公文書、政治の介入許すな

3月26日の朝日新聞オピニオン欄に、福田康夫・元首相の「国民のための公文書 歴史の生の記録は国家形づくる石垣、誠意の介入許すな」が載っていました。

・・・「その一つ一つが、国家を形づくっている石垣です」。公文書管理法の生みの親ともいえる福田康夫元首相は、公文書を城の石垣にたとえる。相次ぐ改ざんなどで、その石垣が揺らいでいる。国民共有の知的資源で、説明責任が求められる公文書。適切な管理に最も重要なことは「政治を介入させないこと」だと話す・・・

―なぜ公文書問題に取り組んだのですか。
「国家として歴史の事実の記録をきちんと残していく。それは当然のことです。事実を知ることは民主主義の原点、民主国家の義務です。しかし、その基礎となる法律が日本にはなかった。民主主義国家として恥ずかしいことです」
「米国の公文書館には国の歴史が詳細に保存され、それを国民が容易に見ることができる。国家がどのような歴史を経て今の形になったのか。事実の積み重ねを具体的な生の記録を通じて知ることで、歴史の事実を実感をもって理解してもらうことができる。それが、国民の国家への信頼につながり、対外的な信用も生まれる。その記録の豊富さ、閲覧のしやすさなどに驚かされました。日本にもこういうものをつくらないと、と痛感しました」

――公文書を見ればその国がわかるということですか。
「小さい事実、歴史の記録の一つ一つがお城の石垣のように積み上がって国家を形づくっている。その石垣が公文書です。公文書を通じてその国がどういうものかが読み取れる。その国がどんな歴史を経て今に至ったか、その姿を後世にきちんと引き継ぐ、その基礎となります」

―政治の責任はどうですか。
「大きくいえば、政治の責任です。きちんと記録を残すよう関係省庁に促したのかどうか。記録がないと、後々検証ができません。検証できなければ、教訓を後世にいかすこともできません。今回の裏金問題も同じ構図といえます。なぜ、このようなシステムができあがったのかを解明し検証しないと有効な対策がとれない、と野党が国会で追及している通りです」
「最も極端なケースは、敗戦直後に各省などで資料が一斉に焼却されたことです。戦争責任の追及を恐れた政治指導者が、責任追及を回避するために証拠隠滅をはかろうと指示したものでした」

――第2次安倍政権では、公文書改ざんが明らかになりました。
「事実を正しく記録したものでなければならない。その公文書が偏っていたり、事実と違っていたりしたら、国民にも、対外的にも信用されなくなります。改ざんがいけないのは公文書に限ったことではありませんが」

―財務省の公文書が改ざんされた森友学園問題がそうでした。
「官僚は、上から評価してもらうため、自らの身を守るために忖度して行動しがちです。内閣人事局ができたことで官僚に対する官邸の人事権が強まったこともその傾向を強めています。文書改ざんは過度に忖度したということでしょう。そこには政権が強力で長続きしそうだという判断も恐らくあったと思います」
「政治家が常に心しなければならないのは、権力行使は最低限にとどめなければいけないということです。権力者が長くその地位にとどまることは、決して好ましいことではない。そのことを政治家が自覚すべきです。官僚機構も同じです。要職に長くとどまると、新たな権力構造が生まれやすくなります」

――権力は腐敗すると。
「腐敗しがちだということです」
「中立性、公正性を保つには、公文書館は内閣から独立した存在にすることも改めて考えるべきでしょう。内閣だけでなく、三権に対して強い権限を持つ必要があります。たとえ政府や国家にとって都合が悪いことでも、事実を記録して公開する。それが国家としての信頼につながります。そのためには、政治を介入させないことが何より重要です」