なんとかなる

なぜか忙しい」の続きです。「7月と8月」に書いたように、なんとか乗り切れました。なぜ、乗り切れるのか。私たちの仕事の多くは、締め切りがあり、その時点である程度のものができていたら、それで許されるのです。

もちろん、資料作成でも原稿執筆でも、「何も書けていません」では、失格です。他方で、「これが満点だ」という基準も、たいていの場合はありません。評価者は、上司であったり、先生であったり、編集長です。その人たちが「仕方ないなあ、この程度でも」と思ってくれたら、それで乗り切れたことになるのです。
満点をもらいたかったら、事前にその評価者に半製品を持ち込んで、何度も打ち合わせをして、評価者の納得を得るようにしなければなりません。でも、そこまで必要のないものなら、「この程度で許してもらおう」と考えて、そこそこのできばえで提出することができるのです。完璧を目指したいのですが、なかなかそうはいきません。でも、すんでしまうと、次の仕事に取りかかるので、不本意だったことも忘れてしまいます。
これは、『明るい公務員講座』にも書いたことです。

しかし、機械や電算機のプログラム作成の場合は、この「この程度で許してもらおう」が通じないのです。完成しない機械は動かず、完成しないプログラムでは誤作動します。自然科学の世界と、社会科学・人文科学との違いとも言ってよいでしょう。