普通の時間を実のある時間に

毎朝、高円寺の自宅から幕張の職場まで通っています。
7時頃の丸ノ内線は空いてはいますが、座れません。もっとも、ぎっくり腰を経験した身では、この17分を立っている方が腰には良さそうです。
四谷駅から幕張本郷駅までの50分近くは、ゆったりと座れます。多くの人の通勤方向と逆なので。長い時間ですが、私には少々うれしい時間です。

最初の頃は、窓から見える景色が楽しみでした。三つの大きな川を渡ります。隅田川、荒川、江戸川です。ビルが続く景色の中で、川を見ると気持ちが良いですね。最初は空から降った雨粒。一つ一つは小さいのに、集まって小川になり、それが集まってこんなに大きな川になります。

最近は、破ってきた新聞に目を通します。読んだら終わりの記事、ホームページ紹介したい記事、その他勉強になる記事に分けます。
ほかから邪魔が入らず、またほかにすることがないので、集中できます。もちろんそんなに深くは考えることができないので、新聞記事を読むのにちょうど良いのです。
ぼけ~としたり、原稿の続きを考えたりもします。締め切りに追われると、原稿執筆も。

帰りの電車は、朝に処理できなかった新聞切り抜きを読みます。それが終わったら読もうと、雑誌や本を入れてあるのですが、こちらは読めませんねえ・・・。

企業が試行する「つながらない権利」

1月13日の朝日新聞「「つながらない権利」確保、企業手探り 休日の業務電話は自動転送 22時以降・土日はメールNG」から。

・・・いつどこでも業務対応できる時代となる中、勤務時間外は電話やメールなどに反応しない「つながらない権利」が注目されています。権利確保に向けて取り組む企業が増え始めていますが、運用には難しさもあるようです。

空調設備会社オーテック(東京)の男性社員(25)は、月に数回ある平日休みの「勤務」に頭を悩ませていた。
多いときで1日3件、業務の電話が鳴った。取引先から「空調の故障で警報が出ている」と電話があれば、休みでも取引先に出向いて作業した。映画を見ていても、電話が鳴ると対応せざるを得ず、鑑賞を途中で断念したこともあった。
「休みを取っていてもいつ対応が必要になるか分からずビクビクして、休んだ気になれないこともあった」と、男性は振り返る。
この状況が、2023年11月から変わった。
男性が所属する名古屋市の中部支店技術部で、平日に休みを取っている社員に顧客から電話があった場合、支店に自動転送する取り組みを始めたことだ。対応するのは出勤している他の社員。担当以外でもトラブルに対応できるよう、マニュアルをまとめて職場で共有する体制も整備した・・・

・・・日本ではテレワークの浸透やスマートフォンなど情報機器の普及もあり、つながることが当たり前のようになっている職場は少なくない。
労働組合の中央組織・連合が、23年9月に実施した「つながらない権利に関する調査」では、働き手(雇用者)の72・4%が「勤務時間外に部下や同僚、上司から業務上の連絡がくることがある」と回答した。
勤務時間外の連絡を拒否できるのであれば、そうしたいと思うか、と聞いたところ、「そう思う」は72・6%だった。しかし、「連絡の拒否は難しい」と思う働き手は62・4%で、個人で対応する難しさが示された・・・

・・・一方、運用面の難しさなどから取り組みを緩和させた企業もある。
あずさ監査法人(東京)は17年、主に午後9時~翌朝7時のネット接続を原則禁止した。しかし、20年11月には管理職をその対象から外した。外すにあたっては、月80時間を超える残業をより厳しく管理することを条件にした。
コロナ禍でテレワークが浸透し、柔軟な働き方のため、規制緩和を求める声があがったからだ。
その声は管理職だけでなく、一般職員にも広がる。専門知識・スキル向上のための自己研鑽などを柔軟にできるようにしてほしい、海外とのタイムリーな連絡が必要になる、といった意見が相次いだ。活躍が難しくなると退職した職員もいたという。
今では、一般職員でも緊急業務の対応がある場合は上司の承認の上、規制を緩めたり、最繁忙期に統一方針として緩和したりしているという・・・

仕事は一時期に集中する

今週も、忙しかったです。もちろん本業の市町村アカデミーで、打ち合わせや会議などもいろいろありましたが、忙しいのは副業の方です。

連載原稿第215回(3月6日号)は、締め切りに間に合わせました。ようやくのことで原稿を書き上げたのですが、右筆でたくさん手が入り、それを反映させました。
ゲラは、第213回(2月20日号)を校正しました。校閲さんからたくさん撃たれ、分量もはみ出すので削るなどの作業が必要でした。

6日は、ウクライナ避難民への講義
7日は、新聞社の取材。事前に電子メールでやりとりして論点を整理するとともに、関係資料を送っておきました。でも、対面で議論すると、深掘りできて、結構時間がかかりました。
10日のしゃべる準備。これは20年前のことなので、資料を引っ張り出し(バラバラと残っていました)、記憶をたぐり寄せました。資料を整理し、項目を書き出しました。まだ完成していないのですが、これが一番時間がかかったかな。
その他、月末に呼ばれている講義の準備も。

これらはすべて突発事件ではなく、前々から予定されていたことばかりです。でも、重なると苦しいです。
それぞれに集中することが必要で、頭を切り替える必要があります。でも、人間の頭って、機械のようにはすぐには切り替えることができないのですよね。
それでも、10日の準備以外は、なんとか乗り切りました。

日本衰退の原因、教育

川北英隆・京都大学教授のブログに「高校と大学教育のあり方」(1月31日)が載っていました。

・・・一言で日本の教育制度の問題点を表現するのなら、詰め込み型教育の弊害に直面している。
詰め込むには過去の知識である。江戸時代以前は中国経由で伝わった知識、明治以降は西洋で生まれた知識である。これらに今、日本で生まれた知識が加わっている。
何が問題かといえば、これらの知識の詰め込みに脳みそが疲れてしまう。だから過去の知識を使って新しいものを生み出そうとの働きが弱くなる。典型的には中学、高校、大学と受験に追われた結果、何とか大学に入った瞬間に開放感に浸ってしまい、20歳前後の一番大切な時期に脳みその発達が停止してしまう・・・
・・・だから自分で考えない大人がたくさん輩出されてしまう。指示待ちであり、過去の踏襲へのこだわりである。だから日本からは新しいアイデアやビジネスが生まれにくい。新しいことを生もうにも、「そんなことは聞いたことがない」と否定される。

敗戦後、欧米に追いつけ、追い越せと頑張った時代には、真似だけで十分だった。何かを考える必要性に乏しかった。しかし欧米に追いついた瞬間、考えないことには伸びない。現実には日本政府や企業は考えなかった。だから1980年代後半以降、日本にバブルが生まれ、90年代に崩壊した。
そこから30年以上経ってみれば、経済規模ではアメリカの背中が遠くなり、中国に抜かれ、ドイツには抜き返され、インドの足音が近づいている。それだけではなく、日本から世界に誇れる産業が消失した。それに代わる新たな産業が育っていない。
教育として求められるのは知識の詰め込みではなく、考える力の要請である。今や知識はパソコンやスマホから得られる。AIが代替してくれる。いわば人間にとっての外部記憶装置や補助装置をいかに上手に使うのか、考えるための補助とするのか、その方法の訓練が教育の根幹にある・・・

続きもあります。お読みください。

連載「公共を創る」第212回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第212回「政府の役割の再定義ー財政規律と「この国のかたち」」が、発行されました。

第208回から、官僚にはできない政治家の役割として、国民に負担を問うことを取り上げています。
新型コロナ対策など一時的な危機への対応も歳出の一因となりましたが、それ以上に問題なのは、1991年のバブル経済の崩壊を起点にして30年以上、財政赤字が常態化していることです。各内閣も各党も、財政健全化を主張しています。しかし、増税などによる財政構造の根本的改革に触れることはなく、赤字削減の具体的計画は示されません。具体的に何を廃止し、どれくらい削減するかを説明できる、あるいはしようとする政治家はいません。

この点、財務省は一貫して財政健全化を訴えてきました。例えば、矢野康治財務次官(当時)は、月刊「文芸春秋」2021年11月号に「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」を寄稿しました。現職の事務次官が、雑誌にこのような文章を発表することは異例です。それは、国家財政を預かる財務省の事務次官として、とんでもない財政悪化を招いたことへの反省とともに、官僚の意見が政治に届かないことへの疑問の提示とも読めます。この発言に対し、政治家はどのように答えるのか、聞きたいです。

国民に「増税に賛成ですか、反対ですか」と問えば、多くの人は「反対です」と答えるでしょう。しかし、大衆に「迎合する」ことが政治家の役割ではありません。将来のために、苦い話をすることも、政治家の役割でしょう。

私がこのように政治家の役割や道徳的な問題を議論するのは、そこから「この国のかたち」が崩れていくのではないかと考えるからです。
歴史上、繁栄していた国家が衰退するのは、外交や対外戦争に負けることよりも、産業の衰退、それを招いた国民の生活向上への意識の衰退、統治の劣化に伴う国内での政情不安といったことが原因となっているのではないでしょうか。
国家は外部の敵ではなく内部から、それも国民の心の中から崩壊するのでしょう。