「紙の教科書、電子の教科書」の続きです。酒井邦嘉・東京大教授の発言に、次のような話があります。
「デジタルの利点は教育において、むしろ裏目に出ることが多い。
最近の教科書にはデジタル教材につながるリンクが多く載っているが、情報過多となり、逆効果だ。リンクがある度にそのまま読み進めるかどうかの判断を迫られる結果、思考を巡らせながら読むことができなくなり、理解の妨げとなる」
納得します。紙の文章でも注が多いと、そのたびに本文の流れが中断してしまいます。私はたいてい、注があってもその時に読まず、後でまとめて読むことが多いです。
インターネットで文章を読んだりすると集中できないのは、酒井先生の指摘されていることが理由なのですね。
新聞とネットニュースの違いに、有限と無限の違いがあります。無限の方がたくさん知ることができると思いますが、そうではありません。無限はキリがないのです。それと、主たる記事を集中して読むことができません。
ネットサーフィンしていると、「あれ、私は何を調べていたんだっけ」と当初の目的を忘れていることが多いです。テレビでも、チャンネルが多いと、一つの番組を集中してみることができません。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」ではなく、「多兎を追う者は一兎をも得ず」です。
先生の発言には、次のようなこともあります。
「検索機能や動画の視聴など、様々な機能があるほど便利にはなるが、その一方で思考力や創造力が奪われ、人間は脳を使わなくなってしまう」
これも、大いに納得します。自分で考えない人が増え、学校だけでなく職場でも困ったことが起きるでしょう。他方で、独裁国家はやりやすくなります。情報統制をしておけば、国民はそれを鵜呑みにするのです。強権を発動しなくても、権力が(間違ったことをしても)正しいと思い込むでしょう。
機械によって便利になれば、それまで使っていた機能は退化します。
人類の足は、運動選手を除いて、どんどん退化するでしょう。孫たちには、マッチで火をつける方法や、かまどなどでご飯を炊く方法を教えなければなりません。機械が止まったとき(停電したとき、災害時)に、それが露見します。