最近、基本的人権を考える事例が相次いでいます。
一つは、旧優生保護法で不妊手術を強制されたのは憲法違反だとして、被害者らが国に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁判所が同法を違憲と判断し、国に賠償を命じたことです。この基本的人権侵害は、半世紀も続いていました。同様の事例では、ハンセン病患者が、旧らい予防法による強制隔離について国を訴え、国が受け入れた件があります。(日経新聞8月5日、大林尚編集委員「苛烈な人権侵害に向き合う 強制不妊、責任あなたにも」)
もう一つは、性的少数者の権利を認めるいくつかの判決と、自治体などでの対応の変化です。(朝日新聞8月5日、遠藤隆史記者「記者解説 性的少数者の権利と司法 不利益正す判断続く、社会の変化影響」)
・・・性的少数者の権利を後押しする司法判断が相次いでいる。
日本に限らず、世界中で「男・女」の二分論と異性愛を前提とする社会制度がつくられてきた。その枠組みからはじかれた人たちが、当たり前のように扱われてきた制度を裁判で問い直している。
そして、裁判所の判断はケース・バイ・ケースながら、おおむね前向きに応じるようになっている。最近の司法の動きからは、そんな大きな流れが見てとれる・・・
・・・流れを読み解くもう一つの鍵は社会の認識の変化だ。それが端的に表れたのが、性同一性障害特例法をめぐる大法廷決定だった。
この決定の4年前、やはり生殖不能要件の違憲性が争点になった別の裁判で、最高裁第二小法廷は「現時点では違憲とは言えない」と判断していた。
23年の大法廷決定は、最高裁が4年で判断を変えるに至った理由は明示していない。
ただ、この4年間で性的少数者の権利侵害への認識は確実に広まった。呼応するように、同性カップルの関係を公的に認める「同性パートナーシップ制度」を導入する自治体も大きく増えている・・・
時代とともに、基本的人権が変わるのですね。気になるのは、憲法学者がこれらの点について、判決の前に問題を捉えてどのような発言をしているかです。解釈学でなく立法学としてです。不勉強で発言してはいけないのですが、新聞を読む限り発言はあまり取り上げられていないように思えます。
憲法学者である棟居快行教授の反省を、紹介したことがあります。
・・・遺憾にも私を含む憲法学者の大半は、研究の相当部分を占めるその人権論にもっとも救済を必要とする人々への致命的な死角があることについて、ハンセン訴訟の新聞記事等に接するまで自覚していなかった・・・「優生保護法と憲法学者の自問」