現実と離れた移民政策

8月8日の日経新聞経済教室、鈴木江理子・国士舘大学教授の「移民政策のいま、現実直視し社会統合進めよ」から。

・・・2024年6月、技能実習制度を発展的に解消し、育成就労制度を創設する改定入管法などが成立した。深刻な人口減少・労働力不足を踏まえれば、労働力確保として活用されている技能実習制度の実態から目を背け「国際貢献」という目的を掲げ続けることの限界に、ようやく向き合った制度改定といえる。
だが一方で、法案審議の参院本会議で、岸田文雄首相は「政府としては、国民の人口に比して一定程度の規模の外国人およびその家族を、期限を設けることなく受け入れることによって国家を維持していこうとする、いわゆる移民政策をとる考えはない」と答弁している。成長戦略の一つとして「外国人材の活用」を打ち出した安倍晋三元首相の発言を継承する見解だが、一般的な移民政策の定義からすると奇異である。
移民政策には、国境通過にかかる移動局面の政策と国境通過後の居住局面の政策の2つがある。前者は好ましい移民(外国人)と好ましくない移民の線引きによる出入国政策であり、後者は領土内に居住する移民に対する社会保障や政治参加、住居や言語、労働や教育などの政策である・・・

・・・では、なぜ政府は移民を否定するのか。
移民の明確な定義はないが、通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12カ月間居住する人を「(長期)移民」とする国連定義に照らせば、技能実習生も留学生も移民となる。
日本は「期限を設けることなく」外国人を新規に受け入れてはいないが、家族帯同が可能で、永住や国籍取得への道が開かれている定住型の外国人を移民ととらえれば、日本で暮らす約340万人の外国人(23年末時点)の8割強が移民だ。日本生まれの2世や3世も増えている。
にもかかわらず、移民ではなく「外国人材」という言葉にこだわるのは、有用性を強調することで、欧米諸国が直面している移民問題とは無縁だと、人びとの警戒心や不安を払拭する意図があるとも推測される。
だがかえって誤ったメッセージを与え、人びとの理解を妨げているのではないか。受け入れ後発国である日本は移民社会の現実と向き合い、欧米の教訓を学ぶ必要がある。「われわれは労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」というスイスの作家マックス・フリッシュの言葉が示唆する通り、居住局面の政策が極めて肝要だ。移民政策の国際比較(20年)によれば、日本は56カ国中35位で「統合なき受け入れ」グループに分類される・・・

・・・日本語学習機会の提供など、取り組みの多くが自治体任せであることも変わっていない。19年6月に日本語教育推進法が施行されたが、ドイツやフランス、韓国などで実施されている公用語学習の公的支援制度はいまだ導入されていない。
日本語学習環境の整備や情報の多言語化など、言葉の壁を越える取り組みが地域で実践されている一方で、権利の拡大にかかる施策はなく、制度の壁の解消は進んでいない。
外国籍の子どもの就学実態全国調査が実施されるようになったが、外国人は義務教育の対象ではないとする政府見解は変わらず、今なお学びの権利が奪われている子どもがいる。第2世代以降の社会統合が重要な鍵であることは欧米の経験に照らせば明らかだろう・・・

夏休み

皆さん、夏休みを取られたでしょうか。今年は猛暑の上に、大きな地震や台風が来て、落ち着かない夏です。体調を崩したり、被害はなかったでしょうか。
私は、8月13日から15日まで夏休みを取りました。10日の土曜から12日の振替休日を入れて、6日連続の休みです。ところが16日には台風の接近が予想されたので、職員の助言に従い、出勤することをやめました。で、連続9日です。

毎回、連休の前には「あれもしたい。これもしなければ」「これも読みたい、あれも読まなければ」と、いろいろと思い浮かべるのですが、その通りには進みません。そもそも、休みの日は休むためにあるのに、たくさんのことをやろうと考えることが無理です。
とはいえ、連載の締め切りは毎週来るし、このホームページも書きためないとなりません(やめてもよいのですけどね)。
で、今回は休みに入る前に、「これだけは片付ける」という必達項目を書き出しました。休みの前半は余裕で怠けていたのですが、締め切りに間に合わないことに気がついて、後半は気を入れ替えました。早起きし、何度も水のシャワーを浴び、書斎で冷房をかけて。その成果は、半分以上は達成ということでしょうか。

そのほかに、孫のお供もしました。小さな方は、乳母車で。小学生の方は、近くの公園にセミ取りに。たくさん取ることができました。証拠写真を撮って、逃がしてやりました。キョーコさんのお供で美術館へもいきましたが、外は暑かったです。まずは良しとしましょう。

巨大インターネット企業独占への戦い

8月7日の日経新聞に「グーグル検索、違法な独占 米司法省の訴え認める」が載っていました。
・・・米裁判所は5日、米グーグルの検索サービスが独占に当たると認める判決を出した。バイデン米政権は巨大テクノロジー企業の行き過ぎた市場支配力の是正に動いてきた。裁判所が規制当局の主張を認めたことで、米アップルなどに対価を支払ってスマホに検索機能を標準搭載する商習慣の見直しを迫られる。
「グーグルは独占企業であり、独占を維持するために行動してきた」。米首都ワシントンの連邦地方裁判所は5日、原告の米司法省などの主張を認めた・・・
・・・特に問題となったのはグーグルがアップルなどのスマートフォンメーカーに対価を支払う代わりに、グーグルの検索を標準にしてもらうという契約だ。裁判資料によると費用は21年で260億ドル(約3兆8000億円)にのぼる。
巨額の資金を駆使した手法が他社の参入を阻み、独占を生んでいるという司法省などの主張を連邦地裁が認めた・・・

・・・米国では独禁当局の訴訟が業界構造の変化を促してきた歴史がある。1970年代には司法省が通信大手AT&Tを訴え、その後の会社分割と料金競争につながった・・・バイデン政権ではテック企業の肥大化による問題の是正に動き、司法省がグーグルとアップルを、米連邦取引委員会法(FTC)がアマゾン・ドット・コムとメタをそれぞれ提訴。いわば分担するかたちで5社すべての巨大テックに対峙してきた。
欧州連合(EU)も巨大テック企業の活動を制限するデジタル市場法(DMA)の本格運用を開始し、アップルの違反を指摘した、消費者保護を強化するデジタルサービス法(DSA)と一般データ保護規則(GDPR)という3法で巨大ITの傍聴に対応している。
日本の公正取引委員会も同様だ。23年10月には米グーグルの検索サービスについて独占禁止法違反の疑いで審査を始めた・・・

アサガオ

アサガオが咲きました」の、その後の報告です。
きれいな色の花は咲いたのですが、普通の花のようにラッパ状には開きません。筒状なのです。去年、散歩の途中でもらってきた種のようです。そのうちに、開く花も出てきたのですが、これは小さいのです。我が家の種のアサガオとは、葉っぱのかたちが異なるので、区別がつきます。

我が家の種の方はといえば、蔓と葉はどんどん育つのですが、一向に花が咲きません。と言っていたら、ようやく15日に赤と青の花を咲かせました。

友人たちからは、各自が育てているきれいな花や野菜が写真付きで紹介されています。それなりに、手間をかけているようです。ほったらかしでは、だめですよね。

昭和天皇の戦争関与

8月8日の朝日新聞オピニオン欄に、山田朗・明治大学教授の「昭和天皇の戦争関与」が載っていました。記事では「戦争責任」ではなく「戦争関与」という見出しです。詳しくは記事をお読みください。

・・・「昭和天皇は戦争への主体的な関与をしなかった」「最後まで対米英戦を回避しようとした」。こうした昭和天皇像に、実証的な研究を通じて見直しを迫ってきた歴史学者がいる。明治大学教授の山田朗さんだ。「天皇の戦争指導」の実態はどうだったのか。その歴史を直視してこなかった戦後日本社会とは・・・

――日本が米英に対する戦争を始めたのは41年12月でしたね。「昭和天皇は最後まで日米開戦を避けようとしていた」という話が広く信じられていますが、事実でしょうか。
「違います。41年9月6日に開かれた御前会議の時点までは、確かに天皇は開戦を躊躇していました。しかし側近の日記や軍の記録などから見えてきたのは、そのあと天皇が戦争への覚悟を決めていく姿でした」
「10月には宣戦布告の詔書の作り方を側近に相談しており、11月には軍の説く主戦論に説得されています。最終的には天皇は開戦を決断したのです」

――昭和天皇は戦争に主体的に関与することがなかった、という理解も広がっていますね。
「事実ではありません。大日本帝国憲法では天皇は大元帥、つまり日本軍の総司令官でした。形式的発言をするだけだったというイメージが広がっていますが、記録によれば、大元帥として出席した大本営御前会議では活発に発言しています。軍幹部への質問や注意を通じて作戦に影響を与えていた実態も、史料から見えてきました」

――昭和天皇が具体的に変えた事例を挙げてください。
「42年のガダルカナル島(南太平洋ソロモン諸島)攻防戦で、航空部隊を現地へ送るよう天皇は3回にわたって、出撃をしぶる陸軍に督促していました。3度目の督促の翌日、陸軍は派遣を決めています」
「45年の沖縄戦では『現地軍は何故攻勢に出ぬか』と言って、積極的な攻撃に出るよう要求しました。現地軍は持久戦でいくと決めていたのですが、天皇の意思が現地まで伝わったため中途半端な攻勢が行われ、無用な出血につながりました」
「天皇の言葉が作戦を左右する影響を与えた事例は、満州事変から敗戦までの間に少なくとも17件確認できます。国家意思に影響を与えていた形です」

――昭和天皇はなぜ作戦指導や戦争指導をしたのでしょう。
「大日本帝国という国家の抱えていた構造的な問題が背景にあってのことだったと思います。天皇を好戦的な指導者だったとみなすのは間違いです」

――構造的な問題とは?
「ガダルカナル戦で天皇が指導に踏み込んだのは、どちらが航空機を出すかでもめていた陸軍と海軍の対立を解くためでした。大日本帝国では陸軍も海軍も天皇に直属していて、両者を統合して指揮する統合幕僚長のような指導役が不在でした。陸・海軍の対立を調整できるのは当時、天皇だけだったのです」
「軍事戦略と外交戦略の双方を統括しえたのも天皇だけでした。軍の最高指揮権にあたる『統帥権』は天皇にあり、統帥権は行政から独立していました。首相ですら軍事行動の詳細を知ることはできない構造です。外交や予算をつかさどる行政が軍部と分立していた中で、両者を架橋しえたのは実質的に天皇だけだったのです」

――「昭和天皇は戦争指導をしたのか否か」と問う以前に、「そもそも戦争指導をできる指導者は当時いたのだろうか」と考えさせられる話です。
「ええ。戦況の悪化に直面したことで昭和天皇は大日本帝国が抱えた構造的欠陥の深刻さに気づき、自らが動くしかないと考えた可能性があります。陸軍と海軍が持つそれぞれの経験値では解決できない事態があり、政治が軍事を制御できる仕組みも見当たらない。そんな状況下での戦争指導だったのです」

――昭和天皇に戦争責任はあった、と主張していますね。
「実態を踏まえれば、昭和天皇には戦争責任があったと考えるべきだと思います。あれだけの悲惨な結果を招いた戦争において、大日本帝国の軍事と政治の双方を統括できる国家指導者だったのであり、すべての重要な政策決定の場にいたのですから、およそ責任がなかったと言えるものではありません」