『奴隷制廃止の世紀1793-1888』

奴隷制廃止の世紀1793-1888』(2024年、白水社クセジュ文庫)を読みました。新聞の書評欄で紹介されていたので、興味を持ちました。
ヨーロッパの国によって、アフリカの住民が強制的にアメリカ大陸に連れて行かれ、過酷な労働に従事させられた歴史は、習いました。人を人として扱わず、ものとして扱う。キリスト教国が、そんなひどいことをしたのです。アメリカの南北戦争や「アンクルトムの小屋」も知っていますが、その実態は詳しくは勉強していません。それはさておき、この本を読んで奴隷制廃止の経過がわかりました。

18世紀、西欧では啓蒙思想が普及し、この非人道的な扱いに対する批判が高まります。もっとも、植民地での奴隷を使ったプランテーション農業によって利益を上げている現地と西欧の関係者は、その利益を手放すことに抵抗します。
他方で現地では、早い段階から奴隷たちの反乱が起きていて、農園主や支配者たちはそれに手こずります。

フランス革命で、1789年に人権宣言が出されます。奴隷制廃止の議論がありましたが、実現しませんでした。1791年に、フランス領サン・ドマング(現在のハイチ共和国)で奴隷の反乱が起き、鎮圧に失敗した政府は、奴隷制廃止を宣言します。その後、奴隷制復活の動きもありました、失敗します。しかし奴隷制廃止は、他の国や地域には広がりませんでした。ナポレオンも、奴隷制を存続させます。

転機となったのは、イギリスです。それまで黒人奴隷貿易を牛耳っていたイギリスが、1807年に奴隷貿易を禁止します。人権思想の普及、対フランス政策もありますが、新大陸での奴隷制の利益が薄れ(アメリカの独立)、インドに重心を移したことが要因のようです。その後、フランスも方針を転換します。アメリカの南北戦争もあり、最後にブラジルが1888年に奴隷制を廃止し、すべての国と地域で奴隷制がなくなります。

とはいえ、奴隷制が廃止されて、直ちに黒人奴隷が自由人になったわけではありません。支配者層は引き続き彼らを農園にとどめ置いて、労働に従事させようとします。しかし、解放奴隷たちはそれに反抗します。