしていたので、その授業風景も見てもらいました。

 

かつて街にも列車にもゴミがあふれていた

5月2日の朝日新聞「写真館 since1904」は「あふれるごみ ポイ捨て、今は昔」でした。
・・・日本はかつて「ごみの国」だった。
そう書きたくなるような写真の数々だ。海水浴場や動物園、観光地に向かう列車内はごみであふれ、東京の川はごみ捨て場と化した。
今ではポイ捨てを禁止する条例が各地にでき、道端のごみにも目を光らせる。時代は変わり、清潔が正義になった。5月3日は「ごみの日」・・・

そして、1969(昭和44年)の神奈川県鎌倉市の材木座海岸、1952(昭和27年)文化の日の東京・上野動物園、1968(昭和43年)の国鉄房総東線急行列車車内、1965(昭和40年)の東京・目黒川、1950(昭和25年)の東京・銀座の風景写真が載っています。
いずれも、ゴミであふれています。
日本人が公共の場でゴミを捨てなくなったのは、まだ最近のことなのです。

発展途上国政府幹部に日本の成功(行政の役割)を話す際に、日本人の清潔さ、決まりを守ること、社会的つながり(社会関係資本)が、その基礎にあったことを説明します。すると、多くの参加者から、「我が国は無理だ」との反応があります。
その際に、「いえいえ、社会の規律はつくるものです。明治初年に来た外国人は、日本人が時刻を守らずだらしない、と嘆いています。なのに、今では電車が1分遅れただけで、車掌はお詫びします。またかつては、電車の中もゴミだらけだったんですよ」と話すと、皆さん驚きます。

数十年後には、「かつて日本人は歩くときに、スマホを見ずに、背筋を伸ばして歩いていた」と写真が載るのでしょうか。

復興庁オーラルヒストリー3

復興庁オーラルヒストリー2」の続きです。「東日本大震災に関するオーラルヒストリー」に、追加がされています。
佐藤 慎一・元内閣官房内閣審議官と田島 淳志・元東日本大震災復興対策本部事務局参事官、元復興庁参事官(総括班)の記録が、興味深かったです。発災直後から、政府として何をするべきかを考えていたのです。そして、復興法案等準備室をつくり、復興基本法の案を作成し、構想会議を立ち上げ運営し提言をとりまとめます。
復興構想会議の審議(迷走ぶり)は報道で知っていましたが、知らなかったことが多いです。私が被災者生活支援本部で、被災者の支援と被災地の応急復旧に取り組んでいた時に、内閣官房ではこのようなことが行われていたのですね。

佐藤さんは、想像力を生かすことと、業務の日程管理、担当者の配置、彼らへの指示に気を遣います。このあたりは、私と同じ苦労ですね。前例のない緊急事態の際の対応は、いかに人によるかがわかります。
このような知恵と苦労について、行政文書にはどの程度残っているのでしょうか。かつての公文書にしろ新しい概念である行政文書にしろ、ここに記された佐藤さんの苦労ぶりや知恵の出し方は、残らないと思います。聞き書き(オーラルヒストリー)が持つ効果でしょう。

後に被災者支援本部を閉じて、復興本部をつくる際(2011年6月)に、被災者支援本部事務局と法案準備室とが合体することになりました。当然、佐藤審議官が新しい本部の責任者になる(私はお役御免で元の職場に戻る)と思っていたのですが、佐藤審議官は財務省に復帰し、私が復興本部に勤めることになりました。

法案準備室は主に頭脳作業をしていて、被災者支援本部は現地で汗をかいていた(服装は出動服)ので、私は冗談で「法案準備室は頭脳労働者、被災者支援本部は肉体労働者」と表現していました。その二つの組織と職員を合体させることは、うまくいくか心配でした。
法案準備室から来る田島参事官と2人で、新しい組織をどう作るか打ち合わせをしました。初対面でしたが、話しがかみ合って安心しました。私が本音をぶつけても、全て理解して対応してくれたのです。
で、復興本部とその後の復興庁の組織編成や職員集めは、ほぼ田島参事官に任せました。2人で、前例のない大胆なことをしました。いろいろ悩むこと困ったこともありましたが、うまくいったと思います(正確には悩んでいるひまがなく、次の課題を片付けなければならなかったのです)。田島君のおかげです。

自由と平等が進むと社会が分裂した

4月27日の読売新聞「あすへの考」は、佐伯啓思先生の「「米主導」没落 文明並立へ」でした。いつもながら鋭い分析です。ここでは一部しか紹介できないので、原文をお読みください。

・・・トランプ氏が高関税など独善的政策を強行しています。特異な米大統領の突拍子もない好き放題が耳目を引きますが、私は「トランプ現象」の由来に着目します。
第一は民主党のリベラル的政策の破綻。多様性確保や性的少数者擁護を「ポリティカル・コレクトネス(政治的公正)」を盾にして一つの正義にし、反感を買った。
第二は米国東部・中西部の「ラストベルト(さびついた工業地帯)」が物語る、製造業の衰退と白人労働者らの困窮。
第三は司法・行政などの専門家に対する大衆の信頼の喪失。専門家は利己的で、公正な判断を怠っていると多くの国民が受けとめた。

私は次のように考えます。
個人の自由や権利の平等を尊ぶ自由主義は米国の中心的価値です。ただ多様性や少数者をめぐり自由と平等の徹底を図ったことで、かえって社会が分裂した。中心的価値が齟齬をきたしたのです。
ラストベルトは世界規模の経済競争の結果です。米国は鉄鋼など国際競争力を失った製造業を見捨て、情報技術(IT)と金融を最重視する政策転換を敢行した。米国型ITと金融は国際市場を制したが、一握りの人間が利益の大半を手にする事態となり、貧富格差が甚だしく拡大した。ITは虚偽情報の洪水を起こし、社会の秩序と道徳の混乱を招いた。
トランプ現象はグローバル化が破綻していることの反映です。トランプ氏が高関税で自由貿易を破壊していると見るのではなく、グローバル化で自由貿易がうまく機能しなくなる一方で、市場競争に代わる制度を見いだせない状況下で、トランプ氏は強引に事を運んでいると理解すべきでしょう。

グローバル化は東西冷戦でソ連に勝利した米国の自由主義・市場競争・IT・金融が一気に世界に拡大した現象です。米国には独特の歴史観があります。「アメリカニズム(米国型)」は普遍的であり、世界が米国型を採用し、同じ一つの方向に進めば国際秩序は安定し、人類は幸福になるという信念です。
実際には米国型は米国の風土の産物です。その担い手は「ワスプ(アングロサクソン系プロテスタント白人層)」でした。古代ギリシャ・ローマを範とするエリート主義です。この支配層が道徳観と責任感を共有し、国を動かした時代は自由・民主主義はうまく作用した。綻びが生じたのは1960年代。人種的少数派の黒人が公民権運動を通じて政治に参画するようになったことです。ワスプは米国型の人権の普遍性という建前に縛られて、自らの支配を手放す行為に至ったともいえます。以後、多文化主義が台頭し、国論の分裂・対立が常態化してゆきます。
一方、自由主義経済学の根本理念、「私益は公益なり」はグローバル化の経済には通用しなかった。企業が利益を求めて生産拠点を国外に移転すれば、国内の製造業は空洞化する。私益の追求は公益に直結しないのです・・・

・・・私見では「冷戦後のグローバル化」「100年に及ぶ米国型の普遍化」「250年に及ぶ欧州近代社会」という三つの試みが今、全て機能不全に陥っているのです・・・

国家公務員行動規範の策定

5月15日に、人事院が「国家公務員行動規範」を策定しました。「人事行政諮問会議」の最終提言を受け止め、人事院が策定したとのことです。3つの柱からなっています。
1 「国民を第一」に考えた行動
2 「中立・公正」な立場での職務遂行
3 「専門性と根拠」に基づいた客観的判断

人事行政諮問会議の答申には、次のようにあります(6ページ)
1 国家公務員の行動規範の策定
【全職員を対象/本提言後直ちに】
今後、これまでにも増して多様な人材が公務で活躍することが見込まれる中、組織パフォーマンスの向上につながるよう人的資本の価値を最大化するためには、組織と職員の業務遂行双方における目的や方向性が一致することが不可欠である。したがって、職員が仕事をするに当たって判断のよりどころとなり、自身の仕事を意義付け、国民からの信頼の下に円滑な公務運営を行えるよう、国家公務員に共通して求められる行動を明確にすることが必要となる。しかし、これまではこうした行動が分かりやすい内容で言語化されていたとは言えない。
こうした状況を踏まえ、当会議では、全ての国家公務員が職務を行うに当たって常に念頭に置くべき基本認識を言語化し、共通して求められる行動の指針となる「行動規範」を策定することが適当と考え、定めるべき内容を第9回及び第11回会議で議論した。この結果、「全体の奉仕者」(憲法第15条第2項)として国家公務員に求められる行動規範を分かりやすく言語化することが適当であるとの結論に至った。具体的には、①国民を第一に考えること、②中立で公正な公務運営を意識すること、③根拠に基づいた客観的判断を行うことの3つの要素を中核的なものとして検討した。
このような議論の結果、「国家公務員行動規範」として望ましい内容を次のとおり提言する。

内容は至極まっとうなことで、良いことだと思います。ただし、このような規範を定めなければならいとするなら、なぜなのか、このような規範を逸脱するどのような行為がなされているのかを、明確にするべきでしょう。
かつて過度な接待を受けていた問題では、該当者が処分され、国家公務員倫理法が定められました。事件の反省に立って、何をしてはいけないかが具体的に示されています。「よくある質問」を読むと、よくわかります。
では、今回の「行動規範」では、何をしてはいけないのでしょうか。職員研修などでは、どのように教えるのでしょうか。具体事例(してはいけない事例)を示さないと、職員の頭には入らないのですよね。

私が聞いた、若手官僚の悩みは「どのようにしたら良い仕事ができるか」「どのようにしたら官僚としての能力が身に付くか」といったことよりも、次の三つでした(連載「公共をつくる」第157回)。
・ 生活と両立しない長時間労働がいつまで続くのか
・ 従事している仕事が国家・国民の役に立っているのか
・ この仕事で世間に通用する技能が身に付くのか

これらの悩みと疑問に応えないと、良い目標を掲げても、官僚たちはついてこないと思います。