ヤフーニュースでの発言「能登地震の復興は東日本に学べ」

インターネットのヤフーニュースに、私の発言が載りました。「能登地震の復興は東日本に学べ」元復興庁・岡本全勝さんの提言 町を元に戻しても人は戻らず」(2月9日配信)。ヤフーニュースには、他紙からの転載記事のほか、このような独自の記事(オリジナル 特集)もあるようです。

先月中旬に、取材を受けました。私は能登の現場を見ていないため、あくまで報道で知り得た範囲での見解ですが、これから予想される復興の難しさについて、東日本大震災の経験を基にお話ししました。
東日本大震災では、それまでの復興哲学と同じように、元の街に復旧しようとしました。ところが、インフラや住宅を復旧しても、多くの集落で住民は戻らず、にぎわいも戻りませんでした。日本は人口減少に転じ、特にこの地域は以前から人口が減少し、高齢の方が多い地域だったのです。この条件は、能登半島も同じです。

街をどのように復旧するか。それを決めるのは地元の人たちです。多くの方は「元に戻したい」と思っておられるでしょうから、私の発言は厳しいものと受け取られるでしょうね。
どのようにしたら、住民の方は暮らしやすいか。
東日本大震災では、私たちは手探りで事業を進めましたが、今回は13年前に起き、そこから復興したという前例があるのです。住民の意見集約という過程と、どのように復旧するかという目標の二つにおいて、ぜひ東日本大震災からの復興を参考にしてください。

2月29日の朝日新聞「論壇時評」で、宇野重規先生に取り上げていただきました。「能登地震から考える 人口減少、持続可能な社会とは

一億総おひとり様社会

1月13日の日経新聞一面連載「昭和99年 ニッポン反転」は「「総おひとり様」の足音 個つなぐ社会、日本モデル」でした。

・・・身元保証人がいないと入院・入所お断り――。2022年発表の総務省の抽出調査で、一般病院や介護保険施設の15.1%がこう答えた。割合を全国に広げれば「お断り」は約3千施設に及ぶ。高齢者の孤立問題に取り組むNPO法人の須貝秀昭代表(52)は「『家族』が前提の社会を変えないと、命が救えない」と訴える。
戦後、日本の基準は家族だった。1978年の厚生白書には、同居は「我が国の福祉における含み資産」との記述がある。当時は高齢者の約7割が子供と同居し、面倒をみるのが当たり前とされた。80年代には配偶者特別控除や専業主婦の第3号被保険者制度が導入され、家族像が固定化されていった。

同じころ、欧州は経済的苦境から抜け出すため女性活躍にかじを切った。日本と正反対の政策は、共働きを前提とした子育て支援につながり、比較的高い出生率の要因とされる。
京都産業大の落合恵美子教授(家族社会学)は「80年代の経済的成功が改革の意欲をそぎ、家族モデルが固定された。女性の社会進出の遅れは『失われた30年』の要因にもなった」と指摘する。

家族の姿は半世紀で一変した。2020年の国勢調査では単独世帯が一般世帯の38%を占めた。「サザエさん」型の3世代同居は4.1%。家計調査が標準世帯としていた「夫婦と子供2人」は1割を切る。非婚化が進み、およそ3組に1組が離婚し、死別後も長い人生が待つ。迫る「総おひとり様社会」と日本はどう向き合うべきなのか・・・

市町村アカデミー、山崎史郎さん登壇

市町村アカデミーの研修「政策企画」の講師として、山崎史郎さんに来てもらいました。現在、内閣官房参与(社会保障・人口問題担当)・内閣官房全世代型社会保障構築本部事務局総括事務局長です。

昭和53年に、彼は厚生省、私は自治省に入りました。彼は、介護保険制度を作る中心になりました。その後、内閣府経済財政部門で一緒に仕事をしました。私が麻生太郎首相秘書官を務めたあと、彼も菅直人首相秘書官を務めました。退官後リトアニア大使、さらに首相官邸からの依頼で、現在の仕事をしています。まさに「余人をもって代えがたい」のでしょう。ご苦労さま。

とても忙しいのですが、研修担当教授が「ぜひ山崎さんの話を聞きたい」とのことで、お願いして来てもらいました。経験に基づく話は、研修生たちの評価も抜群でした。ありがとうございました。

連載「公共を創る」第177回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第177回「政府の役割の再定義ー官僚の「やりがい」を巡る考察」が、発行されました。

長時間労働を減らすためには、職員数も増やすべきだという主張の続きです。企業が社員と経費の削減を進めたと同じように、役所でも職員を減らし、一部は非正規職員に代えてきたことが、この30年間の経済の低迷を社会の不安を生み、それを長引かせたのでしょう。
そして削減だけでは企業は業績が伸びず、行革だけでは行政は社会の課題に対応できません。行政改革は必要ですが、私は行き過ぎたと考えています。私も、その旗を振った一員ですが。早く方向転換しなければなりません。

職場の問題として、長時間労働の次に、やりがいの問題を取り上げます。少々忙しくてもやっている仕事が国民の役に立っているなら、我慢できます。しかしその仕事がやりがいのないものだと、意欲はわきません。ここでは、国会待機、官邸指示の多用を取り上げました。

改革案を葬った人たち

1月17日の日経新聞夕刊「こころの玉手箱」は、岐部一誠インフロニア・ホールディングス社長の「業績悪化を伝える新聞記事」でした。前田建設時代の話です。

・・・2008年3月、総合企画部にいた私は早期退職者募集の社長説明文案を作った。低採算の工事が重なった上に改革が不十分だったツケが回り、会社の業績は悪化を続けていた。
「452億円の最終赤字」と記された3月22日付の新聞記事の切り抜き。その後本社は2度移転したが、これは今も社長室の机の引き出しにしまっている。二度と早期退職者を募集するような事態を招かぬよう、自分に言い聞かせている・・・

岐部さんは、2003年に赤字の会社に危機感を持ち、会社や業界を分析し、経営陣への提案をまとめました。大晦日の夜中には、社長から慰労のメールももらいます。ところが、未完成の改革案が事前に広まり、複数の役員が激怒します。「岐部、謝罪の場を設けるから謝れ。もしくは会社を辞めろ」と詰め寄られます。発表は中止になります。
その後、記事にあるように、大幅な赤字になり会社は危機に陥ります。そこで、この改革案を生かすことになります。

さて、改革を止めた幹部たちは、その後の動きをどう見ていたのでしょうか。また、自分たちの判断と行動を、どのように振り返ったでしょうか。