連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第185回「政府の役割の再定義ー広く日本の在り方を考える必要性」が、発行されました。
第183回から、私が所管を越えて広く日本のあり方を考えるようになった経験を話しています。
今回は、1993年に、カンボジア国連平和維持活動で警察官が死亡した際に国家公安委員長に同行した件。1998年に、中央省庁等改革推進本部事務局で全省庁の課の数を削減した作業。2006年から、自民総裁候補のマニフェスト作成に参画したこと。2006年に、経済財政諮問会議に関与したこと。2008年の総理秘書官の経験を書きました。
このあと、東日本大震災の経験が続きます。
こうして振り返ると、自治省に入ったのにそれを越えて、国家官僚としてさまざまな広い経験をさせてもらいました。官僚生活の後半は、私の「本籍」であった自治省(総務省)財政局ではなく、内閣府や官邸などでの仕事がほとんどでした。「内閣官僚」と自称しています。
このことは、日経新聞夕刊一面コラムにも「内閣官僚」として書きました。
・・・1978年に自治省に採用され、2016年に復興庁事務次官を退任した。38年間の勤務のうち、自治省と再編後の総務省で16年、自治体勤務が11年、内閣、内閣府、復興庁が11年になる。後半は、省庁改革本部、総理秘書官、復興庁と、内閣の近くで仕事をすることが多かった・・・
その後の内閣官房参与・福島復興再生総局事務局長の4年余りを入れると、内閣近くでの仕事の期間は、42年のうち15年とさらに長くなります。