改革案を葬った人たち

1月17日の日経新聞夕刊「こころの玉手箱」は、岐部一誠インフロニア・ホールディングス社長の「業績悪化を伝える新聞記事」でした。前田建設時代の話です。

・・・2008年3月、総合企画部にいた私は早期退職者募集の社長説明文案を作った。低採算の工事が重なった上に改革が不十分だったツケが回り、会社の業績は悪化を続けていた。
「452億円の最終赤字」と記された3月22日付の新聞記事の切り抜き。その後本社は2度移転したが、これは今も社長室の机の引き出しにしまっている。二度と早期退職者を募集するような事態を招かぬよう、自分に言い聞かせている・・・

岐部さんは、2003年に赤字の会社に危機感を持ち、会社や業界を分析し、経営陣への提案をまとめました。大晦日の夜中には、社長から慰労のメールももらいます。ところが、未完成の改革案が事前に広まり、複数の役員が激怒します。「岐部、謝罪の場を設けるから謝れ。もしくは会社を辞めろ」と詰め寄られます。発表は中止になります。
その後、記事にあるように、大幅な赤字になり会社は危機に陥ります。そこで、この改革案を生かすことになります。

さて、改革を止めた幹部たちは、その後の動きをどう見ていたのでしょうか。また、自分たちの判断と行動を、どのように振り返ったでしょうか。