10月5日の朝日新聞オピニオン欄「ニュースを避ける人々」、澤康臣・早稲田大教授の「攻撃的なSNSに疲労感」から。
・・・英オックスフォード大学のロイタージャーナリズム研究所は、人々のニュースへの態度を調査しています。ニュースへの関心自体の低落傾向が続く中、2024年調査(47カ国・地域が対象)では「あえてニュースを避けている」人の割合が39%に上りました。17年から10ポイント上昇し、避けていたニュースは戦争や災害、政治などでした。このように、情報の中でニュースだけを避けようとする傾向は「選択的ニュース回避」(selective news avoidance)と呼ばれ、注目されています。
従来の「ニュース離れ」は、長くニュースの器だった「新聞離れ」にも重なる意味合いがありました。SNSなど、新しいプラットフォーム経由でニュースに触れる機会自体は増えていました。選択的ニュース回避は、「別の新しい器に盛られても食べない」という態度で、ニュース自体への忌避感です。
「避けたいと思うニュース」は各国によって傾向が異なるようです。23年調査では、例えば米国では右派が環境問題や格差社会の話題を強く忌避、左派は犯罪や個人の安全の話題は比較的避けようとする傾向がある、としています。
同研究所が「ニュースの量にへきえきしているか」と聞くと39%がイエスでした(24年調査)。ただ、この「へきえき感」を、単純に量の問題と考えるべきではない。ニュースへの接触方法が、ネットやSNS経由へと移ったことで起きる現象の一つだとみています。批判、罵倒など強い言葉ほど拡散しやすいのがSNS空間ですが、ニュース伝達でも、特に戦争や政治ではとげとげしい言葉や感情的なコメントなどの量が多く、そのためにニュース疲れを感じている面が強いのではないかと思います・・・
・・・戦争や災害、政治などのニュースは決して愉快ではありません。それを落ち着いて伝えることがニュース回避への処方箋かもしれません。不愉快な事実こそ、「民主主義の運転手」たる市民が社会を安全に進ませるには必要なのです。ニュース回避が進めば、民主主義は危機にひんします・・・