『フランスという国家』行政の再評価と再設計2

『フランスという国家』行政の再評価と再設計」の続きです。

このページでも時々紹介している「自治体のツボ」に、『フランスという国家―繰り返される脱構築と再創造—』の書評(読書感想文)が載りました。
丁寧に読んで、詳しく紹介しています。お読みください。

・・・はっきり言って、欧州の行政はわからない。欧州統合下の各国のあり方は複雑怪奇。それでもフランスが置かれている状況と日本が置かれている状況が変わらないことがよくわかる。つまり日本の国家のあり方を考えるよすがになる本だ。
▼コロナが復権させた国家
あまりにざっくり言うと、国家はコロナの蔓延防止のために権力を振りかざし、国民に服従を強いたことで息を吹き返した。グローバリゼーションと新自由主義で役割を失いつつあったが、国民の健康を守る福祉国家として再生した。
▼要塞国家の流れは不可逆
国民の安全を守る役割に目覚めた国家は、逆ネジが働く脱グローバリゼーションと戦争の危機の中で、引き続き経済の安定に介入するよう促されている。大衆監視の危機も孕みつつ、安全が至上命令となった政府の重要性は増した。
▼経済的愛国主義の興隆へ
グローバルな経済競争の中で国益を守るにはどうするか。保護主義的な守りの戦略とイノベーション促進などの攻めの戦略の巧拙が問われる。国際的な相互依存は変わらないとしつつも、コロナで台頭した経済介入主義は戻り得ないと説く。

シュヴァリエ氏は、コロナが国家の権力を増大させ、コロナが落ち着いたあともその流れは不可逆と見る。その時々に直面する状況で国家の役割は変わるものであり、今の世界は市民が国家の力に安全と安心を託す局面なのだ、ということだろう・・・

災害救援の難しさ

12月26日の日経新聞夕刊「私のリーダー論」は、栗田暢之・レスキューストックヤード代表理事の「理念との整合、常に振り返り」でした。

・・・阪神大震災が起きた1995年は全国から130万人が支援に集まり「ボランティア元年」と呼ばれた。名古屋市を拠点とするNPO法人「レスキューストックヤード(RSY)」代表理事、栗田暢之氏は30年にわたって被災者支援を続けてきた。組織のリーダーとして「一人ひとりと向き合う」という活動の理念をぶれずに貫くことを大事にする・・・

――災害救援を担うNPOのトップとしてどんなリーダーシップを大事にしていますか。
「リーダーと言えば周囲を引っ張るタイプと思われるかもしれません。私にも『自分がやってやるぞ』という面はあります。でも、一人ができることには限界があるじゃないですか。スタッフをどれだけ信じられるかがリーダーにとって大事だと思います」
「私たちは営利を目的とするわけではなく、災害からの復興を助け、避難生活に伴う災害関連死を無くし、人の命と暮らしを守ることを実現していく団体です。仕事を数値で評価するのは難しく、正解がありません。どんな手法で活動を進めていくか、スタッフそれぞれが考えることが重要で、『リーダーについてこい』という発想はありません」

――活動を進めていくうえで、リーダーの役割をどう捉えていますか。
「ぶれない理念を示すこと。それが役割だと思っています。何のために自分たちがNPOとして活動しているのか。目指すべき大きなビジョン、果たすべきミッションを示します。それに整合した活動になっているかどうかは常に見極めます」
「スタッフが担当する事業はうまく進むときも進まないときもありますが、信頼して任せることが必要です。細かいところまで全てトップに言われたら、煩わしいですよね」

――大事にしているミッションとはどんなものでしょうか。
「一人ひとりと向き合うことです。例えば東日本大震災で故郷から遠方に避難している家族にアンケートを取っても、世帯ごとの回答しか得られません。実際は父親は故郷に帰りたい、母親は帰りたくないというケースがあります。当時は幼かった子どもたちも年とともに自分の意思を持ちます。生の声に耳を傾け、大事にするというミッションは阪神大震災の頃からずっと譲れません」

――被災者支援の難しさをどう感じていますか。
「災害はその規模や地域性によっても状況はさまざまです。足りない物資を届けることは分かりやすいですが、『何から手をつければいいのか分からない』『何だか気が晴れない』といった人の心の部分を扱うわけですから、支援を求めるニーズすらはっきりしない『グレー』な状況と向き合うことになります。個々の状況にたどり着かなければ上辺だけの支援になってしまいます。だからこそ一人ひとりの声を聞きます」
「災害救援のプロフェッショナルと言ってもらうこともありますが、自分たち自身は毎回必死にやっているだけです。被災者の支援、災害からの復興は本当に難しく、『私たちはプロです』などと言うのは慢心です」

フランスワインと日本酒の輸出額

コンテンツ産業輸出額4.7兆円」の続きにもなります。

お酒の輸出額を、調べてみました。1ユーロを150円とすると(最近は160円程度ですが)。
フランスのワインとスピリッツの輸出総額162億ユーロ(2023年)、2兆4300億円
イタリアワインの輸出金額は63億ユーロ(2020年)、9450億円。
日本酒の輸出総額は411億円(2023年)。
・日本のワイン輸入額は、2476億円程度(私の計算が正しければ)。

頑張れ、日本酒。私が飲んでいる分には、輸出額は増えませんが。

近代文学の終焉

朝日新聞「柄谷行人回想録」、12月11日と18日は「近代文学の終焉」でした。小説は、読者とは違う世界を見せてくれるものです。すると、社会に差異がなくなり、また理想がなくなると、小説の出番はなくなるのでしょうか。

柄谷さんが、2003年に近畿大で行った講演で、翌年「早稲田文学」に掲載された「近代文学の終り」が説明されています。
「近代的な国民国家の成立には、文学、とりわけ近代小説が重要な役割を果たしたことを確認しつつ、その役割は終えたと指摘した。社会階層などでバラバラだった人々を、“想像の共同体”としての国民(ネーション)としてつなぎ合わせる過程で、共感を生み出す小説が基盤となった。娯楽として軽視されていた小説の地位は向上し、より真実らしさを表現するため、リアリズムが課題となった。しかし、国民国家が世界各地に広がったこと、さらに映画などよりリアリティーを喚起しやすい形式が発達したことなどが重なって、小説は特権的な地位を失っていった、とみる。」

――柄谷さんは、70年代には中上健次や村上春樹といった作家が登場し、リアリズム中心の近代文学が抑圧した言葉遊びやパロディー、物語といった要素を持つ文学が復活してきたと見ていました。しかし、90年代にはそうした文学も急速に力を失った、とも。なぜでしょう。
「複雑な要因がありますが、一つの理由としてあげられるのは、近代小説が、“差異”から出てきた、ということでしょうか。例えば、ゴーゴリ独特のリアリズムは、先進国では失われた濃密な共同体がロシアに残っていたことから生まれた。
日本の夏目漱石も、コロンビアのガルシア・マルケスも、それぞれの社会独特の背景から生まれた。当たり前のようだけど、重要です」

――国による発展の違いが文学の源になったわけですか。
「米国国内での不均衡が背景にあるフォークナーも、同じです。都市と農村、先進国と後進国、男性と女性のような差異が一つの大きな動力になった。こうした差異は高度成長とグローバリゼーションによって、消滅の方向に向かいました」

――社会や人々の均質化で描くことが減った、と。しかし、差別や理不尽は残っています。
「格差がなくなること自体は、当然望ましい。その上で、ひどくなっている問題も多い。だけど、漱石やフォークナー、戦後文学の頃までは、差異をあぶり出すことによって新たな共同性を築くことができた。今は、サルトルのような世界的な連帯を牽引できる作家もいません。文学だけではなく、思想にも宗教にも求心力がない」

実家の門松

今年も、実家で弟が立派な門松を作りました。孫も手伝ったようです。向かって左の扉の向こうに見える白と黒の物体は、大きな牛の像です。これも弟が景品で当てました。
東京の我が家は、いつものように1メートルほどの高さの若松1本を、対に立てただけです。