講演、聴衆の有無

先日、那覇市に講演に行って来ました。約100人の聴衆を前にです。私は聴衆の反応を見ながら話すことが好きなので、うれしかったです。少々の脱線も、許してもらえますし。なので、それを録画して当日見ることができなかった職員が見ることも、支障はありません。
かつては「ここだけですが」という気持ちで、好き勝手に話すこともあったのですが、最近はそのような発言も抑制するようになりました。
ベトナム内務省幹部講義も目の前の人を相手に話すので、私の言葉がどのように訳されているかわかりませんが、顔を見ると反応がわかります。

困るのは、聴衆なしでカメラに向かって話す場合です。カメラの向こうで見るであろう人に、語りかけなければなりません。でも、その人たちがどのような反応をしているかが、わからないのです。
市町村アカデミーの研修動画収録では、サクラとして数人の職員に座ってもらったのですが、これではカメラを見なくなるので、失敗でした。

中途採用者の増加が与える衝撃

3月26日の日経新聞「銀行変身㊦働き方アップデート」に「みずほ、中途採用数が新卒超え 退職者カムバック歓迎」が載っていました。
・・・新卒で入行し、定年や出向まで勤め上げるのが当たり前だった銀行の働き方が変わり始めた。2023年度の3メガバンクの採用全体に占める中途採用の比率は半分に迫り、みずほフィナンシャルグループ(FG)は初めて中途採用数が新卒を上回る見通しだ。退職者は「裏切り者」という冷たい視線を浴びることもあったが、今では退職者の再入行も当たり前になり、「人材の回転ドア」が回り始めた・・・

3月25日の朝日新聞には、「転職=前向き、若手社員の価値観変化 「スキルつける」早めの決断」が載っていました。
・・・若手社員の転職に対する価値観が大きく変化しています。「早くスキルをつけたい」と転職を前向きに捉える人が増え、SNS投稿が後押しするケースも目立ちます。対する企業は、社員の定着に試行錯誤し、「もったいない離職」を防ごうと対策を進めています・・・
・・・「マイナスな話ではなくて、やりたいことを考え直して逆算した結果、今辞めた方が良さそうだと考えた」。東京都に住む20代半ばの男性は昨年秋、2年半勤めた大手金融機関を辞め、デザイン会社に転職した。
大学時代に就職活動をしていたころは、海外で働けることを優先して企業を選んでいた。だが、次第に空間設計やマーケティングを通じて人を幸せにしたいという夢が出てきた。将来、結婚して共働きになったときに全国転勤を続けることへの不安もあった。
終身雇用へのこだわりもない。転職前にみていた上司の姿は、ハードな働き方をして管理職になっても、自身がやりたかったことはできていないように映った・・・

霞ヶ関の各省も、中途採用が広がり始めました。早期退職者が増えて、新卒だけでは職を埋めることができなくなったのです。他方で自治体では、新規採用でも民間経験者が増えているようです。
この20年間で、労働に関する意識と慣行が大きく変化しました。記事でも書かれているように、転職者が増えたのです。かつては、採用された会社や役所で定年まで勤め上げることが「当然」であり、途中退職者には落伍者の烙印が貼られました。また、そのような人を企業は採用しなかったのです。社員にとっては「楽しくない職場であっても、しがみつくしかない」、企業にとっては「意欲のない社員だけど、飼っておく」という、双方に不幸せな事態が続いていました。

転職が普通になって、外部労働市場が活性化すると、「この職場は私には合わない」と考えれば、転職できるようになったのです。これは、よいことです。少し異なりますが、プロ野球でフリーエージェント制が導入され、優秀な選手はよりよい待遇を求めて移動することができるようになりました。球団は引き留めるためには、処遇を上げなければなりません。
企業や役所は、逃げていく社員や職員をつなぎとめるために、処遇を変えたり職場を変えたりしなければなりません。転職する彼ら彼女らは仕事のできる人たちですから、損害は大きいです。他方で仕事のできない社員は転職せずしがみつきますから、この人たちをどのように処遇するかも課題になります。
社内や役所内での人事方針や仕事の仕方も、変えざるをえなくなります。「やりたい人にやりたい仕事をさせる」「仕事をしない人にはそれに見合った処遇にとどめる」ことが進むでしょう。前者は例えば「手上げ方式」で、社員がやりたい仕事の希望を出し、希望者の中から適任者を選びます。後者は、いつまで経っても同じ仕事で給料も上がらないです。

酒票、その2

威徳輝宇宙」(2月24日)で、清酒瓶に貼ってあるラベルを「酒票」と呼ぶと書きました。知人が、雑誌「dancyu」3月号「王道の日本酒」に「クラッシック酒ラベルの来た道」が載っていると教えてくれました。
読んでみると、明治編、大正・昭和(戦前)編、昭和(戦後)編、平成・令和編の4つに分けて、それぞれの時期の代表的な酒票の写真と、その傾向が説明されています。石田信夫・比治山大学名誉教授の説明です。40年にわたってコツコツ集めて、コレクションは2万点とのこと。

明治期は、木樽に貼ったB5ほどの大きさでした。戦後になってガラスの一升瓶がほとんどになると、ラベルは小さくなります。写真を見ると墨一色のものから、色刷りの絵もきれいな鮮やかなものへと進化しています。そして、平成になると、銘柄だけの簡素なものへと変化します。
世の中は、さまざまなものに歴史があり、それを研究する人がいるのですね。

事業縮小議論、人物が見える

日経新聞「私の履歴書」4月は、三村明夫・日本製鉄名誉会長です。11日の「大合理化」から。
1985年のプラザ合意によって、円高が急速に進み、日本の鉄は国際競争力を失います。1970年に富士製鉄と八幡製鉄が合併してできた新日鉄は、それまでも過剰な生産設備を削減してきましたが、大胆な削減はしませんでした。しかし、いよいよ避けて通れなくなりました。三村さんは計画づくりの事務局責任者になります。6万8千人いた社員を1万7千人、すなわち4分の1に縮小し、12基あった高炉のうち5基を閉めます。

・・・半年足らずのSPC(注、合理化検討会議)だったが、そこで得た学びは米国留学より何倍も大きかったように思う。ひとつは危機は組織再生の好機でもあることだ。長年引きずった課題に決着をつける絶好の機会であり、逃げずに立ち向かえば、企業は再び躍動する。
もうひとつは「聖域なき合理化」とはよくいわれるフレーズだが、実際は侵してはならない聖域が厳然としてあることだ。当社の聖域とは品質や職場の安全だが、これについては後述したい。

最後に人を見る目だ。14人のSPC構成員はいずれも私の上役だが、真剣勝負のやり取りの中で各人の実力や人格が浮き彫りになった。日ごろは偉そうに振る舞う人が急におとなしくなったり、地味な人が誰もがうなずく正論を堂々と開陳したりする場面がしばしばあった。
「上から3年、下から3日」という言葉をご存じだろうか。人を判断するのに上からみれば3年かかるが、部下として仕えれば上司の長所も短所も3日で分かるという格言だ。この言葉はいまに至るまで私自身への戒めでもある・・・

富山テレビに出演しました

4月7日の富山テレビ「シンそう富山 未知の被害…液状化」に出演しました。千葉市の市町村アカデミー学長室からの参加で、画像は粗いです。番組はインターネットで見ることができます。

能登半島地震で、富山県内でも液状化による大きな被害が出ました。家が傾いたり壊れただけでなく、地盤を改良しないと家を再建できません。その点では、東日本大震災で津波被害を受けた地域と同じような条件だと言えます。現在地を改良するのか、ほかの地域に移転するのか、そしてそれを各家庭でなく地域全体で考える必要があることです。