役所のデジタル化に見る分権と集権

6月27日の日経新聞オピニオン欄「中外時評」は、斉藤徹弥・上級論説委員の「デジタル時代の新・地方分権」でした。デジタル化を進めるに当たって、なぜうまくいかないか。その問題から、新しい時代の国と地方の関係を分析した内容のある記事です。本文をお読みください。

・・・アジサイに誘われ、鎌倉の明月院を訪ねた。濃く鮮やかな明月院ブルーの花群れを眺めながら、かつて自治省(現総務省)に入ると教えられたという心構えを思った。
地方はアジサイの花だ。全体が一つの花にみえるが、よくみれば多様な形の小さな装飾花の集まりである。地方も様々な事情を抱える市町村の集合体で、全体をみるだけでなく、個々の自治体に目を向けなければならない――。
地方全体を抽象的にとらえるマクロの視点だけで政策を判断すると、市町村をみる解像度が低くなり弊害を生む。多種多様な自治体への影響をミクロに見極めて政策を判断せよという教えである。
霞が関は地方をマクロでとらえ「こうすれば地方も回るはず」と考えがちだ。デジタル庁はその典型で、現状は地方への理解が足りず、十分な成果は上げていない・・・

・・・地方分権だからバラバラなのではない。地方自治法は統一すべき基準づくりを国の役割としているが、これに国が後ろ向きすぎたのである。
各省は人員不足で手が回らず、分権を口実にしてきた面もあろう。基準がないなか、自治体は独自に対処し、結果として業務フローやシステムがばらけていった。
地方が統一した方がよいと思うものは国がはっきり基準を示すー。半年あまりの調査と協議を経て国と地方、そしてデジタル派はこうした共通認識にたどり着いた。「これがデジタル時代の新しい地方分権」と国は位置づける・・・、