急速に変化する日本の労働慣行

篠原俊博さん(元総務省行政局審議官、株式会社SHIFTプリンシパル)が、月刊「地方行政」2月号に、「地方公共団体と民間企業の人事管理の比較・考察」を書いています。数ページ読むことができます。

本人の経験を踏まえた、役所と企業との人事管理の違いを考察しています。両方を経験したので、説得力があります。
転職が容易になり、企業の人事管理が急速にジョブ型に転換しつつあることを指摘し、役所の人事管理も変わらざるを得ないと主張しています。人事院や内閣人事局も改革に取り組んでいますが、世間はもっと先を行っているようです。

今ちょうど連載「公共を創る」で、官僚の育成方法を変える必要があることを書いています。大変参考になりました。

取締役会の前に方針が決まっている

1月24日の日経新聞オピニオン欄、藤田 和明・上級論説委員の「「稼ぐ日立」の原風景、社外取締役との対話が示した成長」から。詳しくは本文をお読みください。

・・・稼ぐ日立へ。世界標準の経営を突き詰めた原風景ともいえる記録がある。約10年前の13年6月。当時の川村隆会長が社外取締役に招いた米スリーエムの元最高経営責任者(CEO)、ジョージ・バックリー氏と対談、日立総合計画研究所の文書に残している。
スリーエムは世界屈指のイノベーション力が評価されていた。バックリー氏は前年から日立の社外取締役を務め、感じた課題をグローバル経営の視点から指摘している。

一つは取締役会のあり方。「取締役会に諮られたとき、その方針が経営によってすでに決まっていたように感じた」。米国なら意思決定前に会社側と取締役会で長く討議する。「戦略的オプションについて詳細な議論を行っただろう」。人ではなく、アイデアで競争すべきだとした。

研究者の収益意識も指摘した。米国では「多くの研究開発資金を集めるには、より多くの利益を上げることが重要と(研究者は)知っている」。研究者も事業の検討会議に出席し、収益性と優れたキャッシュマネジメントを理解すべきだ。利益創出やスピード感が日立には欠けてみえた。
「生み出すべきは新たなアイデアと成長性を兼ね備えた会社」。より速く成長し、より多くの利益を上げる。アイデアの回転数を高め新製品の導入速度を高める。「革新的でなければ、ゆっくりとしかし確実に競争力が低下する」
当時の川村氏が率直に問題意識をぶつけ、バックリー氏が経験で築いた知見で答えるやりとり。日立がその後とった10年改革に重なっている・・

東京労働局長、自ら出演

東京の地下鉄の車内広告動画(液晶画面)で、最低賃金の広報が載っています。そこに、美濃芳郎・東京労働局長が出演しています。
かつて一緒に働き、苦労をかけました。役所の広報に、管理職が出てきて訴えることは、少ないのではないでしょうか。新体操の演技とともに、印象に残りますね。
恥ずかしがり屋の美濃君が出ているとは、部下に担がれたかな。担ぎ出した部下もえらい。
東京都最低賃金・業務改善助成金のお知らせ ~応援します!TOKYO 1113~

共通の知人である官僚から、次のような指摘がありました。
「ビデオみて感動しました。純粋にいいじゃないですか。ちゃんとこうやって、自分たちのやっていることを外に向かって発信する方法を考えてこなかったことに、今更ながら反省しています。」

「経済大国=豊か」という幻想の先へ

1月20日 の朝日新聞オピニオン欄、原真人・編集委員の「日独逆転、GDP4位に転落 「経済大国=豊か」という幻想の先へ」を紹介します。日本の国内総生産が人口がはるかに少ないドイツに抜かれることも大きな問題ですが、ここでは最後のくだりを引用します。

・・・「GDPを単純に増やせばいいという発想は意味がない」と話すのは長期不況理論の第一人者、小野善康大阪大特任教授である。「日本には巨大な生産力があり、1人当たり家計金融資産は世界トップ級の金持ちで購買力もある。問題は大金持ちなのにお金を使わず、潜在能力を生かし切れていないことだ」
では何が必要なのか。「生活をいかに楽しむか、そのために何にお金を使うべきかという発想に転換し、そこに知恵をしぼるべきです」と小野氏は言う。

時代遅れのGDPに代わって真に国民に望ましい国民経済指標を見つけることに最初に挑んだのはフランス政府だ。16年前、ノーベル経済学賞学者のスティグリッツ氏、セン氏らを招いた専門委員会で検討し、社会福祉に貢献する指標を一覧で示すことが望ましいと結論づけた。
それを実践したのが経済協力開発機構(OECD)のベターライフ指標だ。雇用や住宅、環境など11分野で毎年、対象40カ国に評価点をつけて発表している。
日本は教育や安全性で平均を上回る一方で、コミュニティー、市民参加、ワークライフ・バランスなどで平均を下回っている。分野ごとに評価すれば、他国に比べて劣っている領域も浮かび上がる。GDP幻想から目を覚まし、国民生活本位の新発想に切り替える時期だろう・・・

人生の意味は誰が決めるのか2

人生の意味は誰が決めるのか」の続きです。
ここでの「意味」は、内容(の説明)とともに、価値(の評価)が含まれているようです。内容なら「××して生きた」と記述すればすむ話ですが、価値はそれがあったかどうかを評価しなければなりません。
その評価は、誰が何を基準にするのでしょうか。本人でなく社会が評価するとしたら、その人がそれぞれの立場でどれだけ社会に貢献したかを評価するのでしょう。では、本人は何を基準とするのか。

多くの人は、日々の生活で人生の意味を深く考えることはないと思います。私も自分で考えたことはなく、聞かれたらどのように答えるか悩みます。
かつて大学で教えていたときに、学生から「自分は何者かは、どうしたらわかるか」という問がでました。いわゆる「自分探し」です。
私は「今20歳前後のあなたたちが自分探しをしても、答えは見つからない。まだあなたたちは、細いラッキョウのようなもので、これから皮を増やしてタマネギになるのだ」と説明しました。「「わたし」とは何か」「タマネギの皮を増やす

人生とは「自己実現」と意味づける場合もありますが、最初から「自己」という目標があるのではなく、生きていく過程で見つける「自己発見」と見る方がわかりやすいでしょう。