「佐伯啓思先生「日本の方向を決めるのは」1」の続きです。
・・・さて、この「神」の代わりになるもの、それは、日本の場合、概して海の向こうからくる「高度な普遍文明」であった。時にふれ、また陰に陽に、日本は、海外の普遍文明を必要とした。古く言えば卑弥呼の時代、倭の五王の時代から推古天皇の遣隋使、さらには奈良、平安時代の遣唐使へと続く。かくて、中国という「海外の高度な文明」を取り入れた人々が日本の支配層をなし、中国の権威を背景に、日本社会の秩序と方向を与えてきたのである。
その際、日本という周辺国が高度な普遍文明に対抗するには、普遍文明に学びつつも、それを「日本化」する必要があった。だから、古代日本は、中国から多様な文物だけではなく、仏教や律令制度などを取り入れたが、決して中国皇帝に臣従したわけではない・・・
・・・明治時代とは、いうまでもなく日本近代化の時代であり、近代化の手本は西洋であった。中国に代わって、西洋こそが高度な普遍文明となってたち現れ、あらゆる分野で、日本は、実に勤勉に西洋を学び「日本化」することで近代へと船出した。日本にとって、「西洋」は価値の源泉となる。明治の天皇制国家とは、日本の「現人神」を西洋の「立憲君主」に見立てるといういささか無謀な構想によって成立したものであった。
では、天皇主権国家が解体した戦後はどうであろうか。日本という国家の基本的な秩序を与え、その方向を示したのは「アメリカ」であった。現人神である「天皇」に代わって民主主義の「アメリカ」が疑似主権者になった。「アメリカ」こそが高度な普遍文明の象徴であり、日本はもっぱらこの普遍文明に学び、それを「日本化」することで、日本のあるべき方向を決定できた。
それでは、今日、われわれは、何を価値の基準にしているのであろうか。冷戦以降、世界はいわゆるグローバリズムの時代となり、われわれは「グローバルな世界」をとりあえずの価値基準にした。「アメリカ」が「グローバルな世界」へと変形されたといってもよい。それこそが普遍文明であり、日本はその周辺国家なのである・・・
・・・しかし、「グローバルな世界文明」はいくらまつり上げられても、誰もそれを実感として捉えることはできない。確かに、今日、われわれは世界中の情報にさらされ、日々の生活品は世界中のサプライチェーンによってもたらされている。だが、われわれの日常の経験のもたらす実感は、決して「グローバルな世界文明」と直結したものではない。
端的にいえば、庶民大衆は「グローバルな世界」なるものを担ぎ上げてはいるものの、「天皇」や「民主主義」と同様、誰もそれを信じてはいないのである。おまけにその「グローバルな世界文明」は、いまやあちこちにほころびを見せ、機能不全に陥っている。
おそらく、日本の歴史上、これほど、国をまとめ、国の進むべき方向を指し示す価値基準が見えなくなった時代は稀であろう。
「海外の高度な普遍文明」を指標とし、それを学び「日本化」することで国の秩序と価値を維持してきた日本のやり方がほとんど意味を失ってしまった。大きく言えば、それこそが、今日の日本にあって、政治家は方向感覚を失い、官僚は影響力を失い、知識人やジャーナリズムは確かな言葉を失った理由であろう。
だが考えてみれば、それはまた日本の長い歴史を貫いてきた「海外の先進文明に追いつく」という不安な心理的前提からの解放をも意味しているだろう。「中国」も「西洋」も「アメリカ」も、そして「グローバルな世界」ももはや価値基準とはならないのである。「追いつくべき先」などどこにもない。そうであれば、今日こそ改めて、われわれはわれわれの手で、自前の日本の将来像を描くほかなかろう・・・
最後の段落は、なるほどと思います。課題は、これまで「輸入」をもっぱらとしてきた知識人や指導者たちが、そのような訓練を受けていないこと。誰が、どのような方法で、実現するかです。私も連載「公共を創る」で、これまでの問題と今後の課題までは書いているのですが、今後の筋道を書けていません。