正社員の転職100万人

3月23日の日経新聞に「正社員の転職が最多、24年99万人 若手ほど賃金増加」が載っていました。
・・・正社員の転職が増えている。2024年は99万人と前年から5%増え、比較できる12年以降で最多となった。20代後半から40代前半が多く、より良い待遇の企業に移る例が多い。企業は賃上げや職場環境の改善を続けなければ優秀な人材を囲い込めなくなっている・・・

記事によると、2013年頃の正社員から正社員への転職は60万人程度で、10年間で6割増えています。非正規社員から正社員への転職は32万人で、増えていません。
年代別に見ると、25歳~34歳が最も多く、次が35歳~44歳です。転職で賃金が増えた人は20代前半では5割、減った人は2割います。年代が上がるにつれて、賃金が増えた人の割合は減り、50代後半からは減る人の方が多くなっています。

連載「公共を創る」第220回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第220回「政府の役割の再定義ー国家像を議論する共通基盤」が、発行されました。

政治家の役割として、この国の向かう先を指し示すことを取り上げています。
1980年代には世界有数の豊かさを手に入れ、併せて自由と平等、安全と安心も手にしました。目標を達成したのです。そこで当時も、日本は次に何を目指すべきかが議論されました。
中央省庁改革の方向を決めた「行政改革会議最終報告」(1997年)は、経済成長を達成した後、行き詰まった日本の行政システムを改革するものでした。そこでは行政の仕組みにとどまらず、「この国のかたち」の変革を求めました。省庁改革は実現したのですが、その後の目指すべき日本の姿については、政治家、官僚、識者の間でも議論は深まりませんでした。結局、明確な将来像も国家戦略も持ち得ないままに、現在まで至っています。

そのような議論をせずに、行政改革を続けました。今も、「身を切る改革」などを主張する政治家がいますが、政府を小さくしても、国民が満足する社会は実現できません。私たちが取り組まなければならなかったのは、行政改革を深化させることではなく、目指す将来像の議論であり、その中での行政の役割だったのです。

では、これから日本が目指す国家像は、どのようなものでしょうか。「国民が自由に振る舞う、国家はその条件を整える」という政治哲学では、かつての「強い日本」「豊かな日本」といった、国民が共通に目指す国家目標は、設定が難しくなりました。
石破茂首相が「楽しい日本」を提唱しました。反対意見もあります。目指す国家像は人によって異なるでしょう。

目指す国家像が人によって異なることは当然として、議論する際に前提となる「共通基盤」はあると思います。
その1は、我が国が経済発展を達成したことと、それに伴う国内の諸状況です。
2つめに、国内外の諸条件を、念頭に置かなければなりません。1990年代と現在では、「次の日本の目標」を考える際の内外の条件が大きく変わった、ということです。

政権に入らない野党の打算

4月4日の日経新聞経済教室は、境家史郎・東京大学教授の「少数与党下の政策、問われる有権者の判断力」でした。

・・・なぜ少数内閣が存在するかという問題は、なぜ閣僚ポストと一定の政策実現を約束されるにもかかわらず政権入りを拒む政党があるのか、という問題と言い換えることもできる。ノルウェー出身の政治学者カーレ・ストロムによれば、これは政党がより長期的な視点から得失計算すると仮定することで理解できる。
政権入りに現時点で一定の利益があるとしても、次の選挙で政権運営全体の責任を問われるリスクを負う。このリスクが大きいと判断する政党は容易に政権入りに応じない。国民民主党や日本維新の会が閣内協力を否定するのはそのためで、不人気の自民党と一蓮托生になりたくないのである。
以上の議論は、裏返せば現野党の連合による政権交代が実現していないことの説明にもなる。国民民主党や維新の会にとって立憲民主党と組むことは、自民党と組むこと以上にリスキーと見られているのである・・・

・・・この点で参考になるのがオランダ出身の政治学者アレンド・レイプハルトの、多数決型民主主義とコンセンサス型民主主義を対置する議論である。多数決型とは英国のように過半数議席を得た単独政党に権力を集中させるタイプを指す。コンセンサス型は欧州大陸諸国に見られるように、統治への幅広い参加や政策への広範な合意が目指される。
伝統的に政治学では多数決型、すなわち英国式の二大政党制を理想視する向きが強かった。しかしレイプハルトの分析によると、実際には様々な経済指標でコンセンサス型は多数決型と同等以上の結果を出している。またコンセンサス型では相対的に汚職が少なく、選挙の投票率が高く、国民の民主主義への満足度も高いといった傾向がある。

この議論を踏まえると今回、自公政権がコンセンサス型の政権運営を強いられることになったこと自体を悲観する必要はない。「103万円の壁」にせよ、高校授業料無償化にせよ、これまで政権内に異論の強かった、もしくは関心を持たれにくかった政策争点が野党の影響を受け、この半年間に動き始めている。
夫婦別姓やガソリン暫定税率の議論も進むかもしれない。個別の政策への賛否は様々あるとしても、長らく惰性で続けられてきた政策が変化する可能性が高まったのは多くの有権者の期待するところだろう。

ただし、レイプハルトはあくまで国際的な「傾向」を示したにすぎない点にも留意しなければならない。多くの政党が政権入りせず影響力を発揮する政治のあり方には、やはり短所もある。ひとつの大きな懸念は政策決定の責任の所在が不明確になることである。
すでにこの半年に見られたように、財政全体に責任を負わない各野党が個別に多額の費用を要する政策実現を要求し、財政規律が緩みつつある。その結果、仮に今後インフレがさらに進むとしよう。そのときどの政党が責任を問われるのだろうか。少なくとも与野党は互いに責任をなすりつけ合うことになるだろう・・・

産業分類

私は学生時代、産業分類として、第一次産業、第二次産業、第三次産業の違いを学びました。これはクラークの3分類で、ウィキペディアによると次のようなものです。
第一次産業 - 農業、林業、鉱業、水産業など、狩猟、採集。
第二次産業 - 製造業、建設業など、工業生産、加工業。電気・ガス・水道業
第三次産業 - 情報通信業、金融業、運輸業、販売業、対人サービス業など、非物質的な生産業、配分業。

かつてはこの分類が有効でした。「公共を創る」第41回で図1で説明したように、1950(昭和25)年では、第1次産業が49%、第2次産業が21%、第3次産業が30%でした。1970(昭和45)年には、それぞれ19%、34%、47%になりました。
1990(平成2)年では、第3次産業が6割になり、2015(平成27)年では、第1次産業はわずか4%で、7割が第3次産業です。産業の3分類は、意味を持たなくなりました。

現在、統計として使われているのは、日本標準産業分類のようです。そこでは、次のように大きく、20に分類されています。「大分類A~T
A農業,林業。B漁業。C鉱業,採石業,砂利採取業。D建設業。E製造業。F電気・ガス・熱供給・水道業。G情報通信業。H運輸業,郵便業。I卸売業,小売業。J金融業,保険業。K不動産業,物品賃貸業。L学術研究,専門・技術サービス業。M宿泊業,飲食サービス業。N生活関連サービス業,娯楽業。O教育,学習支援業。P医療,福祉
Q複合サービス事業。Rサービス業(他に分類されないもの)。S公務(他に分類されるものを除く)。T分類不能の産業

この中が、さらに中分類、小分類に分けられています。しかし大分類が20とは、多いですね。3分類なら、理解しやすいのですが。サービス業の中を、いくつかに括れませんかね。何か良い切り口はないでしょうか。試みておられる先学がおられたら、教えてください。

官僚による調整でなく議員間討論で

4月3日の日経新聞経済教室は、飯尾潤・政策研究大学院大学教授の「少数与党下の政策、議員間討論で妥協点探れ」でした。
・・・2024年の総選挙以来、石破茂内閣は衆院で過半数の議席を持たない少数与党政権となり、25年度予算案の修正協議など従前とは違う政策決定過程が展開している。これについて財政膨張の傾向や政策決定の不透明性に批判も根強い。
ただ、これらは政治家が全体像を考え、責任を持って統治する仕組みが不十分だという日本政治の問題点が表面化したもので根は深い。政治家の行動様式を変えることが必要なのだ。
日本で議会に提出された予算案が修正されることはまれだ。今回の修正協議では国民民主党、日本維新の会、立憲民主党の修正案に対して与党である自公両党がそれぞれ対応したが、財源を示さずに巨額の歳出増を必要とする修正案が主張されるなど財政健全性が心配される状況が生まれた。
また各党個別に修正協議が進行したために、どの修正案がどういう理由で選ばれたのかが分かりにくい状況も生まれた。直接的には国会での予算案修正のルールが未確立であることが原因であるが、より大きな原因は、政治家同士では具体的な政策を議論しにくい日本政治の構造にある。

法案や予算案は、事前審査制と呼ばれる手順を経て与党の議論を済ませ、細部に至るまで確定してから内閣から国会に提出されるのが、日本における通常の政策決定の枠組みである。
そこでは法案や具体的な予算項目を所轄する省庁の官僚が、予算案の場合は財務省の査定を、法案の場合は内閣法制局の審査を受ける。さらに必要な場合には他省庁と調整を行いつつ、与党議員を中心とする政治家への働きかけを行う。
自民党の政務調査会の部会など国会議員が政策を決める場においても、説明するのは官僚の役割で、反対する議員を議員会館などに出向いて説得するのも官僚である。国会議員は様々な意見を主張するが、例外的な場合を除き、同僚議員と議論して結論を出すとか、反対する議員を説得するということは行わない。
与党内部の調整のかなりの部分が官僚によって担われているのである。官僚はそうした調整過程で政府全体の調整も行い、予算や法律の整合性が確保される仕組みになっている。官邸主導と呼ばれた時期も、首相の権威を背景に官邸官僚が各省の官僚を使って調整を行っていたのであった・・・
・・・そうした状況で、国会において実質的な審議が行われ修正などが生じると、政策調整に不慣れな政治家が非合理な決定をしてしまう可能性がある。そこで事前審査制で細部まで具体的内容を詰めてから国会審議に臨み、衆参両院では原案のまま可決することが政策決定の基本となってきた。
そのとき野党議員は、日程調整など議会手続きを盾に反対している法案や予算案の採決時期を遅らせるという抵抗を行う。かつては野党の抵抗で法案などが審議未了・廃案という結末を迎えることもあったが、内容に踏み込まない抵抗だから許される面があった。

欧州の議院内閣制諸国でも内閣提出法案が議会審議の中核を占める。しかし事前審査制のような仕組みが発達しておらず、具体的な予算項目や法律の条文は議会の修正で最終決定される決定過程が通例である。
そうした場合、予算修正の限界についての共通了解や、修正案に対する内閣側の発言権などが確立しており、一定の枠内で議会の論議が進展する仕組みとなっている。多くの国で、議会において議員が政策の調整主体となる仕組みができているのである。
日本のように官僚が政策をまとめてくれるのであれば、政治家が責任を持って決定を主導する必要は少ない。国会においても質疑によって政府側の非を見つけるほかは、日程闘争が主たる活動となる。
今回のように予算案修正の必要が出たとき、政治家が好き放題の主張を述べて財政バランスがとれなくなるのは自然の成り行きである。議論をしているうちに共通了解が形成され、政治的妥協の結果として政策が決まる仕組みなしには、政治主導は実質化しない・・・