障がい児、18歳の壁

1月22日の朝日新聞夕刊「終わりなき育児に希望を3」「18歳からの居場所、作ろう」から。

・・・巣立ちの春といえば高校卒業の3月だろうか。解放感と寂しさの漂う季節を、障がい児や医療的ケア児の親は「18歳の壁」とも「崖」とも呼ぶ。
朝はスクールバスで特別支援学校に。下校後は放課後等デイサービス(放デイ)ですごし、仕事を終えた親は午後6時ごろ迎えに行く。親子の生活を支えてきた「命綱」が卒業と同時に一気に消える。
日中は生活介護や就労支援の施設に通うことになるが、始まりは遅く、午後3~4時には終わる。その後の行き場はなく、一人で過ごすこともできない。生活の激変で心身に支障をきたす子もいる。多くの親が力尽き、離職に至る。
悩み抜いた親たちが33年前に手探りで始めた「卒業後の居場所」が東京都世田谷区にあると聞き、認定NPO法人「わんぱくクラブ育成会」が運営する「ひかり」を訪ねた・・・

・・・平日の開所時間は午後4時から7時半ごろまで。日中の活動を終えた人たちが集まってきて、ゲームをしたり、好みの音楽をかけて踊ったり。以前は毎日参加できたのだが、利用者が60人近くなった今は、曜日ごとに週1回ずつしか通えない。こうした成人の居場所は都内でも数少ないため、希望者は増え続け、小さな場所と限られた職員で回すのは限界に来ている。
国の制度がない中で、世田谷区は10年前から「ひかり」の活動を市区町村の任意事業である「日中一時支援」に含めることで、一定の補助が受けられるようにした。それでも運営は赤字で「放デイ」など他の事業の収益で穴埋めしているのが実態だ・・・

管理と運営の違い

職場では、「管理」という言葉をよく使います。管理職、職場の管理、人事管理、業務管理など。私も、使っています。
先日、ふと思いました。「良い管理をしていたら、その組織は成果を出すのか」とです。良い管理だけでは、その組織は生き残ることができない、さらなる良い成果を上げることはできないのではないか。

管理職は、上司から与えられた課題を、預かった組織を使って成し遂げます。ところがたくさんの管理職を見ていて、管理としては十分な仕事をしているけど、物足りない管理職や、評価が低くなる管理職を見てきました。何が足らないのか。
「管理」は「与えられた任務を遂行する」ことで、あわせて内部管理の意味合いが強いです。外部環境の変化とそれへの対応が、「管理」という言葉では抜けてしまいます。言われたことしかしない、前年通りの仕事しかしないのです。

それで、「運営」という言葉を思いつきました。
運営も管理に近いですが、その組織を使って何を成し遂げるかという、戦略を考えることも含みます。その際には、その組織が置かれた環境の変化を見て、目標や組織をどのように変えていくかを考えなければなりません。管理は静的で、運営は動的です。「管理方針」と「運営方針」だと、この違いをわかっていただけるでしょうか。
良い管理だけでは、社会の変化について行けません。前年通りの仕事をきちんとしているだけでは、社会の変化に取り残されます。企業なら、新しい商品やサービスを出さないと、消費者に飽きられ、競争相手に負けて衰退するのです。もちろん、組織全体でそれを考えるのは、経営者の役割です。運営の上位に、経営があります。

役所は、市場での競争がないので、この意識が希薄です。首長や部局長からの指示を待つだけでは、不十分です。預かった組織は、次に何をしなければならないか。それを考えるのも管理職の役割です。
管理職には、「組織を運営するという意識」を持つことが必要です。内だけでなく、外も見なければならないのです。「内包と外延、ものの分析
私がこのことに関心を持つのは、社会が変わっているのに昔ながらの仕事をしている課を見てきたこと、復興庁では新しい課題に取り組まなければならないので、「管理」では不十分だったことなどからです
管理と運営の違い2」に続く

花形でない部署での経験

1月21日の読売新聞「経営者に聞く」は、井川伸久・日本ハム社長でした。

・・・同じ食肉事業本部でも、国内ポークや輸入ビーフの担当者は入社2年目や3年目で数千万円、数億円の商売をします。惣菜課の僕は工場でモツを煮たり、スーパーで店頭販売をしたり。主任になるのも、彼らより遅かったですね。
でも、ほったらかしで何でもやらせてもらえた点は良かったです。誰も仕事を教えてくれないから、売り上げを上げる方法を自分で考えるしかありませんでした。「失敗しないレール」に乗ったエリートの人たちとは違い、失敗だってしました。

そんな環境だったので、上司にも「これは違う」「こうした方がいい」と好き放題言っていたら、営業部門へ異動になりました。2013年に関西フードサービス部の部長に就任した時、50歳を過ぎていました。商売相手は外食チェーンなどで、一度も経験のない現場営業です。
ここで工場勤務の経験が生きました。同じような商品を他社からうちに切り替えてもらうには、価格を下げる必要があります。たとえ買ってくれても、値下げすればもうかりません。だから、全く新しいメニューを提案しました。
僕は工場や原材料のことがわかっています。だから「今この原料は安いやろ」「これを20トン分作ってよ」と、工場と話ができるわけです。提案したメニューを採用してくれれば、相手にもうちにもメリットがあります。そうした手法をどんどん広げました。

加工事業本部長に就いた時は業績回復が課題となっていて、僕は「シャウエッセン」に目を付けました。23年度で746億円売り上げた看板商品ですが、「ボイルを推奨」などの社内ルールがあり、味も1種類だけでした。
なぜボイルにこだわるのか、なぜトレンドのチリ味を出さないのか、疑問に感じていました。看板商品なので変えにくかったのでしょう。僕は、売れなかったらやめたらいいだけだと割り切りました。社内で根回しをすると、思った以上に反対されました。
味自体を変えると反発が強いため、まずシャウエッセン入りピザを発売しました。ボクシングでいえば、ジャブを打ったわけです。それで翌年にはホットチリ味を出しました。この作戦がはまって利益がピューッと上がると、社内の雰囲気が変わりました・・・

中央省庁の定員管理

季刊『行政管理研究』2024年9月号に、長屋聡・元総務審議官が「中央省庁改革以降の行政改革施策について(その2)」を書いています。紹介が遅くなってすみません。

その「はじめに」にも書かれているように、政府の機構や定員の膨張抑制は、長年、継続的に取り組まれてきたのですが、近年その解説がなかったのです。この論考は、その点で価値の高いものです。
定員合理化計画は、1968年以降、2025年度から始まる第15次計画まで続けられています。合理化計画で政府全体で定員を削減して、それを財源として必要な部署に割り当ててきました。よって、合理化計画の削減目標(多くは5年で5%~10%削減)が実行されても、他方で増員が認められるので、純減数にはならず、増える場合もあります。

このような努力によって、食糧事務所、林野、運転手などの分野で大きく削減し、それを財源として新しい分野に振り返ることができました。しかし、私も何度か書いているように、日本の公務員数は世界各国の中でも、極めて少ないのです。そして長期にわたり定員削減を続けてきたので、もはや限界に来ています。いえ、削減しすぎたと言えるでしょう。
他方で、東日本大震災対応、こども家庭庁、デジタル庁、新型コロナ対策など新しい行政分野での増員が必要なっています。ワークライフバランスを進めると、実労働時間が減り、その隙間を埋める必要も出てきます。それで、2019年度以降、政府全体では純増になっています。

組織管理の経過と考え方も書かれていて、有用です。
また同号には、植竹史雄・内閣人事局主査に「国の行政機関の機構・定員管理に関する方針の一部変更について」も載っています。

「その1」(2024年3月号)は、小泉内閣から岸田内閣を対象として、その間の行政改革の取り組みを整理しています。「第二次臨調以降の行政改革施策」(1、2)に続く、行政改革・行政管理の記録です。

日本政治で「第三極」に見えるもの

2月13日の朝日新聞オピニオン欄は「「第三極」って?」で、砂原庸介教授の「政党の対立軸、なお不明確」が載っていました。

・・・いまの日本政治で「第三極」に見えるものは、議院内閣制のどの国でも起こりうる、過半数を得た政党がない「ハングパーラメント」と呼ばれる状態です。小選挙区制であっても、2大政党に集約されるのは、非常に限定された条件でしか起きないのです。
衆院で比較第4党の国民民主党が「第三極」とされますが、こういう政党が力をもつのは珍しくありません。議席数の関係と、政策的に自民党に近いのでピボタル(かなめ)政党になりやすい。その位置取りと、対立軸を作るような「極」は少し違う気がします・・・

・・・どちらに転ぶかわからない状態というのは、有権者の政党や政治に対する期待が「制度化」されていないことを意味します。政治のあり方が、政党などの組織ではなく、政治家個人というアクターに依存する状態になっている。これはいいことではないと思います。
いまの日本では、政党の対立軸が明確ではありません。安全保障政策などの伝統的な左か右かの対立軸はありますが、それ以外の対立軸が何なのか、社会的な合意がない。だから、「第三極」といっても、政策的にどう位置づけられるのかがはっきりしない。
求心力を持つ「極」が生まれる背景には、複数の政策の対立軸があると思いますが、日本ではそうでもない。社会が多様化しているのなら、政策や政党も多様化しそうですが、必ずしもそうはなっていません・・・

ただし、この記事は「3」についての議論で、国際的な第3極、二元論と三元論の違いと並べてあります。それぞれに興味深いのですが、焦点が絞りにくくなっているようです。