酒井大輔著『日本政治学史』

酒井大輔著『日本政治学史-丸山眞男からジェンダー論、実験政治学まで』(2024年、中公新書)を紹介します。
宣伝文には、「「科学としての政治学」は、どのような道程をたどったのか――。本書は、戦後に学会を創り、行動論やマルクス主義の成果を摂取した政治学が、先進国化する日本でいかに変貌してきたのかを描く」とあります。
丸山眞男、升味準之輔、京極純一、レヴァイアサン・グループ、佐藤誠三郎、佐々木毅先生たちが取り上げられています。私にも、なじみの深い先生たちです。他方で、取り上げられていない先生方もおられます。

戦後日本の政治学がどのようなことについて、どのような分析手法で立ち向かったか、簡潔にわかります。
戦前の国家学や戦後のマルクス主義など、今から思うと、よくこんなものが学問として通用していたのだなあとあきれます。その後、科学としての政治学を確立しようとするのが、戦後日本政治学でした。

学者の数だけ政治学がある、と言われる世界です。政治学も発展したことで、分野や分析手法が多岐になりました。それらをどのように分類するか。識者によって異なるでしょう。この本も、一つの見方です。
政治学には、たくさんの教科書があるのですが、「定番」がないようです。私の言う「知図」があれば、わかりやすいのですが。

この本は、歴史的にどのように変わってきたかを取り上げています。できれば、この80年間で、日本政治について何がわかって、何がわからないのか。また、政治学は、日本政治をどのように変えたのかを知りたいです。
日本政治と言えば、報道機関(新聞やテレビの政治部)による分析もあります。こちらは、どのような貢献をし、どのように変わってきたのでしょうか。
佐々木毅著『政治学は何を考えてきたか』(2006年、筑摩書房)を思い出しました。

私ならどのように書くかを思いつつ、よい考えはまとまりません。

 

保育園長検定

1月25日の読売新聞夕刊に「保育園長検定あす実施 運営能力向上目指す」が載っていました。保育士には資格が必要なのに、園長にはなかったのですね。営利に走る園や事故を起こす園があります。資格は必要ですよね。

・・・保育園の園長や経営者らの能力向上を目的とした「保育施設運営管理士検定(園長検定)」が26日、初めて実施される。保育士の職場環境改善などに取り組む一般社団法人「未来創造連携機構」(川崎市)の主催で、同法人は「園長に必要な能力の指標になれば」としている・・・

・・・斉藤さんは「職場改善には園長の管理能力や意識改革が欠かせない」と訴えるが、園長への昇格基準は特になく、保育士から管理経験が浅いまま園長になるケースもあるという。

園長検定は、同法人に参加する人材コンサルタントや福祉の研究者らと考案した。労働基準法の規定やコンプライアンス、コミュニケーション、リーダーシップなど、幅広い分野から園の管理業務につながる内容を出題する。
受検を申し込んだ横浜市内の保育園長は、「園長としての知識がどの程度あるか知りたかった。受検で得た知識を保育士にも共有したい」と話した。
斉藤さんは「合格すれば専門知識のある保育園だと示すことができる。保育士や保護者、園児を守ることにつながってほしい」と期待している・・・

市町村職員中央研修所の運営3

市町村職員中央研修所の運営2」の続きです。
研修実施に関して行った大きな改革は、研修資料の電子媒体による配布です。
これまでは、教材・資料を、紙に印刷して配っていました。最近の社会や行政の電子化に沿って、市町村アカデミーでも、研修資料を電子媒体で配ることにしました。2025年1月から試行しています。パソコンを持ってこられない人もいるので、紙に印刷する方法と両方を使っています。

研修生には次のように知らせています。
「研修受講に当たっては、講義資料等の指定された電子データを市町村アカデミーWEBポータルから、予めノート PC 等の端末にダウンロードした上で持参してください。端末の持参が難しい場合は、講義資料等を紙に印刷して持参してください。」「研修のしおり 事前準備
この研修資料も、以前は印刷物を事前に研修予定者に送っていました。数年前から、各自にダウンロードして印刷してもらう方式に変えました。便利になったものです。

研修生とのやりとりだけでなく、派遣する所属とのやりとり、出講していただく講師の方々とのやりとりも、電子化し一元的に管理できるようになりました。これは、便利です。
もちろん所内の業務や会議なども電子化が進み、紙の配布は大幅に減りました。会議には、各自がパソコンを持って集まります。そのために、無線LANも拡充しました。

佐伯啓思先生「SNSが崩した近代社会の大原則」

2024年12月25日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「SNSが壊したもの」から。いつもながら鋭い分析です。原文をお読みください。

・・・21世紀は情報社会であり、それを支えるものはデジタル技術である。この20~30年におよぶデジタル革命は、まちがいなくわれわれの生活を大きく変えてしまった。とりわけSNSが社会に与える影響は途方もなく大きく、様々な問題を生み出している・・・
(トランプ現象などを取り上げたあと)
・・・欧米においても日本においても、「既存のマスメディア」は、基本的に近代社会の「リベラルな価値」を掲げ、報道はあくまで「客観的な事実」に基づくという建前をとってきた。そして「リベラルな価値」と「客観的な事実」こそが欧米や日本のような民主主義社会の前提であった。この前提のもとではじめて個人の判断と議論にもとづく「公共的空間」が生まれる。これが近代社会の筋書きであった。
SNSのもつ革新性と脅威は、まさにその前提をすっかり崩してしまった点にある。それは、「リベラルな価値」と「客観的な事実」を至上のものとする近代社会の大原則をひっくり返してしまった。民主政治が成りたつこの大原則が、実は「タテマエ」に過ぎず、「真実」や「ホンネ」はその背後に隠れているというのである。「ホンネ」からすると、既存メディアが掲げる「リベラルな価値」は欺瞞的かつ偽善的に映り、それは決して中立的で客観的な報道をしているわけでない、とみえる。

一方、SNSはしばしば、個人の私的な感情をむきだしのままに流通させる。その多くは、社会に対する憤懣、他者へのゆがんだ誹謗中傷、真偽など問わない情報の書き込み、炎上目当ての投稿などがはけ口になっている。SNSは万人に公開されているという意味で高度な「公共的空間」を構成しているにもかかわらず、そもそも「公共性」が成立する前提を最初から破壊しているのである。
今日、公共性を成り立たせている、様々な線引きが不可能になってしまった。「公的なもの」と「私的なもの」、「理性的なもの」と「感情的なもの」、「客観的な事実」と「個人的な臆測」、「真理」と「虚偽」、「説得」と「恫喝」など、社会秩序を支えてきた線引きが見えなくなり、両者がすっかり融合してしまった。「私的な気分」が堂々と「公共的空間」へ侵入し、「事実」と「臆測」の区別も、「真理」と「虚偽」の区別も簡単にはつかない。SNS情報の多くは、当初よりその真偽や客観性など問題としていないのである。「効果」だけが大事なのだ。これでは少なくとも民主的な政治がうまく機能するはずがないであろう・・・

・・・通常の財やサービスについては消費者は対価を支払う。それが市場の原則である。しかしSNSのような情報取引においては、消費者(使用者)は対価を支払わない。「いつでも、どこでも、誰とでもつながる無料のサービス」という奇妙なものが市場経済の中枢で無限に自己増殖してゆくのだ。
一方、プラットフォームの製作者や管理者は、大きなコストを必要とせずに広告収入で労せずして世界の支配者となってゆく。プラットフォームを使用するインフルエンサーはあちこちに自分の領地をもつ小ボスになる。そしてそれと連動するかのように、「既存のメディア」は力を失い、既存の民主政治は機能不全に陥ってゆく。
これは、高度な公共性をもつはずの情報・知識や通信ネットワークという「公共財(万人のインフラストラクチャー)」を、公的部門の管理にではなく、私的な市場競争に委ねた結果であった。

何かが間違っていたのだろうか。いやそうではあるまい。それはわれわれが、近代社会をとことん推し進めようとした結果ではなかろうか。
なぜなら、近代社会は、なんといっても個人の自由と幸福の追求に絶対的な価値を認めてきたからである。個人の活動の障害となる、既存の権力や伝統的権威、集団の規律、国境のような恣意的な線引きにはあくまで抵抗してきた。そしてそれが行きついた先が、グローバリズムであり情報革命である。ここでは個人の自由は最大限発揮される。
情報化にせよSNSにせよ、もとは権威主義的な政府に対抗する左翼リベラル派の戦略であった。しかし、皮肉なことに、情報ネットワークで世界を結ぶという計画を打ち出した民主党のクリントン大統領の情報革命が、その30年後には、トランプ氏の大統領返り咲きをもたらして民主党を窮地に追い込んだのである。
SNSのような「何でも表現できる自由なメディア」を称揚してきたのは、近代社会の「リベラルな価値」の信奉者である。とすれば、SNSによる政治と社会の混乱は、ただこの技術の悪用というだけの問題ではない。それはまた、近代社会を支えてきた「リベラリズム」という価値観の限界を示しているとみなければならないであろう・・・

『風呂と愛国 』

川端美季著『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』(2024年、NHK出版新書)を読みました。

日本人は清潔で風呂好きだと言われます。では、いつ頃からそうなったのか。江戸時代に風呂屋・銭湯が広まったとのことですが、庶民はどの程度の回数で使っていたのでしょうか。本書を読んでも、明確な統計はないようです(私が見落としたかも)。

風呂を沸かすとなると、湯船と洗い場という施設、給水と加熱設備が必要です(東日本大震災の際も、避難者に風呂を提供することは難しかったです)。庶民の家にはなく、風呂屋に行くしかありません。しかし有料ですから、貧乏人がどの程度の頻度で利用したのでしょうか。また、銭湯が成り立つには一定規模の利用者が必要ですから、小さな集落ではどうしたのでしょうね。

明治以降は、本書に書かれているように、国策として清潔が教育され、公衆浴場も広げられます。
ところが、1942年(昭和17年)に沖縄県で調査したところ半年以上入浴していない児童がいるので、学校が風呂を作ったことが紹介されています。これを見ると、国民全員が多い頻度で入浴していたわけではなさそうです。