年別アーカイブ:2024年

『奴隷制廃止の世紀1793-1888』

2024年7月31日   岡本全勝

奴隷制廃止の世紀1793-1888』(2024年、白水社クセジュ文庫)を読みました。新聞の書評欄で紹介されていたので、興味を持ちました。
ヨーロッパの国によって、アフリカの住民が強制的にアメリカ大陸に連れて行かれ、過酷な労働に従事させられた歴史は、習いました。人を人として扱わず、ものとして扱う。キリスト教国が、そんなひどいことをしたのです。アメリカの南北戦争や「アンクルトムの小屋」も知っていますが、その実態は詳しくは勉強していません。それはさておき、この本を読んで奴隷制廃止の経過がわかりました。

18世紀、西欧では啓蒙思想が普及し、この非人道的な扱いに対する批判が高まります。もっとも、植民地での奴隷を使ったプランテーション農業によって利益を上げている現地と西欧の関係者は、その利益を手放すことに抵抗します。
他方で現地では、早い段階から奴隷たちの反乱が起きていて、農園主や支配者たちはそれに手こずります。

フランス革命で、1789年に人権宣言が出されます。奴隷制廃止の議論がありましたが、実現しませんでした。1791年に、フランス領サン・ドマング(現在のハイチ共和国)で奴隷の反乱が起き、鎮圧に失敗した政府は、奴隷制廃止を宣言します。その後、奴隷制復活の動きもありました、失敗します。しかし奴隷制廃止は、他の国や地域には広がりませんでした。ナポレオンも、奴隷制を存続させます。

転機となったのは、イギリスです。それまで黒人奴隷貿易を牛耳っていたイギリスが、1807年に奴隷貿易を禁止します。人権思想の普及、対フランス政策もありますが、新大陸での奴隷制の利益が薄れ(アメリカの独立)、インドに重心を移したことが要因のようです。その後、フランスも方針を転換します。アメリカの南北戦争もあり、最後にブラジルが1888年に奴隷制を廃止し、すべての国と地域で奴隷制がなくなります。

とはいえ、奴隷制が廃止されて、直ちに黒人奴隷が自由人になったわけではありません。支配者層は引き続き彼らを農園にとどめ置いて、労働に従事させようとします。しかし、解放奴隷たちはそれに反抗します。

PHP総研フォーラム「官邸の作り方」出演

2024年7月30日   岡本全勝

今日7月30日は、PHP総研フォーラム「官邸の作り方ー総裁選を前に政治主導の未来を考えるー」に出演しました。オンライン形式です。とはいえ、前に人がいないと話しにくいので、牧原先生の研究室にお邪魔して、先生と向かい合わせで、話しました。私の後ろの書棚は、牧原先生の蔵書です。

牧原先生たちがまとめられた「官邸の作り方― 政治主導時代の政権運営―」について、意見を述べるのが私の役割でした。
首相に選ばれた政治家が、どのように主要な幹部を任命し、官邸を運営するか。重要な課題ですが、これまでは実務でも研究でも、あまり扱われてきませんでした。政権の引き継ぎについてもです。大臣と党幹部の任命については報道でも大きく扱われ、その評価がされます。それと比べると、扱いが小さいのです。しかし「誰がやっても同じ」ではなく、初動を誤ると政権への支持が低下します。
もちろん官邸の作り方は、首相の考え方に依存する面が多く、私の経験はその一つでしかありません。とはいえ、首相が代わっても共通する面があります。

私は特に、首席秘書官の重要性、首相の日程作りの重要性を指摘しました。首相にとって最も希少な資源は、時間です。忙しい首相が、どの案件にどれだけ時間を割くか。もちろん本人が判断するのですが、すべてを一人でやることは不可能です。首相の意を体して、事前のさばきをする必要があります。比較不能な価値に順位をつけるのです。日々生まれる案件を処理するだけでなく、首相を国民や報道機関の前にどのように「見せるか」も考える必要があります。

では、どのようにして首席秘書官を育成するか。これが難しいのです。
首相秘書官の育成について、書いたことがあります。「首相秘書官の現実と課題」(時事総合研究所・コメントライナー、2023年3月24日)。
話に出した「麻生内閣の政策体系」は、国立国会図書館に保管されています。

東大、後進国の表れ

2024年7月30日   岡本全勝

7月20日の朝日新聞オピニオン欄「東大、イメージとリアル」、尾原宏之・甲南大学教授の発言から。

・・・明治時代から今に至るまで、「反・東大」の声が一部で上げられてきました。日本社会で東大がそれだけ特別な地位を占めてきたからです。ある意味で「後進国」性の表れといえます。
米国にはハーバードのようなトップレベルの大学が複数ある。高等教育に一定の多様性があるのです。一方で、東大出身のロシア・東欧研究者から「モスクワ大と東大は似ている」と聞いたことがあります。「後進国」が近代化のための人材育成機関として最高の大学をつくり、序列がつけられたということでしょう。

そこで重視されたのは外国語や数学などです。東大型の人材は、今でいえば5教科7科目が満遍なくできることが前提となっています。どんな分野でも結果を出せ、何にでもなれる万能型・バランス型の人間こそ、近代国家のエリートとしてふさわしいという価値観があったわけです・・・

・・・東大は官、中央、エリートを体現する存在でした。国家のために貢献する人材の育成という建前が、学歴の価値を維持してきたといえます。
東大は日本の近代化のためにつくられましたが、その役割は過去のものです。にもかかわらず、東大を頂点とする秩序は残っています。日本の高等教育が近代化モデルや「後進国」性から抜け出せなかった、ということでしょう。
現代社会の課題解決に必要なのは、ペーパーテストで満遍なく高得点が取れる人材だけではないはずです。「東大的なもの」とは異なる教育を模索した歴史にも学ぶ必要があると思います・・・

『水害救援法務ハンドブック』

2024年7月29日   岡本全勝

中村健人・岡本正著『自治体職員のための 水害救援法務ハンドブック-防災・減災の備えから初動・応急、復旧・復興までの実務-』(2024年、第一法規)を紹介します。
宣伝文には、次のように書かれています。
「水害に対する事前の備え、初動・応急、復旧・復興という各段階で、水害対策に関する実務上の法務のポイントを提供することで、自治体職員がやるべきことが時系列でわかり、迅速・的確な判断と対応ができる」

毎年、列島の各地で大きな水害が起きています。各自治体職員にとって、人ごとではなくなりました。
同じ著者による『改訂版 自治体職員のための 災害救援法務ハンドブック―備え、初動、応急から復旧、復興まで―』の姉妹編です。

若者の経済不安、見つめなかった対策

2024年7月29日   岡本全勝

7月18日の朝日新聞「少子化を考える 山田昌弘・中央大教授に聞く」「若者の経済不安、見つめなかった対策」から。

日本の少子化が止まらない。1990年、前年の出生率が過去最低の「1・57ショック」が社会を揺るがし、少子化問題が大きくクローズアップされた。しかし、30年以上経ったいま、状況は悪化している。対策のどこがまずかったのか。中央大の山田昌弘教授(家族社会学)に話を聞いた。

――6月に発表された人口動態統計で、2023年に生まれた日本人は過去最少、「合計特殊出生率」も1・20と過去最低だったことが分かりました。少子化の要因は何だと思いますか。

少子化の要因が「未婚化」ということは、私を含む多くの学者が何十年も前から唱えていることです。ただ、いまの若者も結婚への意欲が衰えているとは思いません。未婚化には結婚の経済的側面が影響していると考えます。

――将来にわたってリスクを回避できる見通しがないと、結婚や出産を控える若者が多いのですね。

30~40年前の若者たちの場合、「日本経済はこの先も大丈夫」「子どもを豊かな環境で育てられる」と信じることができた。人並み以上の生活が送れるということを疑わなかったから結婚に踏み切ることができたのです。
ところが、1990年代初頭にバブルが崩壊。日本経済は停滞し、非正規社員が増えるなど若者の間で格差が広がりました。中流生活から転落するという不安が強まり、「親のような豊かな生活は築けない」「子どもに惨めな思いをさせたくない」と考える若者が増え、結婚や出産を控えるようになったとみています。

――人口減少が深刻な地方では、若い女性が進学・就職時に都会に出てしまうことも少子化の要因の一つと指摘されています。

ここ10年ほどの大きな変化として、地方から東京に出てくる若者は男性より女性の方が多くなりました。働き方や地域社会の因習を女性を差別しないかたちで変えていかない限り、若い女性は地元に残らず都会に出て行き、地元で生まれる子どもも増えません。

――少子化問題は30年以上も前に認識されながら、なぜ有効な対策を打てなかったのでしょうか。

非正規雇用者の増大という現実を見ずに、結局、政府の少子化対策が「大卒、大都市居住、大企業勤務」の若者を想定したものだったからです。私は東京23区では対策は有効だったと評価しています。東京23区では2006年ごろから子どもの数が上昇に転じ、約10年間は増え続けた。夫婦2人が正社員で共働きしながら子どもを育てるというモデルが定着しつつあったのだと考えます。
一方、他の地域では失敗しました。日本の若者のうち、かなりの部分を占めている自営業、フリーランス、非正規雇用や中小企業に勤める若者たちの実態を踏まえた対策ではなかったからです。