2023年の海外における日本食レストランは約18.7万店で、2021年の約15.9万店から2割増だそうです。農水省資料「海外における日本食レストランの概数」(2023年10月13日)
2006年には2.4万店でした。2013年に5.5万店、2017年に11.8万店、2019年に15.6万店と急速に増えています。地域別では、北米28,600店、欧州16,200店、アジア122,000店です。
フランス料理店や中華料理店は、世界にどれくらいあるのでしょうね。
2023年の海外における日本食レストランは約18.7万店で、2021年の約15.9万店から2割増だそうです。農水省資料「海外における日本食レストランの概数」(2023年10月13日)
2006年には2.4万店でした。2013年に5.5万店、2017年に11.8万店、2019年に15.6万店と急速に増えています。地域別では、北米28,600店、欧州16,200店、アジア122,000店です。
フランス料理店や中華料理店は、世界にどれくらいあるのでしょうね。
1月10日の朝日新聞オピニオン欄「分断を超えるには」、藤田早苗さん(国際人権法研究者)の「「人権のレンズ」持てる教育を」から。
―貧困や差別など日本社会には見えない分断線が引かれている気がします。
「ふだん英国に住み、日本に来ると各地で大学での講義や一般の講演活動を続けています。昨年12月半ばにあった講演会にトランスジェンダーの方が来られ、私の書いた『武器としての国際人権』が支えになって『自分は生きていてもいいんだと思えるようになった』と言われました」
「別の講演会では、子どもの頃から『おまえなんか生まれてこなければよかった』と親に虐待されてきたという参加者がいて、こう言うんです。『自分には人権がある、人としての尊厳があるんだと初めて本で知り、助けられました』」
―追い込まれている人がたくさんいて、藤田さんの本を読み、励まされ、話を聞きに来ている、と。
「ショックでした。人権とは、一人ひとりをかけがえのない個人としてリスペクト(尊重)するということでしょう。日本ではそういう価値が十分根付いていないという問題があるようです。人権とは何かという基本が学校で教えられていないことが原因の一つだと考えています。優しさや思いやりを養うことがあたかも人権教育だという考えが根強く、人権の内容について教える本来の人権教育がなされていないことが問題の一つだと思います」
―どういうことでしょうか。
「私はこれを『優しさ・思いやりアプローチ』の教育と呼んでいます。思いやりの気持ちが向かうのはもっぱら、自分が仲間だと感じている人、助けたいと思える人でしょう。しかし、人権を持つという点では仲間であってもなくても同じです。だれにでも普遍的な人権があり、あらゆる人間の尊厳が大切にされるべきであるという視点が、このアプローチからは抜け落ちてしまいます」
「人権感覚が欠如すれば、自分と異質な人たちや偏見を抱く相手に対して、違う態度で接し、差別的な扱いをする傾向が生まれがちです。例えば、日本の入管の収容施設という閉ざされた空間では、外国人に対する暴行など人権侵害が繰り返されてきました。1960年代に法務省の高官が『(外国人は)煮て食おうと焼いて食おうと自由』と本で書き、国会で問題になりましたが、その意識が変わっていないのではないか、とさえ思えてきます」
「メディアの責任も大きい。例えば、弱者の問題を取りあげるとき、お涙ちょうだいではなく、人権という普遍的な基準に照らして何が問題かを伝える。政府が人権を保障する義務を果たしているのか、権力を監視するパブリック・ウォッチドッグとしての役割をもっと自覚すべきです」
連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第175回「政府の役割の再定義ー官僚の職場を巡る課題─その解決に向けて」が、発行されました。成熟社会の官僚に必要とされる能力として、構想力を説明しています。
官僚には所管している政策の知識だけでなく、広い分野について日本の、そして世界の動向も踏まえることが求められます。特に幹部官僚は、特定の業界の発展やサービスの提供といった「部分最適」を超え、例えば省の所管政策を全体として考える「所管の全体最適」を考えなければなりませんが、それをも超え、所管政策もまたその一部である日本と世界のことを考える「大きな全体最適」の思考が必要となります。がむしゃらに所管政策を広げて「所管の全体最適」を確保したとしても、数十年の単位で見れば「大きな全体最適」になっていなかったこともありえます。
ただしこの問題の基本には、日本社会がどのような方向に進んで行くのか、将来の構想が必要です。各省と各局は、それに従って目標を考えるからです。将来の日本社会をどのようなものにするか。その構想は本来、首相をはじめとする政治家の役割です。
もう一つ、これからの官僚には、自らの人生を企画するという能力、あるいは意思が必要になることも挙げておきます。
官僚に求められるものの変化の次に、職場側の変化を議論します。若者に敬遠される職場をどのように改善するかです。その第一は、労働時間の短縮です。
1月7日の朝日新聞「天才観測5」「育てる 大成の条件「才能」だけでは」から。
・・・「特定分野に特異な才能のある児童生徒への支援の推進事業」。文部科学省が「これまで我が国の学校において取組はほとんど行われてきませんでした」と今年度から始めたのは、天才児、ギフテッドと呼ばれるような子への支援だ。
ただ、民間でのギフテッド教育で先行するNPO法人翔和学園(東京都中野区)の中村朋彦さんは「高レベルの集団で英才教育をする、そんな単純なものではなかった」と振り返る。
発達障害者支援のフリースクールを運営する中で、IQ(知能指数)が高い子の存在に注目した。「未来のエジソンやアインシュタインを育てる」と2015年、IQ130以上の小学生を選抜した特別クラスを設けた。子どもが興味あるテーマに特化した学習を行い、外部から有識者を招いた講義も。学習発表では、小学生が相対性理論について言及もした。
ところが、将来の働き場と想定したIT企業の技術者や大学の研究者らを視察に招くと「形式的な知識はあるが、基本的概念の理解が浅い」と評価が芳しくなかった。選抜して特別扱いしたことによる弊害からか、周囲の助言にあまり耳を傾けない、実験に失敗した時の諦めが早いといった傾向も見受けられるように。
「子どもたちの能力うんぬんでなく、私たちの指導方針が誤っていた」と特別クラスは18年に解体。教訓は「発達に飛び級はない。やはり基礎学力、協調性、やり抜く力が大事」ということ・・・
我が家のある杉並区高円寺(といっても広いのですが)には、お寺がたくさんあります。各寺院の説明を読むと、江戸時代に江戸の中心地から移ってきたものが多いようです。地下鉄新高円寺駅近くに、円福寺別院というお寺とお墓がありました。私の散歩の経路の一つにあります。
結構広い敷地です。椿椿山の墓があると立て札もありました。私もその説明書きで知ったのですが、椿椿山は、江戸時代後期の日本の文人画家です。
先年からお墓の片付けが進んでいて、「空いた場所には新しく募集するのか」と思っていました。昨年から工事が始まり、更地になりました。そして高齢者施設が建ちました。時代を感じさせます。
椿椿山の墓も、移されたのでしょうね。