古いホームページの閉鎖

先日、古いホームページを閉鎖しました。2016年11月まで使っていた、ニフティのホームページです。
過去のページは、松島社長に現在のホームページを作ってもらった際に移してもらったので、古いホームページは不要になっていました。
「まあ、しばらくは記念においておくか」と放置してあったのです。7年も経って、もう使うことはない、また加筆もできなくなっていたので、閉鎖しました。

グーグルで「岡本全勝」を検索すると、古いホームページも出てくるようですが、クリックしてもつながらなくなりました。

創造的に「誤読」する

日経新聞日曜連載、若松英輔さんの連載「言葉のちから」、1月13日の「研究・調査・読書〜井筒俊彦の創造的「誤読」」に次のような話が載っています。

・・・井筒俊彦は、稀代の文章家だが、じつに深遠な経験を有する「読書」の人でもあった。「読む」とは何かをめぐって彼はこう述べている。
「書かれている思想だけが読まれるのではない。誤読的コンテクストでは、顕示的に書かれていないコトバも、あたかも書かれてそこにあるかのごとく読まれるのでなくてはならない。」(井筒俊彦「マーヤー的世界認識」『井筒俊彦全集第十巻』)
井筒にとって真の意味で「読む」とは、創造的に「誤読」することだった。正しく読むことが書き手の意志をそのままに受け取ることであるなら、自分は文字という扉の向こう側にある意味と「誤読」的―書き手の意図を超えて―に出会うことを願っている、というのである・・・

大学時代にある教授が、試験問題を採点した結果を説明してくださいました。次のような内容でした。
「私が教えたことを書いていたら、及第点。私が教えたことを基に自分の意見を書いたら、よい評価を与えました」
教科書に書いてあることを答案に書けば満点をもらえると考えていた私には、衝撃でした。

講義の収録

昨日29日に、市町村アカデミーで、講義の録画をしました。
市町村アカデミーでは、コロナ禍で集合・対面研修が難しくなり、オンライン研修も取り入れました。また市町村からは、「千葉まで行くのが時間がかかり、オンライン研修を増やせないか」との要望もあります。
本校の特徴は、
・最高の講師による最新の講義、だけでなく
・課題演習や討議による参加型学習
・全国の市町村職員との人脈づくり
なので、集まってもらうことが本筋です。
とはいえ、遠くから集まることの困難さ、多くの人に学んでもらうことを考慮して、試行としていくつかの講義を録画して、市町村から見ることができるようにします。その第1陣の一つに、選ばれたのです。悪い部下たちです、学長を働かすとは。

私は、画面の向こうにいる人たちに向けて話すのは嫌いです。内閣人事局の幹部候補研修など経験はあるのですが。聴衆の反応を見て、話したいのです。笑いを取って、集中してもらうとかも。質疑応答も重要だと考えています。それができないと、どうも乗りが悪いのです。

職員にサクラとして座ってもらい、その人たちに語りかける形を取りました。ただし担当者からは、「職員を見ずに、カメラに向かって話してください」との注文がつきました。講義の途中で職員を指名して、質疑をしたかったのですが・・・。
市町村から見ることができるように、準備中です。

デジタル国際収支、5兆円の赤字

1月16日の日経新聞1面連載「昭和99年 ニッポン反転(11)」は「デジタル小作人、米に貢ぐ5兆円 稼ぐ日本「壊」より始めよ」でした。

クラウドなどアメリカの情報産業への依存が高まり、日本の国際収支は5兆円を超えます。デジタル化を進めるほど、アメリカ企業への支払いは増えます。記事ではそれを「デジタル小作人」と表現しています。

・・・クラウドの草分けは米アマゾン・ドット・コム。リスクを取って赤字覚悟の投資を重ね、コンピューターサービスの新市場を創出した。01年にはメインフレーム(大型汎用機)で世界シェア4割を握っていた日本の影はもはやゼロに近い。
日米の明暗を分けた誤算は何か。変化の速さというデジタルの本質を見失った点にある。マサチューセッツ工科大学のマイケル・クスマノ教授は「日本はソフトウエアを製造業として捉えてしまった」と指摘する。

米企業はサービスを運用しながら顧客と対話を重ね、失敗をいとわずに自らの意思と知恵で新たなサービスを素早く作り変えていく。対照的に日本はIT(情報技術)企業が顧客から丸投げされた提案を、忖度しながら作り込む。
顧客に納める以上、ミスは許されない。綿密に擦り合わせるため、時間がかかり技術は陳腐化する。失敗を避けるもたれ合いの構造が生まれ、進化を阻んだ。
オランダの社会心理学者ヘールト・ホフステード博士が開発した国民文化を測るモデルがある。日本は不確実性を回避する傾向がロシアなどに続いて高く、世界で2番目に完璧さを好む国だ。逆に変化を恐れない傾向が顕著だったのは北欧。デジタル競争力ランキングの上位に名を連ねる・・・

タテ社会をヨコに生きる

1月25日の読売新聞夕刊「追悼抄」に加藤秀俊先生が取り上げられていました。私は大学時代に先生の著作に触れ、目を開かされました。
記事には、「生まれつきの好奇心と独学の精神、「タテ社会をヨコに生きてきた」と自負する行動力が持ち味だった」とあります。そうですね、先生の研究やかつての京都大学人文研には、専門分野を超える独自性がありました。

私も、そうありたいと思っていました。広く天下国家のことを議論できると思って官僚になったのですが、タテ社会である行政、そして各省ごとの縦割りは厳しい世界でした。縄張り争いなどをしていたのです。
そのような中で、違った世界の人との付き合いは、視野を広げてくれました。「異業種交流会」という名の夜の飲み会も、身内や同業者との懇談(傷のなめ合い)よりずっと勉強になりました。

時に私の言動について、「官僚らしくない」「霞が関の治外法権」という評価をうけましたが、私にとっては勲章でした。「出すぎた杭は打たれない」という座右の銘(?)もありました。
タテ社会をヨコに生きることはできませんでしたが、タテ社会をナナメに、そしてタテ社会を少しははみ出して生きることができたようです。