霞が関官僚のやりがい

5月22日の朝日新聞「霞が関にこだわらない?2」「幸福運ぶミツバチ、地域のために」で井上貴至さん(38)が取り上げられていました。
井上君は総務省官僚で、現在は山形市の副市長です。鹿児島県長島町の副町長のとき、様々な企画を打ち出し、スーパー公務員とも呼ばれています。

・・・井上さんは「これだけの挑戦ができるのは、自分が霞が関の官僚だからこそ」と言う。「長島の副町長になったのが29歳。いま38歳で、中核市である山形市の副市長をやらせてもらえる。官僚でなければ、こんなポストは任せてもらえない」
長時間勤務が原因で離職する人がいるなど、霞が関が直面する課題も理解している。
それでも、霞が関に希望はある、と思う。国の看板を背負って、誰とでも会える。そこで受けた刺激を仕事に生かせば、日本の将来を良い方向に変えられると信じる。

「企業はまず従業員や株主の利益を考えるが、行政はすべての住民がステークホルダー(利害関係者)。全員の幸福を考えながら青臭く理想を論じられることが、官僚の最大の魅力です」
やれることはまだまだある。だから、霞が関を諦めない。そう決めている・・・

角野然生著『経営の力と伴走支援』

角野然生著『経営の力と伴走支援 「対話と傾聴」が組織を変える』(2024年、光文社新書)を紹介します。
東日本大震災の原発事故対応で、経済産業省は、被災した約8000の事業者の事業再開に向けて個別支援を行いました。そのための組織として、福島相双復興官民合同チーム(後に福島相双復興推進機構)がつくられました。事務局長として組織を立ち上げ、仕事の進め方を編み出したのが、角野君です。

公務員と会社員で組織したので、官民合同チームと呼ばれました。この組織の職員が、避難先の各事業者のもとに出かけていって、事情を聞き、相談に乗って、事業の再開に向けて支援するのです。経産省は原発事故の責任者であり、当初は被災事業者に会ってももらえない、話を聞いてもらえない状態でした。通い続けることで、少しずつ意思疎通ができるようになりました。
従来の行政の手法は、補助金など支援の手法をつくり事業者から申請してくるのを待つものでしたが、この伴走支援では役所側が支援対象に出かけていき、話を聞き、問題点を一緒に考え、解決に向かって継続的に支援するのです。これが、「伴走支援」です。

補助金を交付するのは作業としては簡単です。それに対しこの伴走支援は、役所側から問題点を指摘して解決策を提示するのではなく、支援先が自分でも問題点を考え、解決方法を一緒に考えます。自分で気づき、考える。自立への支援をするのです。行政としては、手間暇がかかります。
復興庁では、被災地の小規模事業者の事業再開支援として、地域復興マッチング「結の場」をつくりました。これは、悩んでいる被災事業者と、相談に乗って対策を考える支援をしてくれる企業とをつなげる企画です。これも、補助金を交付するだけでは補助金が終わると事業が継続しないので、自立への支援を行うものです。

連載「公共を創る」の第76回「再チャレンジ政策で考える行政のあり方」で、行政の手法がこれまでは窓口で待つことでよかったのが、これからは出かけていく必要があるこへとの変化を指摘しました。その一つの事例と見ることもできます。
角野君はその後、関東経産局長、経済産業省中小企業庁長官を務め、この手法を被災地以外にも広めます。
現場の実情から編み出された行政手法で、従来の哲学を変えました。そして成功したのです。役所から出かけていって、相手の相談に乗り、自立への支援をする。この行政手法は、他の分野でも拡大できるしょう。

頼清徳・台湾総統の就任演説

5月20日に、頼清徳氏が台湾総統い就任しました。読売新聞は就任演説の要旨を載せていました。ウェッブでは、全文を載せています。

アメリカ大統領の就任演説は、日本の報道機関も取り上げますが、アジアの近隣各国の大統領などの就任演説は、あまり取り上げないのではないでしょうか。もっと、近隣各国に目を向けるべきでしょう。

忙しい職場の生産性低下

「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざがあります。二つのものを同時に取ろうとして、両方とも得られないことです。「虻蜂(あぶはち)取らず」も同義です。

霞ヶ関の官庁や地方自治体の人と話していて、改めて気がついたことがあります。仕事量が限界を超えていて、十分に処理できないこと以上に、困ったことになっているのではないかということです。

この30年間、行政改革の旗印の下、職員数の削減を続けました。バブル経済崩壊後の日本の風潮にも乗って、政治家だけでなく私たち官僚も正しい道だと考えていました。しかし、それにも限界があります。他方で、行政改革では仕事は減らず(予算は減っても、法律と政策はほとんど減っていません)、それどころか新しい仕事が増えています。職員数が減って、仕事が増える。その結果は、職員一人あたりの仕事量が増えているのです。これまでも、多くの職員は余裕のある仕事ぶりではありませんでした。

一人が処理できる仕事量を100だとします。従来の仕事Aが100として、新しい仕事Bが30追加されるとすると、合計で130。処理可能量を30超過します。すると、例えばAを70にし、Bを30して、合計100をこなすことになるでしょう。
ところが、そうはならないのです。「二兎を追う者は一兎をも得ず」が当てはまり、仕事Aも仕事Bも中途半端になって、例えばAが65、Bが15で、合計80になるのです。
二つとも完成せず、さらに総処理量も減るのです。人間の処理能力を超える仕事をやろうとすると、かえって処理量が減ってしまうのです。それだけでなく、職員の精神衛生に悪い影響を与えます。
皆さんも、学生時代の勉強や、忙しい時期にこんな経験をしたことがありませんか。
集中力、その2。本人側の邪魔する要素」「同時に2つのことはできない

新聞の1面記事を非購読者にも

5月17日の朝日新聞オピニオン欄に、藤村厚夫さんが「価値ある1面記事、非購読者にも」を書いておられました。意見に賛成です。

・・・メディアから得る情報は、私たちを取り囲む社会や世界を深く理解する出発点として重要な役割を果たしている。だが、その一方で、ニュースの流通量は増えるばかりだ。膨大な情報の山に囲まれていては、その対処に疲労を覚えることもしばしばだろう。
「これは本当に起きたことか?」「この解説は正しいか?」などと、つねに情報の吟味を繰り返さなければならないのは、時に苦痛でもある。となれば、信頼のおける第三者にこの対処を委ねたくなるのも当然だ。多すぎる情報をその重要性や信頼度から絞り込めるなら、読者の負担は軽減する。信頼に足るメディアが求められるゆえんだ。

筆者が携わるスマートニュース メディア研究所が2023年に実施した「メディア価値観全国調査」(第1回、QRコード参照)では、そんな情報の価値判断をめぐって、人々の期待値が明らかとなった。
調査では、メディアをめぐって多数の問いを設けたが、端的に「新聞の1面に掲載されるニュース」を重要なニュースと見るか否かも尋ねた。「重要だ(かなり重要である+やや重要である)」と回答したのは全体で76%と高い評価を見せた・・・

・・・両調査を通じて見えてくるのは、新聞に求められる役割は、正確で信頼性の高い情報発信だけではなく、情報を重要性で絞り込む(新聞社の)“価値判断そのもの”でもあるということだ。新聞1面への高評価はその最たる例だろうし、「安心できる」の高スコアにも対応する。
どの記事を1面に掲載するかは流動的で、新聞社内ではつねに侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論が戦わされていると、筆者の取材に応じた朝日新聞の春日芳晃・編集局長兼ゼネラルエディターは答えてくれた。掲載の基準には定式があるわけではなく、鮮度や重要性の高さ、あるいは時間をかけて取材してきた企画などの記事が、日々、1面の座を占めるべく競いあっている。

だが、新聞が持つこの重要な価値を、新聞に日常的に触れていない人々が体験できているかといえば、心もとない。インターネットメディアの時代では、朝日新聞ならば、「朝日新聞デジタル(アプリ)」や「朝日新聞紙面ビューアー」に新聞1面に相当する機能を求めることになる。だが、有料購読者限定という壁がある。多くの非購読者は、「厳しい取捨選択を経て絞り込まれた日々の重要な情報の提供」という価値の醍醐味を体験しないままだ。その接し方は、朝日新聞の記事であったとしても、ネットに広がる「多すぎる情報」の一部として体験するにすぎない。
その意味で、紙面ビューアーや、重要なニュースを3本に絞って解説する「ニュースの要点」を(一部機能を制限するなどして)広く無償で提供できないものか。「朝日が考える今日の重要なニュース」という指針を広く示すのだ。あわせて他のメディアの価値ある情報も選別して紹介すれば、朝日新聞の持つ取捨選択力を独立の価値として示せる・・・