記憶はデジタルより紙が有効

9月23日の読売新聞に「デジタル教科書、巨額予算で推進ありき…学習効果の検証置き去り」が載っていました。ここで紹介するのは、その記事についていた囲み記事です。

・・・「記憶「紙が有効」研究も デジタル操作「認知負荷」高く」
学習の定着には、デジタルよりも紙を使った方が有効だとする研究データがある。専門家は「まずはデジタルの長所、短所を検証することが必要だ」と指摘している。

東京大などの研究チームは、日常的なスケジュール管理を再現する実験を実施。被験者を3グループに分け、〈1〉紙の手帳にペンで書く〈2〉タブレット型端末に専用ペンで書く〈3〉スマートフォンに入力する――の三つを比較した。その結果、紙の手帳にスケジュールを書き留めた方が、電子機器を使う時よりも短時間で記憶できることがわかった。手帳に書き込んだグループの脳の状態を見ると、言語、視覚、記憶に関わる領域の血流が増え、活動量が増えていた。

研究チームの酒井邦嘉・東大教授(言語脳科学)は「紙の本は(情報が載っている)位置関係など、記憶の手がかりが豊富にあるが、デジタル画面では限定的だ。学習効果の根拠がないままデジタル活用の議論が進めば、学力低下を招きかねない」と危惧する。

群馬大の柴田博仁教授(認知科学)によると、子どもにとってデジタル機器の操作は、思考を中断させる「認知負荷」が高くなる傾向が見られるという。柴田教授は「デジタル教科書のデメリットを含めた検証が足りておらず、デジタルだけに偏るのは時期尚早だ」としている・・・

川北英隆先生のブログ2

以前にも紹介した「川北英隆先生のブログ」です。山歩きの記を楽しみに読んでいます。京都や奈良近くに、低いけどよい山があるのですね。

時々、更新されない日が続きます。「きっと、遠征に行っておられるのだな」と想像しています。当たりです。
ギリシャ、オリンポス山など」(続き)「インド北西部の端、ラダック地方」(続き)「南米パタゴニア」(続き)。このリンクを張ったページの後のページに、山歩きの記が写真入りで載っています。

社会保障制度の申請主義

9月28日の朝日新聞夕刊、社会福祉士・横山北斗さんの「社会保障制度、迷わず使うために」「知らないのは罪ですか?―申請主義の壁―」から。

・・・コロナ禍による経済的困窮者が増えていた2020年12月。厚生労働省がツイッター(現X)に投稿した内容が話題になりました。
《生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください。》
SNS上で肯定的な受け止めが多かったのですが、裏を返せば、それほどまでに私たちの権利意識が希薄であるということかもしれません。それはつまり、社会保障制度に対し「お上からの施し」的な受け止めや、利用を我慢することにつながります。社会保障制度を名実ともにセーフティーネットにするためには、私たちがそれを行使することが当たり前だと認識している状況に社会を変えていくことが必要です・・・
・・・私たちの生存権(憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活」)を実現するために社会保障制度は整備されてきました。ですが、その利用は自力で制度の情報を収集・選択し、物理的・能力的に申請手続きが可能であることを前提としているため、それを自力で行うことが難しい人たちが排除され、より困った状況に陥ったり、生活・生命の危機に瀕したりする可能性があります・・・

・・・申請プロセスでの障壁や、制度の利用が権利であるという意識の希薄さ、国や自治体が行う施策の乏しさが、生存権の実現という社会保障制度の目的を果たすことを難しくさせています。
こうした矛盾はどのように生じたのか。歴史をひもといてみます。

1946年制定の旧生活保護法では生活保護を申請する権利は認められておらず、市町村長が必要だと認めた場合にのみ利用できました。それでは憲法25条の精神に反するとして、50年制定の新たな生活保護法に保護請求権が盛り込まれました。生活保護は原則、本人の申請で開始され、家族や同居の親族にも申請が認められるようになったのです。
生活保護以外の社会保障制度(障害者福祉、児童福祉、高齢者福祉など)は戦後長く、行政が職権で必要性を判断し、サービスの種類・提供機関を決定する仕組み(措置制度)で提供され、自由にサービスを選ぶことができませんでした。
90年代の構造改革を経て、措置制度から契約制度へと移行が進みました。利用者は制度やサービスを選択し、それを提供する事業者との間で契約を交わす形で、申請を前提に提供されるようになりました。2000年の介護保険制度開始に伴う介護サービスの提供、さらに障害福祉サービスと続きました。
申請する権利を得た社会は、制度やサービスを自ら調べ、理解し、選択し、申請をするというプロセスを一般化させました。結果、社会保障制度はそのアクセスに障壁を生じさせ、国民の生存権保障という目的を果たすことが困難になるという自己矛盾を抱えることになりました。

解消するには、申請する権利の行使をサポートする施策を、社会に網の目のように張り巡らせること、私たちが権利意識を高めることが必要です。後者については例えば、義務教育など人生における早い時期に、社会保障制度の利用が権利であることを学び、私たちをサポートする制度についても知る機会が不可欠だと考えます。
学校に当たり前のように通ってきた人は、自分が教育を受ける権利を行使してきたことを強く認識することはないでしょう。それが日常的で、当たり前のものだと感じているからです。社会保障制度の利用も、そのような未来をたぐり寄せることができるでしょうか・・・

『中世イングランドの日常生活』

中世イングランドの日常生活』(2022年、原書房)を読みました。イギリス旅行で、「中世イギリスに生まれ変わったら、どんな生活をしたのだろう」と妄想したことがきっかけです。羊ではなく、農夫に生まれたらと思って、この本を買いました。

表紙に、「生活必需品から食事、医療、仕事、治安まで」と書いてあるとおり、かなり詳しく書かれています。
もしその時代に生まれたら、労働がつらいことや食事がおいしくないこと以前に、衛生状態と医療環境が悪いことに耐えられないでしょうね。21世紀を経験している私だから思うので、それを知らなければ、当時の状況が当たり前と思うのでしょう。
それは、古代や中世の日本に生まれ変わっても同じでしょう。今の時代、それも日本に生まれてよかったことを、改めて感謝しなければなりません。

9月にイギリスに旅行して、早いもので1か月が経ちました。同世代の知人とイギリス旅行の話をしたら、彼曰く「イギリスにいたとき、あそこも行こうと思ったんだけどな。また、来ることができるだろうと先延ばししたんだ。もう行くことはないかな」と残念がっていました。行けるときに行っておかないと、行けなくなります。
教訓「悩んだらやってみる」。参考「変わりたくない日本企業」。この記事が同じ日に掲載することになったのは、偶然です。

変わりたくない日本企業

日経新聞私の履歴書、10月は、ヘンリー・クラビス(KKR共同創業者兼会長)です。企業買収ファンドの仕組みを1970~80年代に創り、発展させました。業績の悪い会社を買い取り、経営者とともに立て直す。新しい事業形態をつくりあげた苦労は、勉強になります。日本では「ハゲタカファンド」と命名して、忌避した時代もありました。

10月14日は「我慢の10年 変わりたくない日本企業」でした。アメリカ、ヨーロッパで業績を拡大し、アジア、日本にも進出しようとします。しかし、日本では手こずります。
・・・日本企業の風土は「We can’t(できない)」だった。私やジョージ(共同経営者)は反対の「We can(できる)」だ。いつも「コップの水が半分残っている。もう半分を埋めよう」と攻めている。だが会った日本企業のトップからは「変わりたくない」という雰囲気が伝わってきた・・・