ささやかな喜びの重要性

2月19日の朝日新聞オピニオン欄「心潤す、ささやかな喜び」、竹村和久教授の「あなどれぬ、小さな豊かさ」から。

・・・苦しい生活の中で味わうささやかな潤い、喜び。プチぜいたくをしたくなる気分はよく分かります。
人の購買行動や満足感を説明するのに「心理的財布」という概念があります。心の中には複数の財布があり、状況によって別々の財布から支払っている、という考え方です。
スーパーのタイムセールで「50円引き」にこだわるのに、がんばった自分へのごほうびなら数千円~1万円単位の服や靴を平気で買う。同じ値段の化粧品を買うとしても、普段使いのスキンケアのためなのか、衝動買いなのかで心持ちが異なることがあります。

この考えを発展させて、私は「心的モノサシ」というモデルを考えました。消費者は、物を買うときに心の中にあたかも価値のモノサシを持っているかのように意思決定する、という考え方です。そしてその特徴の一つが「モノサシの感度の目盛りは目標値に近いほど狭い」ということです。
1万円の予算で買い物をする場合、5千円と5500円の違いより、1万円と9500円の差に敏感になりませんか。つまり、目標値ぎりぎり付近の喜びは大きくなる。予算ぎりぎりで買おうとしていたものに少し足すくらいの「プチぜいたく」は、この心的モノサシで説明できそうです・・・

キリ番4444444

栄えあるキリ番4444444は、知人の鈴木さんが取ったとの報告がありました。3月10日夜12時頃です。本人とともに、連れ合いの方も挑戦してくださって、二人とも獲得できたとのこと。すごいですね。おめでとうございます。ご希望によって、『明るい公務員講座』を贈呈します。
上の画像が、ご本人の獲得した画面です。下の画像が、連れ合いの方が取った姿を、後ろから撮影したものだそうです。これまでの歩み「カウンターの記録、その2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

技能を身につける4

技能を身につける3」の続きです。

若手官僚や社員が悩む「これで技能が身につくのか」について書いています。
ところで、このような悩みとはほぼ無縁の職種があります。医者、看護師、介護士、保育士、弁護士、公認会計士などの専門職です。美容師、庭師、大工などの専門職もあります。
彼ら彼女らは、大学時代に、あるいは見習いとして経験を積み、その職に必要な技能を身につけます。また、理科系を卒業した人たちは、機械、電子、科学、生物と、学んだことを生かせる関係ある職を選ぶことも多いでしょう。

他方で、ここで議論している人たちは、就職してから技能を身につけることで悩んでいます。たぶん多くは、文化系の学科を卒業して「教養」は身につけていても、職場で活かせる技能を身につけていないのでしょう。ここに、大学教育と会社が求める人材とのずれが顕在化します。
かつての日本の労働慣行は、大学でどのような専門知識を身につけたかを問わずに採用し、職場で鍛えるというものでした。大卒が一部のエリートだった時代は、それで良かったのでしょう。しかし、大学進学率が5割を超えると、この仕組みは不効率になりました。
教養も重要ですが、事務の職場では、複式簿記の知識、挨拶や事務文書の書き方の方が役に立つでしょう。

「どのような技能が必要かは転職する先によって異なる」と書きましたが、それは就職する際にも言えます。これまでの日本の職場慣行は、新卒は職業能力については白地で採用され、会社で訓練を受け、会社の都合で配属されるというものでした。それは。会社に職業人生を全て任せるということです。
会社に任せられなくなった、転職が可能となった時代には、適合しなくなりました。自分の職業人生を、会社に委ねるのか、自ら切り開くのか。その違いでもあります。

千枚の服を捨てたら

2月18日の読売新聞に「1000枚の服 手放して気づいた! 心地よさ=自分のスタイル」が載っていました。原文をお読みください。

・・・ファッション誌編集者の昼田祥子さん(44)は、3年かけて1000着の服を手放した。過程をつづった著書「1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話」(講談社)は、日々の装いに悩む女性から支持を集める。流行を伝え、消費意欲を促す側の人が、なぜ、どのようにして服を手放したのか?

昼田さんは、20年超の経験を持つベテラン編集者だ。30代半ばまで「同じ服を週2回着るなんてあり得ないと思っていた」。3~4畳のウォークインクローゼットに収まらない服が、隣室のラックにも並んでいたという。
手放し始めたきっかけは、興味本位で使ってみたフリマアプリだ。ブランドの高価な限定品より、使いかけのマニキュアが売れた。「これまで編集者として訴えてきたことが通じないことに、価値観が一気に崩れた」と振り返る。

その後3年かけて1000着近くあった服を50着まで減らした。当初、編集者はおしゃれであるべきだとの思いから整理が進まなかったが、そのうち、服を買い続けてきたのは、自分を大きく見せたいという自信のなさの表れだったと気づいた。「そんなの必要? 何を着ても私は私」

では、どのように手放していったのか。
まず、装うことに対する自分の思いに誠実に向き合った。気づいたのが、「毎朝、コーディネートを考えることに苦痛を感じていた」という事実。気負わず安心できる、心地よい服を身に着けていたい。そんな本心に従って、毎日シャツとパンツで過ごすことにした。おしゃれでも不便なポケットのないパンツや汚れが目立ちやすいブラウス、肌がチクチクするセーターなどを思い切って整理した。
すると、身支度の時間は大幅に短縮されたのに、「スタイルがあるね」と言われるように。「スタイルは作り込むものではない。その人らしさが表れているか、記憶に残るかということ」と話す。
「他人の視点」は不要だ。「大事なのは、どう見られたいかではなく、どうありたいか」と言う・・・