田中一村展

東京都美術館で開催中の「田中一村展」に行ってきました。
生前には評価されず、死後に見いだされた作家です。私は1980年代後半から5年間、鹿児島に勤務しました。奄美大島も何度か訪れたのですが、この作家と作品を知りませんでした。

今回の展覧会では、子どもから晩年までの画業をたどることができます。子どもの時から神童と呼ばれただけのことはあります。7歳や8歳で立派な絵を描いています。ただ、その技だけでは、上手な日本画家で終わったのでしょうね。
途中から画風が変わり、そして有名な奄美の植物や鳥を描いた絵になります。素晴らしいです。そして独創的です。アンリ・ルソーの熱帯の植物に通じるものがありますが、一村の絵は日本画を基礎としているだけに、一種の様式美があります。

もし、もっと早くこの画風ができていたら、世の中に認められたのではないでしょうか。

人気指導者時代の終わり

10月2日の日経新聞オピニオン欄、ジャナン・ガネシュ氏の「「人気指導者」の終わり 危機知らぬ市民、要求厳しく」は、興味深い指摘でした。
西側先進諸国において、かつては時代を代表する政治指導者がいたのに、昨今は人気のある指導者はまれで、在任期間も短くなっています。

・・・では、筆者が推測する原因は何か。何十年も続く平和と豊かさが、期待値を高める予期せぬ結果をもたらしたということだ。戦争の鮮明な記憶がある人は、西側諸国に今暮らしている人たちのごく一部だ。国が抑制できなかった金融危機を覚えている人は事実上誰もいない。
最後に世の終わりに近づいた新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)は、2年ほどで過去のものになった。
全面的な大惨事をこのように巧みに阻止できたことは本来、政治家に対する信頼を高めるはずだ。だが、人々は高い水準の秩序と進歩に慣れてしまい要求をさらに強める結果になった。

西側諸国の大部分では、もはや人気の高い政府などというものは存在しないのかもしれない。それでも「もっと懸命に働き、もっと良い統治を」というテクノクラート(専門知識を持った官僚)的な決まり文句は消えない。この世界観の伝道師は、市民の怒りに対する答えとして「有効性」を挙げるブレア元英首相だ。
ブレア氏は筆者が取材したなかで最も政策に精通した指導者だ。国が人工知能(AI)やその他の技術を習得すれば成果が高まるという同氏の見方は正しい。それ自体、国のためにやる価値があるだろう。
ただ、そうすれば有権者が元気になるという考えは精査する必要がある。選挙で何度も勝利を収めたあらゆる指導者と同様、大衆心理の不合理な面を多少なりとも知っているに違いない同氏にしては、これは奇妙なほど合理的な想定だ。

ブレア氏、オーストラリアのハワード元首相、米国のレーガン元大統領、フランスのミッテラン元大統領。一つの時代を象徴する人気の政治家、あるいは威厳ある政治家とさえ呼べるような大物はかつてはよくいた。
ドイツのメルケル前首相が最後だったのかもしれない。そのような政治家がいなくなったのは、これほど大きく異なる国々で政府の上げる成果が同時に悪化し、それに従って有権者が政治家を罰しているからではないはずだ(後から振り返ると、メルケル氏がどれほどうまく統治したのかも疑問だ)。
西側全体に共通する点が一つあるとすれば、それは政治の需要側だ。こうした国の有権者は皆(第2次世界大戦が終結した)1945年以来ずっと、平和で経済発展が悲惨ではない時代に人としての生涯を送ってきた。その輝かしい偉業がもたらした究極の結果として、我々市民を喜ばせるのが難しくなった・・・

資料の整理、少し片付けました

仕事に関する資料や関心ある記事など、直ちに処理しなくても良い資料が、たまってしまいます。9月のイギリス旅行中の新聞記事などは、1週間かけて切り取り、3週間かけて整理し終えました。切り取った記事は、行きと帰りの電車中で読みます。多くは読んで捨てたのですが、気になる記事は半封筒に入れ、順次、このホームページで紹介中です。

そのほか、職場で回ってきた参考資料やインターネットで見かけた気になる記事が、半封筒に入っています。
「暇になったら読もう」と置いてあるのですが、そんな日は来ません。時々、思い立って取り組みます。結構時間がかかります。このほかに、気になって買った本も・・・。
原因は、追いつかないほどいろいろなものに関心を持ち、ため込むことです(反省)。脈絡なく溜まっているので、それぞれの資料を読む際に、頭の切り替えが必要なのです。でも、それが私を作っているのですから、仕方ありませんね。

どんどん入ってくる(気になって読みたくなる)情報(文章)を読んで、捨てるもの、利用するものに分別します。利用方法は、覚えておくこと、ホームページに載せること(かつてはメモにしたり分野別の半封筒に保管しました)、原稿などに活用することです。
この分別は、私の関心(仕事から勉強や趣味まで)で行うので、他人や機械に委託することはできません。「人工知能(AI)がやってくれる」という人もあるでしょうが、機械は過去の私の関心事項から選択します。新しい興味は、機械は選べないでしょう。「今まで通りしない」。それは、時にまちがいをすることですが、それが人間の脳です。

と、このように書いているのは、少々頑張って溜まっていた資料を片付けたのです。

消費低迷は年金への不安

9月30日の日経新聞経済教室は、小川一夫・関西外国語大学教授の「個人消費低迷、年金制度への信頼回復が急務」でした。

・・・家計消費の低迷が続いている。「家計調査」によれば、2人以上の1世帯あたり1カ月間の実質消費支出は、1992年にピーク(35万4581円)を付けた後、趨勢的に低下しており、2023年には27万8406円となった(家計調査年報の名目値を20年基準消費者物価指数で実質化した)。

家計を取り巻く環境の不確実性が高まれば、家計は消費支出を減らし、予備的な貯蓄を増大させる。日本経済は阪神大震災、東日本大震災や新型コロナウイルスの感染拡大をはじめ、家計の不確実性を高める様々な事象に直面してきた。一方、08年の世界金融危機は、世界規模で人々の不確実性を高めた経済的なショックだ。これらの事象はいずれも事前に予測が困難な負のショックであり、家計を取り巻く不確実性を高め、負の影響を及ぼした。
しかし不確実性を高める事象が、すべて予期不可能なものばかりではない。その事象がある程度予想できるにもかかわらず、適切な対処がされず不確実性が高まることもある。日本の高齢化の進行はその好例だ。
高齢化の進行は、日本経済に内在した構造的な事象であり、将来の人口推計などにより進行の予想はある程度可能だ。政府もこうした状況を考慮に入れて高齢化対策を講じてきた。それが公的年金制度の設計だ。
公的年金の制度設計が盤石で、家計が全幅の信頼を寄せるならば、家計への影響は最小限にとどまるだろう。だが公的年金制度が高齢化に対し脆弱であると家計が認識すれば、不安のない老後生活を送るために公的年金の受給を補完すべく消費を抑制して、予備的な貯蓄を増大させるだろう。まさに日本で観察される趨勢的な消費水準の低下は、家計による公的年金制度の脆弱性を補完する行動ととらえることができる・・・

・・・まず毎年8割を超える個人が老後の生活に不安を抱いている。そうした世帯はなぜ老後の生活に不安を抱いているのだろうか。
第1の理由は「公的年金だけでは不十分」であり、8割前後の個人が公的年金だけでは十分でないと考えている。家計による公的年金の位置づけをみると、「自分の老後の日常生活費は、公的年金でかなりの部分をまかなえる」という考え方に「そうは思わない」と回答した個人も8割近くに及ぶ。大部分の家計は、老後の生活を安定的に維持していくうえで公的年金の支給額が不十分であると考え、公的年金に対しネガティブな評価を下している・・・

・・・つまり高齢者が継続的に働くことで、勤労所得の増加を通じて年金受給が補完され安定的な所得が確保される。しかも基礎年金の拠出期間延長が可能となり、すべての被保険者の基礎年金給付が充実し、年金制度の脆弱性の是正にもつながる。このように家計が抱く不確実性が軽減され、予備的な貯蓄の減少を通じて消費の活性化につながる・・・

仕事ができる人は「ありがとう」を言える人

日経新聞・私の履歴書、ヘンリー・クラビス・KKR共同創業者兼会長。10月26日の「黄金律」から。

・・・KKRへの入社を希望する候補者を面接する際、私たちはファイナンスについての識見、戦略的な発想、リーダーシップのスキルを超えた能力に注目する。「ライク・アンド・トラスト」を備えているかを見て、人柄の理解に努めている。KKRと文化的に合うかを確認したいのだ。

例えば夕食に連れ出し、ウエーターが食事や飲み物を運ぶ度に心から「ありがとう」と言うかを見る。会社では、面接担当者以外の人にどう接するかも観察する。印象づけたい相手以外の人にどんな態度を取るのかに、本当の人柄がにじみ出るからだ。
傲慢な人は試験に落ちる。人に好かれずフォロワーシップを持たない人は、パフォーマンスと過去の実績がすべてだと勘違いしている。実績は表計算ソフトの上にあるだけではない。知り合いとも、そうでない人たちとも関係を保てる優れた実績が欲しい。

私たちの価値観に由来する。ジョージ(ロバーツ共同創業者)と私は両親から「黄金律」を植え付けられた。「自分がしてもらいたいように、人にもしてあげなさい」。これを実践してほしいのだ・・・